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;『朝鮮日報』(1938年)の記述
 
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:1938年11月9日発行の紙面に「秋収記(三)衣・食」とのエッセイがあり、田舎に行くとろくな食べ物がないとの文脈から、「(村の中心部でも)せいぜい『チャジャンミョン』か『チャンクッパプ(クッパ)』だが、これも名前は同じでもソウルとは比較にならない」との記述がある<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1938110900239205015&editNo=1&printCount=1&publishDate=1938-11-09&officeId=00023&pageNo=5&printNo=6287&publishType=00020 秋収記(三)衣・食] 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧</ref>。
 
:1938年11月9日発行の紙面に「秋収記(三)衣・食」とのエッセイがあり、田舎に行くとろくな食べ物がないとの文脈から、「(村の中心部でも)せいぜい『チャジャンミョン』か『チャンクッパプ(クッパ)』だが、これも名前は同じでもソウルとは比較にならない」との記述がある<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1938110900239205015&editNo=1&printCount=1&publishDate=1938-11-09&officeId=00023&pageNo=5&printNo=6287&publishType=00020 秋収記(三)衣・食] 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧</ref>。
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1948年に「龍華醤油(용화장유)」(現、龍華食品株式会社)が、チュンジャン(春醤、춘장)を発売した([[チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)#チュンジャン(春醤)|概要>チュンジャン(春醤)]]参照)。
  
 
== 種類 ==
 
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2022年2月20日 (日) 04:39時点における版

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この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。

チャジャンミョン짜장면)は、韓国式ジャージャー麺。漢字では「炸醤麺」と書き、チャジャン(炸醤、짜장)は炒め味噌、ミョン(麺、)は麺を意味する。韓国語では「자장면」とも表記する。豚肉、タマネギなどを、チュンジャン(春醤、춘장)という黒味噌とともに炒め、水溶き片栗粉でとろみをつけてチャジャンを作る。これを中華麺にかけて提供し、食べる際は麺とチャジャンがよくからむように、箸で全体をよくかき混ぜて味わう。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされ、韓国ではチャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)と並んで中華料理の代表格として人気が高い。主に中華料理店で食べられるほか、粉食店やフードコートでも提供される。インスタント麺としてもチャジャンミョンは多くの商品が販売されている。チャジャンミョンのバリエーションとしては、カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)や、サムソンチャジャンミョン(3種の海鮮ジャージャー麺、삼선짜장면)、ユニチャジャンミョン(豚ひき肉ジャージャー麺、유니짜장면)、ユスルチャジャンミョン(豚細切り肉ジャージャー麺、유슬짜장면)などがある。また、チャジャンを麺ではなくごはんにかけたものはチャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)と呼ぶ。

名称

中国料理の「炸醤麺(zhajiangmian)」に由来。チャジャン(炸醤、짜장)は炒め味噌、ミョン(麺、)は麺を意味する。

  • ハングルでの表記
国立国語院の認めるチャジャンミョンの標準語表記は「짜장면」「자장면」の2種類がある。1986年に当時の文教部が外来語表記法を告示し、「zh」の音は「ㅈ」で表記すると定めたことで、それ以降は「자장면」のみが標準語とされていたが、実質的に広く使用されている「짜장면」など39語が、2011年8月に標準語として新たに追加され、両表記とも認められるようになった[1]。本辞典では「짜장면」を項目名として使用する。発音表記は[짜장면]。

概要

中華麺に黒味噌をかけた料理。韓国では中華料理店の看板メニューであり、老若男女に愛される人気から国民食(국민음식)として語られる。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされるが、定着の過程でローカライズされ、中国のものや、あるいは日本の盛岡で郷土料理となった「じゃじゃ麺」などとも異なる独自の料理として発展している。韓国式のチャジャンミョンを特徴づける要素としては、韓国で独自に開発されたチュンジャン(春醤、춘장)の使用や、豚肉とともにたくさんの野菜を具として加えること、水溶き片栗粉を加えて全体にとろみをつけること、などがあげられる。

チュンジャン(春醤)

チャジャンミョンに用いる黒味噌をチュンジャン(春醤、춘장)と呼ぶ。1948年にソウル市龍山区文培洞で創業した「龍華醤油(용화장유)」(現、龍華食品株式会社)が発売し、これが飲食店でも広く使われるようになった。1950年代にカラメル(캐러멜)を入れる工夫が追加され[2]、これが普及したことにより、韓国式のチャジャンミョンは「黒さ」と「濃厚な甘さ」を大きな特徴として持つに至った。春醤の語源や命名の時期は定かでないが、(1)春に作ったから、(2)甜面醤の略称である甜醤(チョムジャン、첨장)が変化した、(3)ネギをつけて食べる味噌という意味の「葱醤(チョンジャン、총장)」が変化した、またはその味噌を春に出る長ネギにつけて食べたからなどの説がある[3][4]

チャジャン(炸醤)

中国語で「炸」は「油で揚げる」ことを意味し、チュンジャンを油で炒めたものをチャジャン(炸醤、짜장)と呼ぶ。豚肉のほか、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツなどの野菜を多く加え、水溶き片栗粉でとろみをつけて仕上げる。チャジャンは麺に載せてチャジャンミョンにするだけでなく、ごはんにかけてチャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)としたり、ポックムパプ(チャーハン/볶음밥)にかけることもある。

  • 派生形
水溶き片栗粉を加えずに作る場合は、カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)と呼ぶ。チャジャンに加える具材によっても、細かく呼び名が分けられている(種類参照)。

千切りのキュウリや、グリンピースを彩りとして載せることが多い。

食べ方

箸で全体をよくかき混ぜ、麺に黒味噌を絡めてから食べる。箸を両手に1本ずつ持ち、下からすくいあげるようにして混ぜる姿もよく見かける。

歴史

1883年に仁川市で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。彼らの伝えた代表的な中華料理のひとつがチャジャンミョンであり、当初は同胞向けに作って食べたものが、徐々に韓国でもローカライズして浸透した。当時の代表的な中華料理店としては1908年頃に創業した「共和春(공화춘)」があり、1983年に閉店したが、その跡地は現在「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として歴史を伝えている。

  • 共和春
共和春(コンファチュン、공화춘)は、中国・山東省出身の于希光(ウ・ヒグァン、우희광)氏によって開かれた中華料理店。創業年代は1905年と1908年の両説があり(チャジャンミョン博物館では1908年と説明している[5])、当時は「山東会館(산동회관)」という名称の宿泊施設を兼ねた飲食店であった。店名を「共和春」としたのは辛亥革命によって中華民国が誕生した1912年で「共和国の春」という意味が込められている。韓国における中華料理店の草分けとして長らく愛されてきたが、1983年に閉店。同店の建物は2006年4月に登録文化財第246号として指定されたのち[6]、2012年4月に「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として利用されるに至った。なお、現在のチャイナタウンには「共和春」の後継とされる店がふたつある。ひとつは2004年2月に開店した同名の「共和春」で、かつて「共和春」で料理長を務めていた人物を株式会社共和春フランチャイズの代表イ・ヒョンデ(이현대)氏が招聘し新たに始めたものである[7][8]。もうひとつは于希光氏の娘であるウ・ランヨン(우란영)氏と結婚したワン・イビョン(왕입영)氏が、「共和春」での修行を経て1980年に開店した「新勝飯店(신승반점)」である[9]。現在「新勝飯店」の代表はワン・イビョン、ウ・ランヨン夫婦の娘であり、また于希光の孫に当たるワン・エジュ(왕애주)氏が受け継いでおり、店名は異なるもののこちらを直系の後継店と考える人も多い。

1920~30年代

チャジャンミョンに関する記録は、1920~30年代の新聞、雑誌記事に見られ、当時から大衆的な中華料理として根付いていたと推測される。ただし、ウドン(中華風の五目麺、우동)や、タンスユク(酢豚/탕수육)チャプチェ(春雨炒め/잡채)、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、양장피)といった他の中華料理に比べると登場の頻度は少なく、現在のように国民食として親しまれるのは1950年代以降と見られる。

『朝鮮日報』(1923年)の記述
1923年1月23日発行の紙面に「物産奨励会に与する」という見出しの記事があり、文中に漢字で「炸醤麺」との記述がある。朝鮮物産奨励会の発足を伝える内容で、自国内で生産される物産が少なく、外国から入ってきたものが多いことの例として、裕福な人は洋食を食べ、庶民とてそれが日常食のすべてではないものの、「チャジャンミョンや、ヤンジャンピ(中華風冷菜)を食べ、貧しい者でもできたてのマンドゥ(餃子)や固いローピン(小麦粉のお焼き)などを食べる」としている[10]
『東亜日報』(1930年)の記述
1930年9月6日発行の紙面に「欧州行(五)インド洋を越えて立ち」という旅行記があり、文中に漢字で「炸醤麺」との記述がある。イタリアで食べた「マカロニ(パスタ?)」の中には中国の麺を彷彿させるものもあるとしたうえで、ケチャップ味のものを「燕京食堂で食べた炸醤麺と、なぜこんなにも似ているのでしょう」と描写している[11]
『別乾坤』(1934年)の記述
1934年1月1日発行の雑誌『別乾坤 第69号』に、「ユーモア オーケストラ、漫談」との記事があり、文中にチャジャンミョンの記述がある。大ボラを吹くような話として、登場人物のひとりがビルのような厨房に世界中のシェフを集め、「インド式の冷麺や、ブラジル式のニシン焼き、満州国式のチャジャンミョンでもなんでも好きなものを食べろ」と語るセリフがある[12]
『朝鮮日報』(1935年)の記述
1935年2月23日発行の紙面に「汽車(一)」との紀行文があり、知人を訪ねて忠清南道礼山郡の挿橋駅で降り、「なんとか楼と書かれた中国料理店に入って所謂『チャジャンミョン』というものを食べ」たとの記述がある[13]
『東亜日報』(1936年)の記述
1930年2月16日発行の紙面に「第三回全朝鮮男女専門学校卒業生大懇親会後期」との特集記事があり、その中に「大会余禄 印象の点描」としてチャジャンミョンの記述がある。卒業生への祝辞として、「(先生方は)ウドン、チャジャンミョンを食べ、冷めた弁当を食べてあなたたちを教えた」との一節があったことを紹介している[14]
『朝鮮日報』(1938年)の記述
1938年11月9日発行の紙面に「秋収記(三)衣・食」とのエッセイがあり、田舎に行くとろくな食べ物がないとの文脈から、「(村の中心部でも)せいぜい『チャジャンミョン』か『チャンクッパプ(クッパ)』だが、これも名前は同じでもソウルとは比較にならない」との記述がある[15]

1940年代

1948年に「龍華醤油(용화장유)」(現、龍華食品株式会社)が、チュンジャン(春醤、춘장)を発売した(概要>チュンジャン(春醤)参照)。

種類

チャジャンミョンには次のような種類がある。

味噌の種類

水溶き片栗粉を入れずに作るとろみ抜きのチャジャンミョン。カンチャジャン(간짜장)と呼ぶことも多い。一般的なチャジャンミョンは黒味噌を作り置きすることもあるが、カンチャジャンミョンは都度炒めて作ることから、常にできたてを楽しめると評価する人も多い。麺と黒味噌は別盛りで提供される。南部地方を中心に目玉焼きを載せることもある。
サチョンは中国の「四川」を意味し、四川料理のイメージで作った辛口のチャジャンミョン。チュンジャンと豆板醤を混ぜたり、あるいは豆板醤だけで味噌を作る。サチョンチャジャン(사천짜장)とも呼ぶ。
プルは「火」を意味し、粉唐辛子や刻んだ青唐辛子を加えて激辛に作ったチャジャンミョン。プルチャジャン(불짜장)とも呼ぶ。

具の種類

サムソンは漢字で「三鮮」と書き、3種の魚介を使用したチャジャンミョンを指す。ナマコ、イカ、エビ、ムール貝、アサリなどが用いられる。サムソンチャジャン(삼선짜장)とも呼ぶ。
ユニは漢字で「肉泥」と書いて、豚ひき肉を用いたチャジャンミョンを指す。ユニチャジャン(유니짜장)とも呼ぶ。
ユスルは「肉絲」と書いて、豚の細切り肉を用いたチャジャンミョンを指す。ユスルチャジャン(유슬짜장)とも呼ぶ。

その他

麺ではなく、ごはんにチャジャンをかけた料理。

エピソード

ブラックデー

ブラックデー(블랙데이)は、チャジャンミョンを食べるイベントデー。2月14日のバレンタインデー(밸런타인데이)、3月14日のホワイトデー(화이트데이)に縁のなかった人たちが集まり、全身を黒い服装で包み、嫉妬交じりのどす黒い気持ちを共有しながら、真っ黒い食べ物であるチャジャンミョンを味わう黒尽くしの1日を指す。凝る人であればアクセサリーなども黒で統一し、食後にはブラックコーヒーを飲む。単にチャジャンミョンを食べるだけでなく、合コンを兼ねることでカップルが誕生することもある。ブラックデーに付き合い始めたカップルは1ヶ月後の5月14日にローズデー(로즈데이)を迎えてバラを贈り合うなどの習慣もあるが、ブラックデーにチャジャンミョンを食べる友人さえいなかった人は、5月14日のイエローデー(옐로우데이)に黄色い服を着てカレライス(カレーライス/카레라이스)を食べなければならない。

ブラックデーの由来

『京郷新聞』(1993年3月15日)の記述
1993年3月15日付けの京郷新聞には「"私を困らせたらひどい目に遭う" 『ブラックデー』まで登場("나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장)」という記事があり、百貨店などにおけるホワイトデーの盛り上がりを取り上げたうえで、「今年は『ブラックデー』というまた違った正体不明の記念日が新しく作られ漸入佳境である(올해는 「블랙데이」라는 또다른 정체불명의 기념일이 새롭게 만들어져 점입가경이다)」と伝えている[16]。この記事によればブラックデーとは、「普段、自身を困らせている人に"飴を食べろ(俗語で「クソくらえ」「ひどい目に遭え」という意味を指す)"という意味で飴をプレゼントするもの(평소 자신의 속을 썩였던 사람에게 "엿먹어라"는 뜻으로 엿을 선물한다는 것)」であり、また「ホワイトデーをもとに日付も1ヶ月後の同じ日である4月14日と定めたブラックデーは、その名前が示すように、青少年たちにとっては『恐喝性』の愛情表現として受け入れられている(화이트데이를 본떠 날짜도 한달뒤 같은 날인 4월14일로 잡혀있는 블랙데이는 그 이름이 보여주듯 청소년들에게는 「공갈성」 애정표현으로 받아들여지고 있다)」と説明されている。この記事から判断するに、日付は当初から4月14日であったものの、その内容は現在と大きく異なるものであった[16]
『東亜日報』(1996年2月10日)の記述
現在のようにチャジャンミョンを食べる日としてのブラックデーは、1996年2月10日付けの東亜日報に見える。同記事では「最近は『ブラックデー』まで登場した。4月14日のブラックデーはバレンタインデーやホワイトデーに何ももらえなかった『ハズレ男』と『ハズレ女』たちが黒い服を着て、食事も真っ黒いチャジャンミョンを食べ、ブラックコーヒーだけを飲む日だということで名付けられた名称(최근에는 「블랙데이」까지 등장했다. 4월14일인 블랙데이는 밸런타인데이나 화이트데이에 아무것도 못받은 「꽝맨」과 「꽝우먼」들이 검은 옷으로만 차려입고 식사도 시커먼 자장면을 먹고 블랙커피만 마시는 날이라고 해서 붙여진 명칭)」[17]としている。両記事における2種類のブラックデーに直接の関連性があるかはこれだけで判断できないものの、時代的な変遷から考えると、ホワイトデーに飴を贈る習慣が1990年代前半に「飴を食べろ」という俗語と結びつき、反語としてブラックデーという用語が生まれたところへ、1990年代半ばになってブラックという色からの連想で黒い料理、すなわちチャジャンミョンを食べる日としてさらに転じた可能性は推測できる。
『京郷新聞』(1997年3月17)の記述
毎月14日にいろいろなイベントデーを行う文化もこの時期から始まったと見られ、5月14日にカレーライスを食べるイエローデーの記事も1997年には複数見える。1997年3月17日付けの京郷新聞には「新世代たち'愛の14日'熱病(신세대들 '사랑의 14일'열병)」という記事があり、バレンタインデーから始まる「恋人の日」と「相手のいないソロの日」を分類し、「5月14日の『イエローデー』はまだ相手を探せていない人たちが集まってカレーライスを食べる日(5월14일「옐로데이」에는 아직도 짝을 못찾은 사람들이 모여 카레라이스를 먹는 날)」と紹介している[18]

脚注

  1. ‘짜장면’ 등 39항목 표준어로 인정 、国立国語院ウェブサイト、2022年2月19日閲覧
  2. 양세욱, 2009, 『짜장면젼』, 프로네시스, 電子書籍版P140/270(52%)
  3. 周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P341-342
  4. 양세욱, 2009, 『짜장면젼』, 프로네시스, 電子書籍版P137/270(51%)
  5. 역사적배경 、チャジャンミョン博物館ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  6. 등록문화재 제246호 인천 선린동 공화춘(共和春) 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2019年5月2日閲覧
  7. 대표인사말 、共和春ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  8. 짜장면의 원조 공화춘, 그 잊혀진 맛을 되살리다 공화춘 이현대 대표 、月刊パワーコリア(2017年2月15日記事)、2019年5月2日閲覧
  9. [주간한국 [이야기가 있는 맛집(289)] ‘신승반점’ 왕애주 대표] 、デイリー韓国(2017年8月19日記事)、2019年5月2日閲覧
  10. 물산장려회(物產奬勵會)에 여(與)하노라 、朝鮮ニュースライブラリー100、2022年2月19日閲覧
  11. 欧州行(五)印度洋건너서서 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧
  12. 별건곤 제69호 > 유모어 오케스트라, 漫談 、韓国史データベース、2022年2月19日閲覧
  13. 汽車(一) 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧
  14. 大会余禄 印象의点描 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧
  15. 秋収記(三)衣・食 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧
  16. 16.0 16.1 "나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧
  17. "美國(미국)선 밸런타인데이 조용히 지내요" 한국과 달리 남성이 여성에게 꽃-초콜릿 선물 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧
  18. 신세대들'사랑의 14일'열병 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目