「漆谷郡の料理」の版間の差分

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*旧・漆谷邑
 
*旧・漆谷邑
 
:かつて漆谷郡の中心地域は漆谷邑(チルゴクウプ、칠곡읍)地区にあったが、1981年に邑全体が[[大邱市の料理|大邱市]]へと編入された。その後、漆谷洞(チルゴクトン、칠곡동)と改称したが、2003年に他地域と統合されて行政区域としての漆谷という名称は失われている。
 
:かつて漆谷郡の中心地域は漆谷邑(チルゴクウプ、칠곡읍)地区にあったが、1981年に邑全体が[[大邱市の料理|大邱市]]へと編入された。その後、漆谷洞(チルゴクトン、칠곡동)と改称したが、2003年に他地域と統合されて行政区域としての漆谷という名称は失われている。
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*倭館邑
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:倭館邑(ウェグァヌプ、왜관읍)は、郡中央部から南部に位置する町。漆谷郡庁や京釜線の倭館駅があり、地域の中心的な役割を担っている。倭館(ウェグァン、왜관)とは、朝鮮時代の日本人居留地を意味し、現在の[[釜山市の料理|釜山市]]にかつてあった富山浦(プサンポ、부산포)、[[昌原市の料理|昌原市]]の乃而浦(ネイポ、내이포)、[[蔚山市の料理|蔚山市]]の塩浦(ヨムポ、염포)を三浦(サムポ、삼포)と呼んで有名である。倭館邑は洛東江沿いにあって水上交通の要衝地であったため、内陸地域ながらも倭館があったと伝わっている。ただし、地名として定着したのは20世紀に入ってからで、1905年に京釜線の倭館駅が設置されたのがきっかけであった<ref>[日本の蔑称・倭館がなぜ地名に残っているのか? その歴史を紐解くと驚きの事実が…] 、産経新聞(2016年5月29日記事)、2026年2月17日閲覧</ref>。
  
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
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