チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)

2019年5月1日 (水) 23:38時点におけるHatta (トーク | 投稿記録)による版
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チャジャンミョン짜장면)は、韓国式ジャージャー麺。漢字では「炸醤麺」と書き、チャジャン(炸醤、짜장)は炒め味噌、ミョン(麺、)は麺を意味する。韓国語では「자장면」とも表記する。豚肉、タマネギなどを、チュンジャン(春醤、춘장)という黒味噌とともに炒め、水溶き片栗粉でとろみをつけてチャジャンを作る。これを中華麺にかけて提供し、食べる際は麺とチャジャンがよくからむように、箸で全体をよくかき混ぜて味わう。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされ、韓国ではチャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)と並んで中華料理の代表格として人気が高い。主に中華料理店で食べられるほか、粉食店やフードコートでも提供される。インスタント麺としてもチャジャンミョンは多くの商品が販売されている。チャジャンミョンのバリエーションとしては、カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)や、サムソンチャジャンミョン(3種の海鮮ジャージャー麺、삼선짜장면)、ユニチャジャンミョン(豚ひき肉ジャージャー麺、유니짜장면)、ユスルチャジャンミョン(豚細切り肉ジャージャー麺、유슬짜장면)などがある。また、チャジャンを麺ではなくごはんにかけたものはチャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)と呼ぶ。

歴史

1883年に仁川市で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。彼らの伝えた代表的な中華料理のひとつがチャジャンミョンであり、当初は同胞向けに作って食べたものが、徐々に韓国でもローカライズして浸透した。当時の代表的な中華料理店としては1908年頃に創業した「共和春(공화춘)」があり、1983年に閉店したが、その跡地は現在「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として歴史を伝えている。

  • 共和春
共和春(コンファチュン、공화춘)は、中国・山東省出身の于希光(ウ・ヒグァン、우희광)氏によって開かれた中華料理店。創業年代は1905年と1908年の両説があり(チャジャンミョン博物館では1908年と説明している[1])、当時は「山東会館(산동회관)」という名称の宿泊施設を兼ねた飲食店であった。店名を「共和春」としたのは辛亥革命によって中華民国が誕生した1912年で「共和国の春」という意味が込められている。韓国における中華料理店の草分けとして長らく愛されてきたが、1983年に閉店。同店の建物は2006年4月に登録文化財第246号として指定されたのち[2]、2012年4月に「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として利用されるに至った。なお、現在のチャイナタウンには「共和春」の後継とされる店がふたつある。ひとつは2004年2月に開店した同名の「共和春」で、かつて「共和春」で料理長を務めていた人物を株式会社共和春フランチャイズの代表イ・ヒョンデ(이현대)氏が招聘し新たに始めたものである[3][4]。もうひとつは于希光氏の娘であるウ・ランヨン(우란영)氏と結婚したワン・イビョン(왕입영)氏が、「共和春」での修行を経て1980年に開店した「新勝飯店(신승반점)」である[5]。現在「新勝飯店」の代表はワン・イビョン、ウ・ランヨン夫婦の娘であり、また于希光の孫に当たるワン・エジュ(왕애주)氏が受け継いでおり、店名は異なるもののこちらを直系の後継店と考える人も多い。

脚注

  1. 역사적배경 、チャジャンミョン博物館ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  2. 등록문화재 제246호 인천 선린동 공화춘(共和春) 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2019年5月2日閲覧
  3. 대표인사말 、共和春ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  4. 짜장면의 원조 공화춘, 그 잊혀진 맛을 되살리다 공화춘 이현대 대표 、月刊パワーコリア(2017年2月15日記事)、2019年5月2日閲覧
  5. [주간한국 [이야기가 있는 맛집(289)] ‘신승반점’ 왕애주 대표] 、デイリー韓国(2017年8月19日記事)、2019年5月2日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目