トミミョン(真鯛と麺の宮中式鍋/도미면)

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トミミョン

トミミョン도미면)は、真鯛と麺の宮中式鍋。

概要

トミ(도미)はマダイ(真鯛)。ミョン()は麺。マダイと麺を用いた鍋料理を指す。作り方としては、まず丸ごとのマダイを用意し、頭と尻尾を残したまま三枚におろして身だけをチョン(チヂミ/전)にする。これをマダイのアラに戻し、茹でた牛肉の薄切り、シイタケ、イワタケ、セリ、薄焼き卵などの具とともに、牛肉ダシのスープで煮込む。また、素麺かまたは春雨を加える。宮中料理のひとつであるが、宮中料理店や韓定食店においてもなかなか見ることのない特別な料理である。

  • スンギアクタン(勝妓楽湯)
朝鮮半島の芸妓を妓生(キセン、기생)と呼び、「妓生にも勝る楽しみの鍋」という意味から、トミミョンはスンギアクタン(勝妓楽湯、승기악탕)とも呼ばれる。ただし、スンギアクタンという料理自体は文献によって鶏鍋として登場したり、あるいはボラを使った鍋を指すこともある。

歴史

文献上の記録

  • 『朝鮮料理学』(1940年)の記述
洪善杓(ホン・ソンピョ、홍선표)が1940年に書いた『朝鮮料理学(조선요리학)』に、スンギアクタン(勝妓楽湯、승기악탕)の紹介がある。料理名には丸ガッコでトミチム(タイ蒸し、도미찜)と補足がある。料理法とともに、料理の由来について以下のように記している。
「その昔、成宗(ソンジョン、성종、朝鮮王朝の第9代王)の時代に、明から咸鏡道一帯を辺境の蛮族がたびたび侵入して苦しめたので、近隣の民はもちろん国でも常に心配をしていた。あれこれと対策を考えた末、許琮(ホ・ジョン、허종)を遣わして義州(ウィジュ、의주)に営門を設立して兵士を置くようにした。朝鮮辺境の各所に軍営を6ヶ所も置き、六鎮という名称で呼んだ。義州にも陣営を置いて許琮に統率させた。初めて許琮が兵士を率いて義州に到着したとき、民たちは何年も蛮族の侵入に苦しんでいたため、自分たちを救ってくれる許琮をたいへん歓迎した。あまりにも喜ばしく、多くの人が相談して特別な食べ物を作って許琮に捧げることにした。タイに様々な具を足して、特別に美味しくなるよう作って捧げたところ、賑やかな都で生まれ育った許宗でもこのような食べ物は初めてだった。そばにいた人に料理の名前を尋ねたところ、この食べ物は許琮のために初めて作ったので名前はないとのことだった。許琮は元来、音楽と美女を好んだが、タイの味がたいそう素晴らしいと考え、風流や美女よりもよいという意味から勝妓薬湯と名付けた。それが今日まで伝わっている」[1]【原文1】
【原文1】「엣날 成宗時明나라로부터 咸鏡道一境을 邊方오랑개들이 時時로 侵入하여 못살게구는고로 其處百姓들은 勿論政府에서도 늘-근심으로 지내 내려오다가 여러가지로 生覺한 바 許琮이란 이로하여금 義州營門을 設立하고 軍士를두게되어 其時로말하면 일로부터 朝鮮邊方重要處에 軍營을 여섯군대나 두게되여 六鎭이라는名稱으로 두게되었는대 義州에도 鎭營을 두게되어 許琮으로하여금 統率케되었든것이다. 처음으로 許琮이 軍士를거느리고 義州에 이르럿드니 그곳百姓들은 여러해를두고 오랭개의 侵入으로因하여 못살게되든지경에 있든中에 자기네들을 救하여줄 許琮을 얼마나 歡迎하였으랴. 너무나 깃거운마음에 여러사람들의 議論으로 特別한飮食을만들어 許琮사투의게 드리려고 道尾에가진고명을하여 아모조록 맛있도록만들어 밧치였든바 許琮은 아모리繁華한 京城生長이지만은 이러한飮食은 처음먹게되는터이라 옆에있든사람에게 飮食이름을무럿드니 그百姓들의對答은 이러하다 이번 이飮食은 사투를爲하여 처음으로 만들었는고로 이름조차없다고하는것이다. 사투는 本來 音樂과美女를 좋와하든터이다. 그러나 이도미맛이란 果然훌륭하다고생각하며 풍류와 게집보다도 오히려 낫따는意味로 勝妓藥湯이라고하라고 하여 그때부터 오날날가지 내려오는말이다」

脚注

  1. 洪善杓, 1940年, 『朝鮮料理學』, 朝光社, P181-182

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目