「漆谷郡の料理」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
10行目: 10行目:
  
 
*倭館邑
 
*倭館邑
:倭館邑(ウェグァヌプ、왜관읍)は、郡中央部から南部に位置する町。漆谷郡庁や京釜線の倭館駅があり、地域の中心的な役割を担っている。倭館(ウェグァン、왜관)とは、朝鮮時代の日本人居留地を意味し、現在の[[釜山市の料理|釜山市]]にかつてあった富山浦(プサンポ、부산포)、[[昌原市の料理|昌原市]]の乃而浦(ネイポ、내이포)、[[蔚山市の料理|蔚山市]]の塩浦(ヨムポ、염포)を三浦(サムポ、삼포)と呼んで有名である。倭館邑は洛東江沿いにあって水上交通の要衝地であったため、内陸地域ながらも倭館があったと伝わっている。ただし、地名として定着したのは20世紀に入ってからで、1905年に京釜線の倭館駅が設置されたのがきっかけであった<ref>[日本の蔑称・倭館がなぜ地名に残っているのか? その歴史を紐解くと驚きの事実が…] 、産経新聞(2016年5月29日記事)、2026年2月17日閲覧</ref>。
+
:倭館邑(ウェグァヌプ、왜관읍)は、郡中央部から南部に位置する町。漆谷郡庁や京釜線の倭館駅があり、地域の中心的な役割を担っている。倭館(ウェグァン、왜관)とは、朝鮮時代の日本人居留地を意味し、現在の[[釜山市の料理|釜山市]]にかつてあった富山浦(プサンポ、부산포)、[[昌原市の料理|昌原市]]の乃而浦(ネイポ、내이포)、[[蔚山市の料理|蔚山市]]の塩浦(ヨムポ、염포)を三浦(サムポ、삼포)と呼んで有名である。倭館邑は洛東江沿いにあって水上交通の要衝地であったため、内陸地域ながらも倭館があったと伝わっている。ただし、地名として定着したのは20世紀に入ってからで、1905年に京釜線の倭館駅が設置されたのがきっかけであった<ref>[https://www.sankei.com/article/20160529-UONSMOKDQNK2DGOBDGDEDVRYOA/ 日本の蔑称・倭館がなぜ地名に残っているのか? その歴史を紐解くと驚きの事実が…] 、産経新聞(2016年5月29日記事)、2026年2月17日閲覧</ref>。
  
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
32,875

回編集

案内メニュー