コリアうめーや!!第157号

コリアうめーや!!第157号

<ごあいさつ>
9月15日になりました。
ちょうど3連休の初日に当たっています。
メルマガ配信日の今日は土曜日ですが、
明日も明後日もお休みというのはいいですね。
読者のみなさんがこれを読むのも連休明けでしょうか。
暑さもかすかに和らいで、よい連休になりそうです。
ちなみに僕のほうは3連休など一切関係なし。
休みなしに毎日働くフリー稼業の悲哀です。
たぶん年末までまとまった休みも一切なし。
とにかく忙しい夏秋を過ごしております。
さて、そんな忙しさの中、今号のメルマガですが、
バタバタと働きつつ見つけたある発見がテーマです。
僕はいま東京にある韓国料理店をぐるぐる回り、
1冊のガイドブックにしようと頑張っています。
いろいろな経営者さんと話し、学ぶことも多数。
その中で感じたことを紹介したいと思います。
コリアうめーや!!第157号。
なぜか数学に例えて、スタートです。

<引き算で考える日流韓国料理の未来!!>

僕は小学生の頃から算数が苦手だった。
落ち着きのない性格なので、計算ミスのオンパレード。
文章題などは、勝手な勘違いで問題を読み違えた。

テストとなるといつも、

「うげ、なんじゃこりゃぁ!」

というような点数で、頭を抱えるのが常だった。

それでも小学生の頃は漠然と苦手という程度だったが、
中学にあがる頃からは、明確な苦手科目として意識された。
算数、いや数学の授業が、苦痛で苦痛でたまらなかった。

例えば、中学1年の最初に習う「負の数」の単元。

代数の授業を担当するN先生が黒板に問題を書いた。
いくつかの問題を書き終えると、教卓の名簿を見ながら、
N先生は出席番号順にひとりずつ答えさせていく。

僕に振り当てられたのはこんな問題だった。

「-2-2=?」

今であればきちんと答えはわかる。

だが、そのときの僕は問題を見て固まった。
答えがわからないどころか、問題の意味が理解できなかった。
そもそも何を問われているのかがわからなかった。

仕方ないので無言のまま僕は立ち尽くす。
それを見て、クラスメートのY君が笑いながら言った。

「え、何、わかんないの!?」

わからない。顔から火が出るほど恥ずかしかった。
僕にはそのときの問題がこう見えていた。

「これ数字が並んでいるだけで式になってないじゃん……」

一応、負の数の概念はわかっていたと思う。
ゼロよりも少ない数字は「-」をつけて表現する。
「-2」であれば、ゼロよりも2つ少ない数字。

だが、そのとき僕の中で「-(マイナス)」と、
引き算の「-(引く)」がリンクしていなかった。

「-2-2=?」

という式は「マイナス2」という数字が2つ並んだもの。
その間に「+(足す)」か「-(引く)」があるはずなのに、
僕に課せられた問題は、それがスコーンと抜けている。

先生が「+(足す)」か「-(引く)」を書き忘れたんじゃないのか。

そう思っていたところへY君の一言だった。
僕はそのまま数秒間沈黙したのち、先生に座らされ、
出席番号順で僕の次の生徒が正解を答えた。
答えを聞いても、僕にはなぜそうなるのか理解できなかった。

その後も、中学時代の数学は軒並みボロボロ。

高校に入ってからも、それはほとんど変わらず、
大学受験は国語、英語、世界史の3教科で乗り切った。
模範的な文系一直線の受験生であった。

と、いきなりこんな数学の話から始まったので、
学生時代の苦い思い出が蘇った人もいるのではないだろうか。
僕にとっても心の奥に刺さった痛い青春の思い出。

秋の夜更けなどにふと思い出してさめざめと泣く。
そんなセンチメンタルでメランコリックな1ページだ。

たぶん、わかれば数学も面白いものなのだろう。

だが、僕はその面白さを知らないまま大きくなってしまった。
大人になったら、少しは出来るのではないかと思い、
かつて、中学校の数学問題集を買ってみたことがある。

いくらか出来る気もしたが、苦手意識は変わらなかった。
結局3日坊主だか、4日坊主だかで辞めてしまった。
問題集3冊分のお金を、無駄にしただけで終わった。

やっぱり僕に数学は向いていないのだ。

ところが。

その数学に向いていない僕に異変が起きている。
最近になって「足し算」と「引き算」の関係にハマっている。
そのへんの四則計算だと、数学ではなく算数の分野だが、
特に日韓をまたぐ、料理の「引き算」にハマっているのだ。

料理というのは食材を足したり引いたり。
あるいは調味料や香辛料を足したり引いたり。
煮炊きの時間や、仕込みの時間、熟成の時間など、
さまざまな計算を経た上で成り立っている。

そういった「足し算」と「引き算」が実に面白い。

「ああ、はいはい。数学の話からここに落としたかったのね」

という、読者諸氏の失笑が耳元に聞こえてくるようだが、
そんなことはまるで気にせず、話を進めたいと思う。

ここ最近の日本は韓国料理ブームである。

「韓流」ほどの爆発的なブームでこそないが、
巷には韓国料理店が増え、韓国料理に関する情報も増えた。
韓国料理を囲む、日本の現状は大いに変わりつつある。

韓国で展開する本場のチェーン店が進出してきたり、
コリアンタウンを中心に、韓国家庭料理店が乱立したり。
本場の味というのが、どどっと知れ渡るようになった。

それをきっかけに日本企業も韓国料理分野に進出。

さまざまな飲食店を経営する外食大手の企業が、
新たな韓国料理チェーンを展開するケースも増えている。
もちろん単独で韓国料理店を始める日本人も多い。

そんな中で目立ってきたのが「日本的発想の導入」。

言葉をかえれば韓国料理の日本ナイズである。
もちろんはるか昔から韓国料理の日本化は行われているが、
最近はさらに磨きがかかった状態になっている。

そして、その多くが「引き算」の工夫なのだ。

もともと韓国料理は「足し算」の料理である。

食材と食材の融合。調味料と調味料の融合。
ひいては味と味の融合で、美味しさを求めてゆく。

その象徴ともいえる料理がビビンバだろう。

たくさんの素材をひとつの器に盛り込みながら、
それをぐちゃぐちゃにかき混ぜてから食べる。
彩りや、見た目の美しさなど、一切お構いなし。
食材の交じり合った味わいこそが韓国料理の原点だ。

料理の基本にも「五味五色」という言葉があり、
5つの味と色をバランスよく盛り込むのがよしとされる。
濃厚に塗り重ね、味を深めていくのが韓国料理だ。

そのためか、料理の工夫も「足し算」方向のものが多い。

例えば、サムギョプサル(豚バラ肉の焼肉)などは、
ここ数年の間に、急速な進化を遂げた料理だが、

・ワインサムギョプサル(豚肉をワインに漬け込む)
・ハーブサムギョプサル(豚肉にハーブで下味をつける)
・コチュジャンサムギョプサル(豚肉にコチュジャンで下味をつける)
・チーズサムギョプサル(豚肉をチーズフォンデュ風に食べる)
・トッサムギョプサル(豚肉を薄い餅で包んで食べる)

など、既存の味にプラスアルファで新味を出している。
あれとこれを足したら美味しいんじゃないかな、という発想。

それに対し、日本でもサムギョプサルは人気だが、
こうした「足し算」の工夫とは別に「引き算」が登場する。
そのもっとも顕著な例が、

「美味しい豚を塩で味わってみてください」

というもの。

その発想は天ぷらを塩で食べるというような感じ。
味付けのほとんどを取っ払い、豚本来の味わいで勝負する。
当然、そのために豚肉はできるだけよいものを使う。

もちろん韓国にも塩で食べる豚焼肉はある。
ソグムグイと呼ばれて、ごく一般的な食べ方のひとつだが、
日本のこうした店とは出発点が違うように思う。

韓国でサムギョプサルを食べると、肉以外の皿がたくさん並ぶ。

サンチュ、エゴマの葉といった包む用の葉野菜に始まり、
スライスニンニク、青唐辛子、サムジャンと呼ばれる合わせ味噌、
ネギの和え物、粗塩を溶いたゴマ油、白菜キムチなどなど。
パンチャンと呼ばれる副菜類も含めて、テーブルの上は大混雑だ。

これらを自由に組み合わせて食べるのが韓国の焼肉。
足し算の発想で作った料理を、さらに客が足し算して食べる。

もちろん日本のサムギョプサル店にもこれらはつくが、
それは韓国料理としての体裁を保つためであることも少なくない。
真に食べて欲しいのは、シンプルな豚肉そのもののうまさ。

従って、

「モンゴル産の岩塩につけて食べてください」
「特製のハーブ塩につけて食べてください」
「ヒマラヤ産の岩塩をおろし金で削って食べてください」

といった店が出てくる。
いずれも、この1ヶ月間に取材した店での話だ。

また、そんな店の経営者さんはこんな話をする。

「韓国では豚肉をゴマ油につけて食べるじゃないですか」
「あれって、豚肉特有の臭みを取るための工夫だと思うんですよ」
「新鮮で質のいい豚肉が手に入るなら必要ないのかなと」
「それでゴマ油を取って塩だけにしました」

なるほど。と、目からウロコが落ちる思いだった。

また、その店では豚肉だけでなく牛肉もシンプルに変化。

「プルコギ(牛焼肉)もタレに漬け込むじゃないですか」
「あれも、同じく肉質の悪さを補うための工夫だと思うんですよ」
「質のいい牛肉なら、さっと炙るだけでも美味しいですよね」
「それでプルコギもタレに漬け込むのをやめちゃいました」

作り方を見せてもらうと、まずプルコギ用のタレで野菜を炒め、
野菜に火が通ったら、ブランド牛の肩ロースを加えてさっと炙る。
あとはその肉で、野菜をくるんで食べるというわけだ。

「これをプルコギと呼べるかは微妙かもしれませんが」
「美味しく食べられるのなら、それでいいかなと」
「親しい友人からは、すき焼きじゃん! っていわれましたけどね」

そう言ってその経営者さんは笑った。

確かにこれをプルコギと呼べるかといわれれば僕も悩む。
もともとプルコギとは「火の肉」という意味なので、
意味的には「焼いた肉」全般をプルコギと呼ぶことができる。

だが、下味をつけないプルコギをこれまで見たことはない。

ここ最近の日本では韓国料理店が急増している。
それに伴い、他店との差別化、個性の充実化が求められている。
各店とも他店にはないオリジナリティを出すのに必至だ。

その中で数多くの独創的な韓国料理が生まれている。

韓国にはない野菜で作る旬野菜のキムチやナムル。
辛さが苦手な人向けに開発された唐辛子の入らないチゲ。
韓国のスイーツをアレンジした創作デザート。

もちろん中にはアサッテを向いたキワモノ料理もあるが、
韓国料理の盲点を突いた新しい発想も少なくない。

それを、

「こんなものは韓国料理ではない!」

と切り捨てるのか、あるいは、

「こういう韓国料理もアリだな」

と認めるのか。
それは受け手の意識によっても違う。

僕もこれまでは本場そのものを常に意識していた。
日本で食べる韓国料理が、どれだけ本場に近づけるのか。
それを意識し、評価しながら食べていたように思う。

少しでも本場と違うものは、韓国「風」料理のレッテルを貼り、
本場とはここが違うからダメ、といったふうに判断していた。

「こんなものは韓国料理ではない!」

というセリフも頻繁に吐いていたように思う。
つい1年、2年ほど前までは確実にそうだった。

時代が変わったのか。それとも僕も変わったのか。
本場とは異なる韓国料理も、最近は魅力的に思えてきた。
もちろん安易な日本ナイズは今でも嫌いだが、
韓国料理を突き詰め、新しいものに昇華させるのなら話は違う。

「こういう韓国料理もアリだな」

と思える新しい発想の料理が増えている。

試行錯誤しつつ、韓国料理を磨く人たちがいる。
本国の韓国料理にも、影響を与える日が来るのだろうか。

<お知らせ>
仕事が忙しくHPの更新ができません。
落ち着いたら、まとめて更新したいと思います。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
これらの新しい料理が本にも詰め込まれます。
新しい発想の韓国料理をご期待ください。

コリアうめーや!!第157号
2007年9月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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