コリアうめーや!!第152号

コリアうめーや!!第152号

<ごあいさつ>
7月になりました。
梅雨の気配が少ない6月でしたが、
ちらちらパラパラと雨の降る日もありました。
そういえばいまは梅雨なんだもんなぁ、
という程度の空梅雨という感じでしたね。
全体的には蒸し暑い日が多かったです。
もうしばらくすれば、全面的に気合の入った夏。
汗をダラダラ流しながら、熱い息を吐く日々が始まります。
寒い冬よりは、暑い夏のほうが好きなんですけどね。
部屋の中にいるときも、クーラーをつけないことがほとんど。
それくらいなら冷たい料理を食べてしのぎます。
そして今号のメルマガでも、冷たい料理を紹介。
暑い夏を、少しでも快適に過ごせるように、
冷たい料理にまつわる、「寒い話」を用意しました。
コリアうめーや!!第152号。
青い自分への叱咤を含む、スタートです。

<大豆パワーで夏の爽快コングクス!!>

道を歩いていて財布を拾う。

そんな僥倖ともいうべき事件に出会う確率は、
およそ0、0002%ほどだそうな。

というのはもちろんデタラメで、
僕の経験よりはじき出した適当な数字である。

僕がこれまで財布を拾った経験が2回。

そこからアバウトに算出した数字がそれだ。
もちろん、人によってもっと多い場合もあるかもしれないが、
基本的に財布を拾うという体験は珍しいことだろう。

であるからして、人は財布を発見した瞬間から、

「うおっ、財布じゃねぇか(ギクッ)」
「ずいぶん分厚いけど、これいくら入ってるんだ(ドキドキ)」
「ネコババしないとしても、1割は自分のものになる権利が(ゴクッ)」
「まさか、ドッキリカメラとかじゃないよな(キョロキョロ)」

といった明らかに挙動不審な人となる。

ちなみに僕が財布を拾ったのは2回だが、
2回目は友人と一緒だったので、比較的冷静な対処ができた。
オタオタしたのは、初めて財布を拾ったときのこと。

ちょうど僕が韓国に留学していた頃で、
住んでいた寄宿舎近くの歩道橋でその事件は起きた。
いつも歩き慣れている歩道橋の真ん中。
そこにぽつんとひとつ、赤い財布が落ちていた。

「あ、さ、財布……」

と気付いた瞬間、まず後ろを振り返ったのを覚えている。
幸いというか歩道橋には誰もおらず、人の目はないようだった。
僕は財布を手に取り、どうしたものかと考える。

いや、どうすべきかはわかっているのだ。
近くの交番に行き、これを拾ったと届け出る。
ごく常識的な行動だが、それを一瞬ためらったのは、

「財布を拾ったのですが……」

の「拾う」という単語を知らなかったからである。
留学に来て間もない頃で、まだ韓国語がずいぶん拙かった。
警察に行って、事情を説明するのも一苦労だ。

厄介なことに巻き込まれるくらいなら、
見なかったことにして、そのまま立ち去るのも一手。

そう考えた僕が、あえてわざわざ警察にまで行ったのは、
それもまた勉強のひとつだ、という燃える向学心からであった。
名誉のために言っておくが、財布の中から学生証が出てきて、
それがすぐ隣の有名女子大のものだったからではない。

これをきっかけに女子大生と仲良くなってウハウハ。
というようなやましい気持ちが一切なかったわけではないが、
ともかくも僕は寄宿舎に戻って、日韓辞書を引いた後、
勇気を出して、近所にある交番へと足を運んだ。

「ち、ち、ちがぶる、ちゅおっすむにだ!」

おそらく僕はガチガチに緊張していただろう。
決して上手な韓国語ではなかったが、なんとか説明を果たした。
その達成感は大きく、今でも「拾う」という単語を使うときは、
そのときの光景が、脳裏に生々しくよみがってくる。

それを考えると、勇気を出して財布を届けてよかった。

そして、それ以上の喜びがその直後にあった。
赤い財布が無事持ち主へと戻ったあと、
警察を通じて、持ち主から僕に連絡が来たのだ。

「1度お会いして御礼をしたいのですが……」

との申し出を受けたときの喜びといったらない。

まさに人生において最大級の幸運が舞い込んだ瞬間である。
ドラマや小説であれば、これが運命の出会いとなって、
波乱万丈かつ劇的なラブストーリーが始まることだろう。

だが、僕にとって誤算だったのは、これがリアルな現実の話であり、
現実というのは、僕が妄想するほど甘くないということだった。

あれは夏の始まりを迎える6月頃の話。

僕と女子大生はその歩道橋からほど近い場所の店に入り、
彼女のおごりで、コングクスを食べたのだった。

コングクスとは韓国で夏に食べる冷たい麺料理。

同じく夏の涼味である冷麺が牛スープをベースとするのに対し、
コングクスは大豆でスープを作るのが特徴的だ。

コンが大豆、グクスが麺を表し、直訳すると大豆麺。
ただし、大豆はミキサーや石臼などですりつぶすため、
大豆麺よりも、豆乳麺と訳されることが多い。

どろどろした濃厚な豆乳に麺が入ったようなイメージ。

韓国では冷麺と並ぶ夏の風物詩的料理であり、
季節になると、飲食店には「コングクス開始」の貼紙が出る。
女子大生の彼女は旬の料理を、僕にご馳走してくれたのだった。

僕はそれまでコングクスを食べたことがなく、
初めて食べる料理に、少なからずワクワクしていた。
また、女子大生と2人で食事というドキドキ感もある。

なんとも魅力的な体験なのだが、不運だったのは、
たまたま入った店がよくなかったことであろう。

当時の僕は知らなかったが、コングクスは当たり外れが多い。

この料理は味付けらしい味付けをほとんどせず、
大豆本来のコクと甘味に加え、少量の塩味だけで食べるのが基本。
従って、大豆のよしあしが如実に出るのだ。

僕らが入ったのは大学近くのオシャレな店であったが、
そこのコングクスは大豆にコクがなく、どうにも水っぽかった。
塩を入れても味が平坦で、薄っぺらい味である。

僕を連れていった彼女にとっても予想外だったのだろう。
最初はコングクスについて、にこやかに説明していた彼女も、
帰り際には、

「この店のコングクスはイマイチでしたね……」

とぼそっと呟いていた。

僕も韓国語が拙く、フォローができなかった。
その場の会話が盛り上がらなかったのは言うまでもない。

ほろ苦い青春の1ページ。

以来、僕はコングクスが基本的に嫌いである。

ただ、それでも最近はいくらか食べるようになった。
料理そのものに対する苦いトラウマは消えないものの、
美味しいコングクスは、美味しいと評価できるようになった。

それにはいくつかのステップがあったのだが、
その第一が、釜山における市場での体験である。
そのときは8月の暑い日で、僕は猛烈に喉が渇いていた。

ふらふらになりながら、市場を歩いていると、
露店の前で、何かをうまそうに飲んでいる人たちがたくさんいる。
のぞきこむとステンレスの大きなボールに、白い液体が入っていた。

「これはなんですか?」

と息も絶え絶えに聞いた僕に対し、
露店のおばちゃんは「コングク!」と短く答えた。

コングクスではなく、コングクなのだが、
これは「豆の汁」という意味で、要はコングクスの麺抜き。
かわりにトコロテンが入っていることも多い。

たぶん、コングクの意味をその場で理解していたら、
財布のトラウマを思い出して飲まなかったことだろう。
だが、僕はそれが何かもわからないまま、
1杯1000ウォンを払って、とりあえずぐーっと飲んだ。

半分まで飲んで、それがコングクスと同じものだと気付いたが、
それは以前に食べたものに比べ、ずっと甘味が濃くて美味しかった。
喉が渇いていたのを差し引いたとしても、

「これに麺が入るなら美味しいのかも」

と思わせる味わいだった。

2度目は東京・新大久保にある某韓国家庭料理店にて。
気のおけない仲間同士で楽しく飲んでいると、
お世話になっている店のお母さんが僕に言った。

「夏の新メニューにコングクスを加えたんだけど食べない?」
「んー、コングクスですかぁ……」
「嫌いなの?」
「ええ、あんまり……」

気乗りをしない顔を返した僕に対し、
そのお母さんは、

「それは美味しいコングクスを知らないからよ!」

と俄然張り切って、コングクスを作り始めた。

客の希望よりも、自分の主張を優先させるあたりは韓国人らしい。
もちろん押し売りをしようというわけではなく、
美味しさを伝えたいという、純粋な親切心からの行為だ。

そして事実、お母さんの作ったコングクスは美味しかった。

「まずい店は大豆をケチるからダメなのよ」
「はあ……」

「ウチで作るコングクスはいい大豆をたっぷり使うからね」
「なるほど……」

「どうそれでも嫌い? 美味しいでしょ?」
「ええ、まぁ……」

その迫力に押され、うんうんと頷く僕を見て、
店のお母さんは満足そうに、厨房へと戻っていった。

そして、つい最近。
ちょっと変わったコングクスと出会った。

一般的なコングクスは大豆を使用して作るが、
その店ではアレンジを加え、枝豆を使って作るのである。
韓国ではほとんど枝豆を食べることはないが、
日本では言わずと知れた、夏の定番野菜である。

日本の食材を巧みに利用した斬新なアイデア料理だが、
よくよく考えてみると、枝豆も大豆も元は同じ野菜。
若く青い状態で収穫した大豆が枝豆なのである。

この枝豆で作ったコングクスが実に爽やかでよかった。

大豆を枝豆に変えた違和感というのはまるでなく、
むしろ、仕上がりの状態が美しい翡翠色になる。
普通のコングクスよりも優雅な見た目となり、
イメージのよさも含めて、より美味しく食べられた。

これらのステップを踏まえていまは、

「コングクスって本当は美味しいんだよなぁ……」

という気分でいる。

どんな料理でも美味しい店で食べれば美味しい。

それは当たり前の話だが、苦手な料理はやはり先入観が先立つ。
味わってみる以前に、そもそも食指が伸びないことも多い。

たぶん、僕が持つコングクスへのマイナスなイメージは、
最初に食べたときの、後味の悪さが大きいのだろう。
そして、あのとき韓国語がもう少し上手だったら、
という後悔も大きいような気がする。

もちろん韓国語が上手でも、ドラマチックな展開はなかっただろうが、
そこにはもうちょっと違った雰囲気があったような気もする。

今年も夏がやってきて、コングクスのシーズンが来た。

今年こそはもう少しコングクスが好きになりたい。
というのは、過去の思い出を振り返りつつ、
もっと自分を成長させたい、ということかもしれない。

真っ白なコングクスをもりもり食べる。
今年の夏は、そんな夏にしてみたい。

<お知らせ>
コングクスの写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
このメルマガでは色々な恥を披露しておりますが、
いまだにネタが尽きないのが不思議です。

コリアうめーや!!第152号
2007年7月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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