「センソンフェ(刺身/생선회)」の版間の差分

 
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=== 文献上の記録 ===
 
=== 文献上の記録 ===
 
;『東国李相国集』(1241年)の記述
 
;『東国李相国集』(1241年)の記述
:高麗時代の文人である李奎報(イ・ギュボ、이규보)の作品をまとめた『東国李相国集』の後集、「南軒偶吟」という四行詩にフェ(膾)が登場する【原文1】。3行目の部分が「赤い魚を刺身(膾)にして酒の肴にして」という意味である。
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:高麗時代の文人である李奎報(イ・ギュボ、이규보)の作品をまとめた『東国李相国集』の後集、「南軒偶吟」という四行詩にフェ(膾)が登場する【原文1】<ref>[http://db.itkc.or.kr/inLink?DCI=ITKC_MO_0004A_0460_010_0080_2003_A002_XML 東國李相國後集卷第二 / 古律詩 一百五首 / 南軒偶吟] 、韓国古典総合DB、2025年8月25日閲覧</ref>。3行目の部分が「赤い魚を刺身(膾)にして酒の肴にして」という意味である。
  
 
:【原文1】
 
:【原文1】
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