コリアうめーや!!第149号

コリアうめーや!!第149号

<ごあいさつ>
5月15日になりました。
ゴールデンウィークも過ぎ去って、
忙しい仕事の日々がまたやって来ています。
次の長い休みは夏までありませんね。
しかも6月は祝日がひとつもないという悲しみの月。
一方、韓国では6月6日が顕忠日という祝日で、
祖国を守った英霊の冥福を祈る日となっています。
僕の卓上には日韓の暦が併記されたカレンダーがあり、
それを見ていると、たまに祝日がこんがらがるんですよね。
休みだなぁ、と思っていたらただの平日だったり。
会社勤めではないので、大きな問題にはなりませんが、
自宅でひとり違和感に当惑していたりします。
さて、今号のコリアうめーや!!ですが、
ちょっと強引な理論を展開してみたいと思います。
大真面目に語る、僕だけの一方的な熱い思い。
みんなに届くかは別問題で、語るだけ語らせてください。
コリアうめーや!!第149号。
久しぶりに叫ぶ、問答無用のスタートです。

<極私的サムゲタン究極美味味わい法!!>

ここ最近、真面目な文章を書く仕事が多い。
きっちりと調べ物をして、堅めの文体で原稿を書き、
場合によっては取材にもしっかり出かける。

僕の場合は取材をしても対象のほとんどが料理なので、

「うひょー、これブリブリ美味しい!」

などとハイテンションで書くことも可能だが、
たまたまそうではない仕事が続いた。
別にそれが不満という訳ではまったくなく、
固い取材も楽しいのだが、続くと少しモヤモヤが溜まる。

「もうなんか破天荒な話を書きたい!」

僕は文章を書き始めた当初から、
浮かれ調子の文体で、思いつくままに書いてきた。

美辞麗句よりも擬音連発。
起承転結よりも横道脱線。
理路整然よりも感情優先。

無理な勢いと強引さで読者が圧倒されているうちに、
ドサクサまぎれで、最後まで無理やり読ませてしまう感じ。
雪崩式ブレーンバスターのような文章が理想だった。

そのためには自分自身の盛り上がりが必要であるし、
なんだかわからんけど楽しそうだ、という雰囲気が欲しい。

「韓国料理ってああで、こうで、こうなんですよ!」

と興奮しながら叫ぶ僕の姿を見て、
まあ、そこまで言うなら話を聞いてやろうじゃないか、
という人が出てこれば大成功だと思っていた。

初期のコリアうめーや!!を読むと文章は拙いが、
そのぶん今をはるかに凌駕する熱気に満ち溢れている。

もちろん今とて韓国料理に対する熱意が薄れた訳ではないが、
書き手としてのガツガツした感じが、やや欠けたかもしれない。
真面目な文章を書いていると、どうしてもそれに慣れるのだ。

「このままではいけない!」
「もっと熱く鬱陶しいくらいガツガツしたい!」
「韓国料理への思いをたぎらせたい!」

というような発作的な衝動にかられた僕は、
家を飛び出してサムゲタンを食べに行くことにした。

ん、いきなり唐突にサムゲタン?

うん、そう。サムゲタン。
サムゲタンを食べに行ったのである。
サムゲタンこそ、僕の情熱を受け止めるにふさわしい。

サムゲタンは韓国の夏を代表するスタミナ料理。

若鶏の腹にモチ米や高麗人参などの漢方食材を詰め、
うまみが溶け出すまでコトコトじっくりと煮込んで作る。
鶏から出たスープのうまさもさることながら、
1人前で鶏1羽を食べるというボリュームも魅力の料理だ。

韓国料理の中でも比較的知名度が高いため、
そのぶんあちこちでその魅力が詳細に語られている。

だが、僕にはその語られ方に大きな不満があった。
また、それはこれまで語ってきた自分への不満でもある。

重要なのはこの部分。

サムゲタンは「鶏1羽を食べる」料理。

すぐ上にも簡単な解説として同じことを書いたが、
これはあまりにも大づかみにすぎる説明ではなかろうか。
先日、ふとしたことからその事実に気付いたのだが、
ここを一口に語ってしまってはあまりにもったいない。

サムゲタンは確かに鶏1羽を食べる料理だが、
もっと細かく見れば、さらなる魅力を感じられるはずだ。

例えば、焼きとりを思い出してみて欲しい。

・モモ
・皮
・ささみ
・手羽先
・軟骨
・砂肝
・せせり(首)
・ぼんぼち(尻)

と細かく部位別に分類される。

脂の多い部位が食べたければ皮やぼんぼちを。
淡白な部位が食べたければささみや軟骨を。
部位ごとの美味しさがあり選ぶ楽しさがある。

焼きとり店のメニューを眺めているのは楽しいし、
まして目の前で焼かれていたら、全身総興奮状態になる。

「おやっさん、端からずらっと焼いてくれい!」

なんて気分にもなったりするのだが、
サムゲタンでその興奮状態に陥ることはない。

そろそろ何が言いたいのかわかってきただろうか。

サムゲタンを「鶏1羽」ととらえて食べるのではなく、
部位ごとの喜びに目を向けつつ食べようという試みだ。
なにしろ鶏1羽なのだから内臓以外はすべてある。
焼きとり店の焼き場にも匹敵するズラリ具合なのだ。

にもかかわらず、それを意識しながら食べる人は少ない。
ということで、以下はその意識を明確にして食べた記録だ。

行動1、スープをすする

目の前に登場したサムゲタンの器。
まずはグラグラと煮立ったスープに注目したい。
厨房で火にかけられたサムゲタンは沸騰状態が基本。
穏やかな水面で出てきたらその段階で気分は萎え萎えである。

この日のスープはあふれんばかりにボコボコ。
それを確認するとともに、心の中でガッツポーズを炸裂させ、
でも表面上はあくまでも心穏やかにスープをすする。

「あちっ!」

スープはふーふーして冷ましたものの、
スプーン自体が熱を持っていて舌を焼いた。
だが、この熱さも美味しさのうち。

よいのだ。よいのだ。と呟きつつ行動2へと移る。

また、この時点で味が薄いなどの印象があれば、
卓上の塩、コショウを使って自分好みに味をつける。

行動2、思い切って突き崩す

このあたりは意見がわかれるかもしれないが、
食べやすくするため、スプーンで解体するのも一手。
ただし、崩しすぎては実もフタもない。

サムゲタンは通常、背中部分が上に出ており、
ここから食べ始めると、脂が少ないため喜びが少ないのだ。
脂の少ない部位は、とりあえずスープに沈めておいて、
棍棒のように立派なモモ肉あたりから始めるのが好みだ。

肉厚なところに「ガブッ!」と食らいついて、
顔をよじって、むしる取るような感じに食べる。
獣になったような気分で食べるとモモ肉はより美味しい。

「クケケケケケケー!」

という妙な笑いがこみ上げてくる。

ちなみに食べる順番は人によって好き好きなので、
あえてモモ肉からという作法を薦める訳ではない。

要は、ただ漫然と見えるところから食べるのではなく、
悩んだり迷ったりしながら食べる楽しさを提唱したいだけ。
大トロからいくか、ヒラメから行くかで悩む、
寿司店での「通気取り」を応用しようという話だ。

行動3、内部部位の解体に着手する

皮のずるずるした脂の味を楽しみ、
手羽先、手羽元などの食べやすい部位を味わってゆく。
すると、徐々に骨の全体像が見え始めてくる。

ここからは恐竜の化石発掘隊の気分になろう。

骨と肉の間に少しずつスプーンを挿入。
途中、箸なども使いながら解体してゆくと、
明太子のように肉厚な、ささみがボコッと取れる。

「とったどー!」

と店中の人に知らせたくなる瞬間。
このささみが綺麗に取れれば取れるほど嬉しい。

僕の友人には、このささみ発掘の達人がいる。
彼と比べると、僕はまだまだ上手にささみを取り出すことができない。
いずれ彼の域に達したい、と思いながら修行を重ねている。

サムゲタンはささみとの真剣勝負でもある。

行動4、軟骨を発掘する

中盤以降になってくると器の中も骨が目立つ。
卓上の骨入れに、随時移動させていくのが定法だが、
そこに軟骨がついているのを見逃してはならない。

焼きとり店で串に刺さっているY字状の軟骨。
俗に薬研(やげん)とも呼ばれるアレが出てくる。

焼きとり店では4個ほどが串に刺さっているが、
サムゲタンにはそれが1個しか入っていない。

「おおお、これは貴重な軟骨さま!」

とにわかに姿勢を正し、そのコリコリ感を堪能する。

嬉しいのはささみに比べて解体が容易な点。
周囲の骨を外すときに、ちょっと慎重を期すだけで、
見事な姿の軟骨と対面することができる。

行動5、具を味わう

中盤以降からは具も真剣に味わう時間帯。
ささみ、軟骨の発掘作業と同時進行で、
モチ米や、各種漢方食材を味わう必要がある。

スープに溶けたモチ米のドロドロ感を楽しみつつ、
出てきた高麗人参が何年モノかを見定めてゆく。

高麗人参の最高級品は6年ものとされているが、
一般のサムゲタンにそこまでのものは入っていない。
韓国であれば2年、3年、4年ものあたりが主流だが、
場合によっては半分にカットされたり、ひげ根も使われる。

日本であれば希少な食材ということで仕方ないが、
本場韓国で食べる場合は高麗人参のサイズにも目を光らせたい。
太い高麗人参が出てきたら、それは店の心意気。

「むう、これは3年もの……いや4年ものか」

しっかりと評価をしながら、鑑定士になったつもりで食べる。

そして、高麗人参を見つけたらナツメも出てくる。
このナツメも漫然と食べず、しばし悩む時間が欲しい。

問題なのは「サムゲタンのナツメは食べるな」という格言。

ナツメはさまざまな食材が持つ微量の毒素を吸い込む力を持ち、
そのナツメを食べるのは、わざわざ毒を食べるのと同じ。
せっかくの働きを無にせず、感謝しつつ残すのが正しいのだとか。

漢方薬の奥深い世界における常識であるらしいが、
僕は今のところ、その科学的な裏付けを見たことがない。

ゆえに、これを信じるかどうかはその人次第で、
韓国人でも普通にナツメを食べる人は少なくない。
僕自身もナツメの甘さは、サムゲタンの大きな楽しみと考えている。
毒素吸い込み説を知りつつ、食べるほうを選択するのが常だ。

だが、食べるときにはいつもドキドキする。

それはフグの刺身を食べるようなドキドキ感であり、
禁断の果実を味わう、くらいのテンションで食べる。

3度食べたら1度は毒で死ぬくらいのこだわりを見せたい。

そのほか、ニンニク、栗、銀杏、松の実など、
店によって入る具はさまざまである。
そのひとつひとつを楽しみつつ、味わって食べる。

行動5、スープを飲み干して骨の山を見る

具も食べつくしたらいよいよ終盤。

残った肉片を綺麗に片付けつつ、スープも飲み干そう。
若鶏とはいえ1羽食べると、おなかもかなりいっぱいのはず。
残す自由もあるが、出来ればきちんと平らげてあげたい。
命を捧げてくれた鶏に感謝をしつつ、作った人にも感謝をしつつ。

器の黒い底が見えてきたら、そこがゴール。
腹まわりの小骨類も丹念に拾い、骨入れへと移す。

食べ終えたら、「ほうっ!」とひとつ息を吐いた後、
自らの作品とも言うべき、骨入れの中を見つめてみよう。

身をこそげて食べつくした、純粋な骨だけの重なり。

その姿を見て美しいと思える人は幸せである。
自らの仕事に満足して、ひとり悦に入り、
口の端でニヤッと笑うまでが、サムゲタンの醍醐味だ。

たかがサムゲタン、されどサムゲタン。
同じ味わうならば、僕はより深く味わいたい。

人の倍くらいのテンションで。

<お知らせ>
サムゲタンの写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
日本人視点で見ればこだわりの食べ方ですが、
韓国人視点で見ればこざかしい食べ方です。

コリアうめーや!!第149号
2007年5月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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