「潭陽郡の料理」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
(→食文化の背景) |
(→代表的な料理) |
||
| 13行目: | 13行目: | ||
== 代表的な料理 == | == 代表的な料理 == | ||
[[ファイル:23010227.JPG|300px|thumb|トッカルビ]] | [[ファイル:23010227.JPG|300px|thumb|トッカルビ]] | ||
| + | === トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비) === | ||
| + | :トッカルビ([[떡갈비]])は、叩いた牛カルビ焼き(「[[トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)]]」の項目も参照)。潭陽邑潭州里(タミャンウプ タムジュリ、담양읍 담주리)の「申食堂(신식당)」と、栢洞里(ペクトンニ、백동리)の「徳仁館(덕인관)」が専門店として有名である。 | ||
| + | |||
| + | :1909年創業を掲げる「申食堂」では、「当初は市場で[[チュオタン(ドジョウ汁/추어탕)]]などを販売していたが、特別な客を招くときだけトッカルビを七輪で焼いて提供した。これが後に有名となって現在はトッカルビの専門店として営業している」と店の成り立ちを説明する(八田靖史の取材記録より、2011年12月14日)。2012年に韓食財団が発行した『韓国人が愛する老舗の韓食堂(한국인이 사랑하는 오래된 한식당)』では、「創業者のナム・グァンジュ(남광주)氏は16歳のとき結婚して潭陽に来た。料理の腕前が人一倍優れ、結婚から3年も経つと、村での宴会や接待など大きな行事ごとに料理を担当した」<ref>(재)한식재단, 2012, 『한국인이 사랑하는 오래된 한식당』, 한국외식정보, P48-49</ref>と紹介している。創業年の1909年はナム・グァンジュ氏が初めてトッカルビを作った年であり、実際に店を構えたのは1932年で、店名の「申」は2代目を継いだ嫁のシン・グムネ(신금례)氏の姓にちなむ(店の看板より)。 | ||
| + | |||
| + | *歴史 | ||
| + | :朝鮮時代前期の文臣、宋希璟(ソン・ヒギョン、송희경)がトッカルビを伝えたとの逸話がある。宋希璟は1402年に27歳で科挙に合格して官職を得たが、政争に巻き込まれて1404年に潭陽へと流刑に処された。都から追われた儒学者や、引退した女官らが宮中の食文化を地方に伝えたとの話は各地にあり、確たる資料はないものの、潭陽郡ではトッカルビのルーツとして宋希璟の話が語られる。宋希璟はその後、罪を赦されて中央に戻り、明や日本に外交使節団とした派遣された。1420年には室町幕府の第4代将軍、足利義持にも京都で謁見している。晩年は再び潭陽へと戻り、1446年に71歳で亡くなるまで暮らした。トッカルビを伝えたのが史実とすれば、後の時期である可能性もある。 | ||
| + | |||
| + | === 竹・タケノコ料理 === | ||
| + | *テトンバプチョンシク(竹筒定食/대통밥 정식) | ||
| + | *チュクスンチュオタン(タケノコ入りドジョウ汁/죽순추어탕) | ||
| + | *チュクスンフェ(タケノコの刺身和え/죽순회) | ||
*テナムホットク(竹の粉末入りのお焼き/대나무호떡) | *テナムホットク(竹の粉末入りのお焼き/대나무호떡) | ||
| − | + | ||
| − | + | === ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수) === | |
*ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수) | *ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수) | ||
*ヤッケラン(韓方ゆで卵/약계란) | *ヤッケラン(韓方ゆで卵/약계란) | ||
| − | |||
| − | |||
== 代表的な特産品 == | == 代表的な特産品 == | ||
2026年9月10日 (木) 00:32時点における版
| この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。 |
潭陽郡(タミャングン、담양군)は全羅南道の北部に位置する地域。本ページでは潭陽郡の料理、特産品について解説する。
地域概要
潭陽郡は全羅南道の北部に位置する地域。郡の北部は全羅北道の淳昌郡、東部は全羅南道の谷城郡、南東部は全羅南道の和順郡、南西部は広域市の光州市、西部は全羅南道の長城郡と接する。人口は4万5792人(2022年12月)[1]。
ソウル市からのアクセスは、ソウル高速バスターミナルから潭陽公用ターミナルまで約3時間50分の距離。近隣の光州市からは、光州総合バスターミナル(U・SUARE)から潭陽公用ターミナルまで市外バス、または農漁村バスで40分~1時間の距離である。
食文化の背景
潭陽郡を代表する郷土料理としてトッカルビ(叩いたカルビ焼き/떡갈비)がよく知られる。古くから竹林の豊かな地域であり、竹にちなんだ観光地や工芸品があるほか、タケノコ料理も自慢となっている。栄山江(ヨンサンガン、영산강)沿いには、ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수)などの麺料理を提供する専門店が集まって、潭陽麺通り(タミャン ククスゴリ、담양국수거리)と呼ばれる。麺料理と一緒に味わうヤッケラン(韓方ゆで卵/약계란)も名物のひとつ。
代表的な料理
トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)
- トッカルビ(떡갈비)は、叩いた牛カルビ焼き(「トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)」の項目も参照)。潭陽邑潭州里(タミャンウプ タムジュリ、담양읍 담주리)の「申食堂(신식당)」と、栢洞里(ペクトンニ、백동리)の「徳仁館(덕인관)」が専門店として有名である。
- 1909年創業を掲げる「申食堂」では、「当初は市場でチュオタン(ドジョウ汁/추어탕)などを販売していたが、特別な客を招くときだけトッカルビを七輪で焼いて提供した。これが後に有名となって現在はトッカルビの専門店として営業している」と店の成り立ちを説明する(八田靖史の取材記録より、2011年12月14日)。2012年に韓食財団が発行した『韓国人が愛する老舗の韓食堂(한국인이 사랑하는 오래된 한식당)』では、「創業者のナム・グァンジュ(남광주)氏は16歳のとき結婚して潭陽に来た。料理の腕前が人一倍優れ、結婚から3年も経つと、村での宴会や接待など大きな行事ごとに料理を担当した」[2]と紹介している。創業年の1909年はナム・グァンジュ氏が初めてトッカルビを作った年であり、実際に店を構えたのは1932年で、店名の「申」は2代目を継いだ嫁のシン・グムネ(신금례)氏の姓にちなむ(店の看板より)。
- 歴史
- 朝鮮時代前期の文臣、宋希璟(ソン・ヒギョン、송희경)がトッカルビを伝えたとの逸話がある。宋希璟は1402年に27歳で科挙に合格して官職を得たが、政争に巻き込まれて1404年に潭陽へと流刑に処された。都から追われた儒学者や、引退した女官らが宮中の食文化を地方に伝えたとの話は各地にあり、確たる資料はないものの、潭陽郡ではトッカルビのルーツとして宋希璟の話が語られる。宋希璟はその後、罪を赦されて中央に戻り、明や日本に外交使節団とした派遣された。1420年には室町幕府の第4代将軍、足利義持にも京都で謁見している。晩年は再び潭陽へと戻り、1446年に71歳で亡くなるまで暮らした。トッカルビを伝えたのが史実とすれば、後の時期である可能性もある。
竹・タケノコ料理
- テトンバプチョンシク(竹筒定食/대통밥 정식)
- チュクスンチュオタン(タケノコ入りドジョウ汁/죽순추어탕)
- チュクスンフェ(タケノコの刺身和え/죽순회)
- テナムホットク(竹の粉末入りのお焼き/대나무호떡)
ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수)
- ミョルチグクス(煮干しスープ麺/멸치국수)
- ヤッケラン(韓方ゆで卵/약계란)
代表的な特産品
代表的な酒類・飲料
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
- 徳仁館(덕인관)
- 住所:全羅南道潭陽郡潭陽邑竹香大路1121(栢洞里408-5)
- 住所:전라남도 담양군 담양읍 죽향대로 1121(백동리 408-5)
- 電話:061-381-7881
- 料理:トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き)
- 申食堂(신식당)
- 住所:全羅南道潭陽郡潭陽邑潭州2キル18-13(潭州里67-1)
- 住所:전라남도 담양군 담양읍 담주2길 18-13(담주리 67-1)
- 電話:061-382-9901
- 料理:トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き)
エピソード
脚注
- ↑ 주민등록 인구 및 세대현황 、行政安全部ウェブサイト、2023年1月16日閲覧
- ↑ (재)한식재단, 2012, 『한국인이 사랑하는 오래된 한식당』, 한국외식정보, P48-49
外部リンク
- 関連サイト
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)