「蔚山市の料理」の版間の差分

 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
5行目: 5行目:
 
== 地域概要 ==
 
== 地域概要 ==
 
[[ファイル:26040601.JPG|thumb|300px|太和江国家庭園と十里竹林]]
 
[[ファイル:26040601.JPG|thumb|300px|太和江国家庭園と十里竹林]]
蔚山市は韓国の南東部に位置する広域市(韓国に6ヶ所ある上級地方自治体)。北部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[慶州市の料理|慶州市]]、南部は[[釜山市の料理|釜山広域市]]の[[機張郡の料理|機張郡]]、南西部は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[梁山市の料理|梁山市]]、西部は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[密陽市の料理|密陽市]]、北西部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[清道郡の料理|清道郡]]と接する。また、東部は東海岸に面する。人口は109万8312人(2024年11月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구통계] 、行政安全部ウェブサイト、2024年12月18日閲覧</ref>。面積は1062.9平方キロ(2024年)<ref>[https://kosis.kr/statHtml/statHtml.do?orgId=116&tblId=DT_MLTM_2300&conn_path=I2 행정구역별・지목별 국토이용현황_시군구] 、KOSIS(国家統計ポータル)、2026年2月23日閲覧</ref>。4区1郡で構成され、郡部には[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]がある。1997年に[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]から独立して広域市となった。
+
蔚山市は韓国の南東部に位置する広域市(韓国に6ヶ所ある上級地方自治体)。北部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[慶州市の料理|慶州市]]、南部は[[釜山市の料理|釜山広域市]]の[[機張郡の料理|機張郡]]、南西部は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[梁山市の料理|梁山市]]、西部は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[密陽市の料理|密陽市]]、北西部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[清道郡の料理|清道郡]]と接する。また、東部は東海岸に面する。人口は109万8312人(2024年11月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구통계] 、行政安全部ウェブサイト、2024年12月18日閲覧</ref>。人口密度は1平方km当たり1041.4人で、広域市の中ではもっとも低い(2024年)<ref>[https://kosis.kr/statHtml/statHtml.do?orgId=101&tblId=DT_1B08024&conn_path=I2 인구밀도(인구주택총조사기준) - 시도] 、KOSIS(国家統計ポータル)、2026年4月7日閲覧</ref>。面積は1062.9平方キロ(2024年)<ref>[https://kosis.kr/statHtml/statHtml.do?orgId=116&tblId=DT_MLTM_2300&conn_path=I2 행정구역별・지목별 국토이용현황_시군구] 、KOSIS(国家統計ポータル)、2026年2月23日閲覧</ref>。4区1郡で構成され、郡部には[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]がある。1997年に[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]から独立して広域市となった。
  
 
1960年代以降、韓国最大の工業都市として経済発展を支え、漢江の奇跡を成し遂げる原動力となった。現在も現代重工業、現代自動車、SKイノベーション、S-Oilといった韓国有数の大企業が本社や工場を置き、重工業と石油化学の町として栄える。
 
1960年代以降、韓国最大の工業都市として経済発展を支え、漢江の奇跡を成し遂げる原動力となった。現在も現代重工業、現代自動車、SKイノベーション、S-Oilといった韓国有数の大企業が本社や工場を置き、重工業と石油化学の町として栄える。
21行目: 21行目:
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
 
[[ファイル:26040602.JPG|300px|thumb|盤亀台岩刻画(枠線で囲んだ場所に描かれているが画像上は見えない)]]
 
[[ファイル:26040602.JPG|300px|thumb|盤亀台岩刻画(枠線で囲んだ場所に描かれているが画像上は見えない)]]
蔚山という地名は原三国時代(三韓時代)にこの地を統治した于尸山国(우시산국)に由来し、山に囲まれた地域を意味する。現在でこそ港湾都市、工業都市としての印象が強くあるものの、内陸部の[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]には嶺南アルプスという景色の美しい山岳地域が連なり、自然の豊かな地域でもある。沿岸部では漁業、養殖業が盛んであり、亭子港(チョンジャハン、정자항)、日山港(イルサナン、일산항)、方漁津港(パンオジナン、방어진항)、長生浦港(チャンセンポハン、장생포항)といった漁港には、たくさんの魚介が水揚げされる。主要な名産品に、ズワイガニ([[대게]])、ソウハチガレイ([[참가자미]]、[[용가자미]])、岩ワカメ([[돌미역]])などがある。[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]の彦陽(オニャン、언양)地区は古くから交通の要衝であり、日本統治時代以降に牛市場が置かれたことから牛肉料理が発達している。
+
蔚山という地名は原三国時代(三韓時代)にこの地を統治した于尸山(ウシサン、우시산)国に由来し、山に囲まれた地域を意味する。現在でこそ港湾都市、工業都市としての印象が強くあるものの、内陸部の[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]には嶺南アルプス(ヨンナム アルプス、영남알프스)という景色の美しい山岳地域が連なり、自然の豊かな地域でもある。沿岸部では漁業、養殖業が盛んであり、亭子港(チョンジャハン、정자항)、日山港(イルサナン、일산항)、方漁津港(パンオジナン、방어진항)、長生浦港(チャンセンポハン、장생포항)といった漁港には、たくさんの魚介が水揚げされる。主要な名産品に、ズワイガニ([[대게]])、ソウハチガレイ([[참가자미]]、[[용가자미]])、岩ワカメ([[돌미역]])などがある。[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]の彦陽(オニャン、언양)地区は古くから交通の要衝であり、日本統治時代以降に牛市場が置かれたことから牛肉料理が発達している。
  
 
古くからの捕鯨文化を守る町という側面もあり、市内の長生浦(チャンセンポ、장생포)地区は韓国で唯一のクジラ文化特区に指定される。こうした捕鯨文化は[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]に残る新石器時代の壁画にも残されているほど歴史が古く、彦陽邑大谷里(オニャンウプ テゴンニ、언양읍 대곡리)の盤亀台岩刻画(パングデ アムガックァ、반구대 암각화、国宝第285号)にはたくさんのクジラが描かれている。また、斗東面川前里(トゥドンミョン チョンジョンニ、두동면 천전리)の銘文と岩刻画(ミョンムングァ アムガクァ、명문과 암각화、国宝147号)には、新石器時代の壁画に加えて新羅時代に追加された絵と文章も刻まれている。両地域の岩刻画は、2025年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
 
古くからの捕鯨文化を守る町という側面もあり、市内の長生浦(チャンセンポ、장생포)地区は韓国で唯一のクジラ文化特区に指定される。こうした捕鯨文化は[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]に残る新石器時代の壁画にも残されているほど歴史が古く、彦陽邑大谷里(オニャンウプ テゴンニ、언양읍 대곡리)の盤亀台岩刻画(パングデ アムガックァ、반구대 암각화、国宝第285号)にはたくさんのクジラが描かれている。また、斗東面川前里(トゥドンミョン チョンジョンニ、두동면 천전리)の銘文と岩刻画(ミョンムングァ アムガクァ、명문과 암각화、国宝147号)には、新石器時代の壁画に加えて新羅時代に追加された絵と文章も刻まれている。両地域の岩刻画は、2025年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
47行目: 47行目:
 
:彦陽邑では日本統治時代に牛市場が開かれて賑わい、周辺地域で飼育された牛の集散地となった。1915年の朝鮮総督府調査によれば、当時の蔚山郡では1万4976頭の牛を飼育しており、近隣の[[釜山市の料理|釜山市]]や、[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[金海市の料理|金海市]]、[[密陽市の料理|密陽市]]と比べてもはるかに多い<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1484602/1/47 朝鮮総督府, 1916, 『朝鮮彙報 (16)』(大正5年6月1日号), 朝鮮総督府, P79] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号47/171)、2026年4月6日閲覧</ref>。1921年の調査でも、畜牛数、生産数ともに[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]でもっとも多い<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1484602/1/47 朝鮮総督府慶尚南道 編纂, 1922, 『道勢一班』(大正5年6月1日号), 慶尚南道, P100-101] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号69/124)、2026年4月6日閲覧</ref>。こうした背景から彦陽邑では牛肉料理が発達したと考えられている。
 
:彦陽邑では日本統治時代に牛市場が開かれて賑わい、周辺地域で飼育された牛の集散地となった。1915年の朝鮮総督府調査によれば、当時の蔚山郡では1万4976頭の牛を飼育しており、近隣の[[釜山市の料理|釜山市]]や、[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[金海市の料理|金海市]]、[[密陽市の料理|密陽市]]と比べてもはるかに多い<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1484602/1/47 朝鮮総督府, 1916, 『朝鮮彙報 (16)』(大正5年6月1日号), 朝鮮総督府, P79] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号47/171)、2026年4月6日閲覧</ref>。1921年の調査でも、畜牛数、生産数ともに[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]でもっとも多い<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1484602/1/47 朝鮮総督府慶尚南道 編纂, 1922, 『道勢一班』(大正5年6月1日号), 慶尚南道, P100-101] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号69/124)、2026年4月6日閲覧</ref>。こうした背景から彦陽邑では牛肉料理が発達したと考えられている。
  
:当初は家庭料理として普及したが、1960年代に入って飲食店でも扱うようになった。1960年代後半に、京釜高速道路の敷設工事を行った際、全国から集まった労働者らが牛肉料理を好んで食べたのがきっかけと語られることが多い。2001年に彦陽邑が編纂した『彦陽邑誌(언양읍지)』によれば、1969年に沈参萬(シム・サムマン、심삼만)が開いた店が元祖とされる<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?#viewKey=CNTS-00055358419&viewType=C 彦陽邑誌発刊推進委員会, 2001, 『彦陽邑誌』, 彦陽邑誌発刊推進委員会, P639(コマ番号640/1066)] 、韓国国立中央図書館、2026年4月6日閲覧</ref>。屋号は「釜山食肉店(부산식육점)」で、現在も焼肉店が多く集まる南部里(ナムブリ、남부리)153-2にあった。「練炭の火で、塩を振った豚肉や牛肉を網焼きにした」ともあり、これは現在のオニャンプルコギと共通する。
+
:当初は家庭料理として普及したが、1960年代に入って飲食店でも扱うようになった。1960年代後半に、京釜高速道路の敷設工事を行った際、全国から集まった労働者らが牛肉料理を好んで食べたのがきっかけと語られることが多い。2001年に彦陽邑が編纂した『彦陽邑誌(언양읍지)』によれば、1969年に沈参萬(シム・サムマン、심삼만)が開いた店が元祖であり、「練炭の火で、塩を振った豚肉や牛肉を網焼きにした」ともあって現在のオニャンプルコギと共通する<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?#viewKey=CNTS-00055358419&viewType=C 彦陽邑誌発刊推進委員会, 2001, 『彦陽邑誌』, 彦陽邑誌発刊推進委員会, P639(コマ番号640/1066)] 、韓国国立中央図書館、2026年4月6日閲覧</ref>。屋号は「釜山食肉店(부산식육점)」で、現在も焼肉店が多く集まる南部里(ナムブリ、남부리)153-2にあった<ref>김선주, 2018, 『울산의 음식 그 맛과 추억을 찾아서』, 울산발전연구원 울산학연구센터, P32</ref>。
  
 
*オニャントッカルビ(언양떡갈비)
 
*オニャントッカルビ(언양떡갈비)
66行目: 66行目:
  
 
=== 艮絶串ヘッパン(艮絶串の太陽パン/간절곶해빵) ===
 
=== 艮絶串ヘッパン(艮絶串の太陽パン/간절곶해빵) ===
[[ファイル:25021704.JPG|thumb|300px|ヘッパン]]
+
[[ファイル:25021704.JPG|300px|thumb|艮絶串ヘッパン]]
 
:[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]西生面の艮絶串(カンジョルゴッ、간절곶)は東海岸に面した岬であり、日の出の名所として知られている。そのイメージから作られたのが艮絶串ヘッパンであり、カスタードクリームを入れたカステラ生地に太陽の焼印が押されている。菓子の底には砕いたクッキー生地が敷いてあり、その食感がふわっとしたカステラ生地との対比でいいアクセントになっている。
 
:[[蔚州郡の料理|蔚州郡]]西生面の艮絶串(カンジョルゴッ、간절곶)は東海岸に面した岬であり、日の出の名所として知られている。そのイメージから作られたのが艮絶串ヘッパンであり、カスタードクリームを入れたカステラ生地に太陽の焼印が押されている。菓子の底には砕いたクッキー生地が敷いてあり、その食感がふわっとしたカステラ生地との対比でいいアクセントになっている。
  
33,092

回編集