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:朝鮮時代前期の医官、全循義(チョン・スニ、전순의)によって1460年に書かれた食餌療法書『食療纂要(신이찬요)』には「餅」と「炙」の字が並んでいる箇所がある。「餅炙」をトッポッキのルーツと考える場合、この記録を最古とする見解が多く見られる。同書では痔病治療の一環として、下血が止まらない場合の食事として、「キジ1羽を細切りにし、小麦粉をまぶして、塩、山椒、長ネギと和え、餅を作って焼き、酢につけて食べる(野雞一隻 治如食法  細切 着小麪 并鹽椒葱白調和 溲作餠 炙熟 和醋食之)」<ref>[https://mediclassics.kr/books/38/volume/1 食療纂要 > 諸痔 附膓風痔瘻 三十二 >  治痔氣下〓〓〓無力.32.10] 、韓医学古典データベース、2022年3月12日閲覧</ref>としている。この記述は9世紀頃に中国で書かれた『食医心鑑』の内容をもとにしている。
 
:朝鮮時代前期の医官、全循義(チョン・スニ、전순의)によって1460年に書かれた食餌療法書『食療纂要(신이찬요)』には「餅」と「炙」の字が並んでいる箇所がある。「餅炙」をトッポッキのルーツと考える場合、この記録を最古とする見解が多く見られる。同書では痔病治療の一環として、下血が止まらない場合の食事として、「キジ1羽を細切りにし、小麦粉をまぶして、塩、山椒、長ネギと和え、餅を作って焼き、酢につけて食べる(野雞一隻 治如食法  細切 着小麪 并鹽椒葱白調和 溲作餠 炙熟 和醋食之)」<ref>[https://mediclassics.kr/books/38/volume/1 食療纂要 > 諸痔 附膓風痔瘻 三十二 >  治痔氣下〓〓〓無力.32.10] 、韓医学古典データベース、2022年3月12日閲覧</ref>としている。この記述は9世紀頃に中国で書かれた『食医心鑑』の内容をもとにしている。
  
;承政院日記(1751年)の記録
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;『承政院日記』(1751年)の記録
 
:朝鮮時代の宮中にて王命による出納などをまとめた『承政院日記(승정원일기)』(英祖27年閏5月2日)には、第21代王の英祖(영조)が「母は截片(チョルピョン、[[절편]]?)や餠炙を好む(慈聖截片餅炙者嗜之)」<ref>[http://sjw.history.go.kr/id/SJW-F27051020-02500 승정원일기 영조 27년 윤 5월 2일] 、国史編纂委員会ウェブサイト、2022年3月13日閲覧</ref>と語った記録が残っている。英祖の母とは、第19代王の粛宗(숙종)の側室であり、英祖の生母である淑嬪崔氏(トンイ)である。
 
:朝鮮時代の宮中にて王命による出納などをまとめた『承政院日記(승정원일기)』(英祖27年閏5月2日)には、第21代王の英祖(영조)が「母は截片(チョルピョン、[[절편]]?)や餠炙を好む(慈聖截片餅炙者嗜之)」<ref>[http://sjw.history.go.kr/id/SJW-F27051020-02500 승정원일기 영조 27년 윤 5월 2일] 、国史編纂委員会ウェブサイト、2022年3月13日閲覧</ref>と語った記録が残っている。英祖の母とは、第19代王の粛宗(숙종)の側室であり、英祖の生母である淑嬪崔氏(トンイ)である。
  
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