コリアうめーや!!第150号

コリアうめーや!!第150号

<ごあいさつ>
6月になりました。
早いもので今年の前半最後の月です。
ぼちぼちと梅雨を迎えたら、やがて夏になり、
秋になって、冬が近づいたら1年終わり。
折り返し地点が間近なのを知って、
ちょっと焦ってしまう、そんな季節です。
そして、このコリアうめーや!!も折り返しの号。
ついに、第150号を迎えてしまいました。
長く続けていれば、いつかは来る到達点ですが、
やっぱりある種の感慨を覚えますね。
読者皆様に深く感謝したいと思います。
そして、今号は25号刻みでやっている記念号特集。
古い記憶をたどり、その思い出を語ります。
テーマとする「あの人」は韓国での最初の友人。
コリアうめーや!!第150号。
青かった日を懐かしむ、スタートです。

<あの日あの時あの人と……6>
美味しいものを食べた思い出がある。
あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。

2000年8月。僕は江陵(カンヌン)にいた。
気のあう友人5名と、海水浴に出かけたのであった。
江陵は韓国の東海岸にある海のきれいな町。

僕が初めて書いた本の表紙には、僕の写真が載っているが、
この写真は確か、江陵で撮影したものだと記憶している。

『八田式「イキのいい韓国語あります。」』

真っ赤な表紙に黄色いオビという目立つこの本には、
モノクロの僕が、なぜか上半身裸で写っている。
バックも僕で、こちらは戦隊ヒーロー風のポーズだ。

「いったいなんでこんな表紙にしたんですか?」

と聞かれることがよくあるのだが、
なんでといわれても、僕には答えようがない。
本の発売1ヶ月ほど前に出来上がった表紙を見せられ、

「いやー、よかったね。処女作でヌード披露!」
「これはもう間違いなくキミの本だよ!」
「画像ソフトで乳首消すのたいへんだったんだから!」

と、出版社の担当さんとデザイナーさんが、
表紙見本を前に広げながらゲラゲラと笑っていた。

僕もそれを見て笑うしかなかったという訳だが、
結果的にはインパクトのある表紙になったのでよかったのだろう。
留学時代に撮った写真はないかいわれて出したものだが、
まさかこう使われるとは思わなかった、というのが本音だ。

さらなる裏話を公開してしまうと、

「本当は八田くんを虫みたいに小さくするつもりだったんだよね」
「ページの下をチョロチョロ這わせて、プチッとつぶしたくなるように」
「より面倒だ、ということになって結局やめたけどさ。あはは」

という案もあった。

これだけ読むと、ひどい話だと思うかもしれないが、
結局、この案は次作の『ハングル練習帳』へと持ち越され、
欄外で踊る妙な著者コメントとなって大好評を博した。

『ハングルドリル』、『ハングルペラペラドリル』においても、
この欄外の著者写真は継承されており、ひとつの売りになっている。
思えば、処女作の頃から優秀な方々に囲まれていたものだ。

そう思ってみると、表紙のヌード写真もどこか誇らしい。
留学時代にアホな写真をたくさん撮っておいて本当によかった。

そんな思い出に浸りつつ、当時の写真を眺めてみると、
江陵での楽しかった思い出が、ぶわっと蘇ってきた。
暑い夏。青い空。ジリジリと泣くセミの声が降り注ぐ。

男女6人夏物語、というコピーが適当かどうか。
ともかくも男4人、女2人のパーティで僕らは出かけた。
宿にしたのは江陵のとある団地の一室である。

江陵に親戚がいる、という素晴らしいメンバーがおり、
しかも僕らが出かける期間は、都合よく旅行中とのことだった。
宿代が浮くことに狂喜した僕らは、遠慮なくそこを借りた。

日本の言い方でいえば2LDK。
僕らが6人で寝泊まりするには充分な広さだった。

「うわあ、けっこう広いねえ」
「そう? こないだがひどかっただけだよ」

快適さに驚く僕にウォンシギが言う。
24歳の彼は、僕と並んでパーティの最年長だった。

ウォンシギとは留学3日目に出会って友達になり、
同い年であることから、気が合ってあちこちで遊んだ。
先にあげた僕の処女作にも彼の名前は登場している。

そしてそのこないだとは、その前月に出かけた旅行のこと。
旅行そのものは楽しかったのだが、とにかく宿が最悪だった。
宿の客引きに見事だまされ、6畳一間に7人が雑魚寝。
僕らは男女かまわず、片付け終えた積み木のようにして眠った。

その狭さたるや、酔ったウォンシギが夜中にコンタクト落とし、
翌朝みんなで探したらすぐみつかった、というくらいである。

そこに比べれば今回は天国。

また泳ぎに出ても、江陵は海が素晴らしい。
前回は西海岸の工業地域沿いで、灰色ないし茶色の海だった。
江陵の美しい海は、僕らを素直に感動させた。

唯一の難点をいえば、江陵は海がいきなり深く、
10メートルも行けば足がつかなくなるところだろう。
他の海水浴客が、妙に近いところに固まっていて不思議だったが、
安全に泳げる範囲というのが、えらく狭いのであった。

遊泳禁止区域を示すブイまで20メートルほどしかない。

結果、浜から20メートルの間に海水浴客が殺到し、
はるかむこうの浜まで、見事なまでのイモ洗いとなっていた。
白い砂浜とブルーの海に挟まれた部分が、
黒く縁取りされたかのように人で埋っている。

まるでエストニアの国旗を見るようだった。

韓国の海水浴といっても、特に変わったことはない。

ばしゃばしゃ水をかけあったり、浮き輪をひっくり返したり、
ブイまでどちらが早く着けるか競争したり、潜水ごっこをしたり。
浜にあがっても、人を砂に埋めたり、砂で城を作ったり、
ビーチボールがあればそれで遊んだりと特に珍しいことはない。

せいぜい小腹が空いて買いに走るオヤツが、
海の家のヤキソバでなく辛ラーメンというくらいだ。

真っ赤な辛ラーメンを、汗ダラダラで食べていると、
どこからかウォンシギがポンデギを買って来た。

こういう地方に来て露店がいくつか並んでいると、
どこかひとつくらい必ずポンデギを煮ているところがある。
ポンデギとは蚕のさなぎを鍋で煮たもので、見た目は虫そのもの。
巨大ダンゴムシが死屍累々といった感じだ。

ウォンシギは紙コップに入ったポンデギを食べながら、
それを見て固まった僕にいう。

「お前ポンデギ食ったことある?」
「ない。それは食べ物ではない。虫だ」
「健康にいいんだぞ。子供のオヤツだ」
「いらん」

「カルシウムも豊富なんだぞ」
「いらん」
「韓国料理研究家がそんなことでいいのか?」
「……」

ウォンシギはポンデギを爪楊枝に刺して僕によこした。
そしてそこからはもう書きたくないのだ。

ポンデギで気絶した僕を正気に戻したのは、
ほっぺたに当てられた、ヒヤリとした何かだった。

「じゃあ、こっちを食べなよ」

と、他のメンバーが持ってきたのはパッピンス。
パッピンスとは、アズキを入れたカキ氷のことだ。

飲食店はフルーツや餅などを入れて豪華に作るが、
こういう野外ではカップに入ったパッピンスが美味しい。
アイスなどとともに駄菓子屋やスーパーで売ってパッピンス。
当時の値段で500ウォン(約50円)と安いのもいい。

「これに牛乳を入れて食べると美味しいよ」

見ると友人は1リットルの牛乳パックを抱えている。
これをカップパッピンスに注ぎいれて、
氷アズキミルクにして食べようというのだ。

「普通の牛乳よりバナナ牛乳のほうが美味しいけどね」

友人はそう言いつつ、牛乳をソロソロと注ぎ、
当然のようにたっぷり余った残りをウォンシギに投げた。

「オッパ、牛乳余った。飲んで」

ウォンシギは腰に手を当てて、それをぐーっと飲み干した。

夜は韓国での旅行恒例、ゲーム混じりの宴会である。
酒を飲みつつレクリエーションゲームを行い、
負けた人は、罰ゲームとして目の前の酒を一気飲みする。
アホな飲み方だが、旅行の夜はこれが楽しかった。

「ようし、ゲームをするぞ!」

とリーダーシップを発揮するウォンシギに対し、

「不公平だからハンデをつけよう」

という声が女性陣からあがった。
酒の強い弱いが、ゲームの勝ち負けに影響する。
何しろ飲めば飲むほど、酔って負けるのがこの手のゲームだ。
また負ければ負けるほど飲むので、ますます負ける。

「2人は一番年上なんだからまず3杯ずつ飲みなさい」

という女性陣の主張はある意味正しい。

だが、それを飲んでしまうと、命取りなのだ。
ここでの一気とは韓国焼酎のストレートで、予想以上にキク。
しっかりと断るべき場面ではあったが、

「おお、飲んでやらあ」

と2人で一気飲みしてしまったのが運のツキ。
24歳の新米オッパはこういう場面で馬脚をあらわす。

その3杯でいきなり酔った僕とウォンシギは、
ゲームをやればやるほど負けるという屈辱の泥酔。
その上、熱くなって止めようとしないのでますます負けた。
気がつけば記憶が飛んで、いきなり翌朝だった。

青ざめたのは2日酔いの朝ではなく後日。
旅行の写真が出来上がってきてだった。

海で楽しく泳いだ写真や、本の表紙に使った写真。
思い出に残るたくさんの写真が折り重なる中で、
あろうことか、飲み会時の写真も多数撮影されていた。

当然のごとく、僕らの記憶にはない写真ばかり。

「これが特に傑作だよね!」

と渡された写真には、
なんと僕とウォンシギのキスシーンが写されていた。
ふたりとも酔って首まで真っ赤である。

僕とウォンシギは果てしなく落ち込み、
2度と同じ過ちは繰り返すまいと静かに誓い合った。

<お知らせ>
江陵での屈辱写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
夏の海はとにかく青かった。
そして僕らも青かった。

コリアうめーや!!第150号
2007年6月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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