「ネンミョン(冷麺/냉면)」の版間の差分
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:ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。 | :ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。 | ||
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+ | :朝鮮戦争によって多くの人が釜山へと避難した。休戦後もそのまま釜山に留まった人たちは多く、釜山では北部地域の出身者が当時、米軍からの救援物資などで入手のしやすかった小麦粉を用いてネンミョンを作った。これを[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]と呼び、現在は釜山では郷土料理として親しまれている。その発祥は諸説あるが、1953年に釜山の牛巌洞でオープンした「ネホ冷麺(내호냉면)」が元祖格として知られる。 | ||
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2017年2月4日 (土) 07:58時点における版
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ネンミョン(냉면)は、冷麺。麺を冷たいスープに入れて食べるか、または辛い薬味ダレと絡めて味わう。前者をムルネンミョン(冷麺/물냉면)、後者をピビムネンミョン(混ぜ冷麺/비빔냉면)とも呼ぶ。韓国では主に専門店で食べられるほか、焼肉店では食事メニューとしても提供される。現在は北朝鮮に位置する平壌(ピョンヤン)、咸興(ハムン)が本場とされ、韓国においてもこれら地域の出身者やその子孫らが専門店を営んでいることが多い。
名称
ネンミョンは漢字で「冷麺」と書き、朝鮮半島で食べられている冷たい麺料理を指す。北朝鮮では同様の漢字語をレンミョン(랭면)と発音するか、またはククス(麺、국수)と呼ぶことも多い。日本では冷麺(れいめん)と呼ばれることも多いが、本辞典では「ネンミョン」を使用する。発音表記は[냉면]。
概要
ネンミョンはそば粉、でんぷん(サツマイモ、ジャガイモ、緑豆など)を原料とし、押し出し式(生地に圧力をかけて小さな穴から押し出す方式)で麺を作るのが大きな特徴である。麺を冷たいスープに入れて食べるムルネンミョンと、辛い薬味ダレと絡めて食べるピビムネンミョンに大別される。そのほか具や麺の原料によって、さまざまな種類の冷麺が存在する。もともとは朝鮮半島の北部で盛んに作られた料理であり、現在は北朝鮮に位置する平壌、咸興の2地域が本場とされる。平壌式では麺をそば粉中心で作り、咸興式ではでんぷんを主体として麺を作るとの違いがある。これらを平壌冷麺(ピョンヤンネンミョン、평양냉면)、咸興冷麺(ハムンネンミョン、함흥냉면)とも呼び分ける。具には茹でた牛肉や豚肉の薄切り、大根、キュウリ、ゆで卵、梨などが載る。
ムルネンミョン
ムルネンミョン(물냉면)は、冷たいスープに麺を入れて味わうネンミョン(「ムルネンミョン(冷麺/물냉면)」の項目も参照)。ムル(물)は水を意味する。本来は発音変化によってムルレンミョン(発音表記は[물랭면])と発音される。スープは牛骨、牛肉、豚肉、鶏肉(またはキジ肉)などを煮込んで作る場合や、ムルキムチ(水キムチ/물김치)、トンチミ(大根の水キムチ/동치미)を主体とする場合、あるいはそれらを混ぜ合わせたものが代表的である。味付けには塩、醤油、酢、砂糖などを用い、店によっては韓方材を加えることもある。
ピビムネンミョン
ピビムネンミョン(비빔냉면)は、辛い薬味ダレを麺と絡めて味わうネンミョン(「ピビムネンミョン(混ぜ冷麺/비빔냉면)」の項目も参照)。ピビム(비빔)は混ぜるという動詞の名詞形。薬味ダレは粉唐辛子、醤油、ゴマ油、砂糖、ニンニク、ネギなどを混ぜ合わせて作り、店によっては果物の汁などを混ぜることもある。
平壌冷麺と咸興冷麺
ネンミョンはもともと北部地域の郷土料理であり、現在は北朝鮮に位置する平壌、咸興の2地域が有名である。平壌冷麺はそば粉を主として麺を作るのが特徴であり、咸興冷麺に比べて麺はやや太めであるが、コシは強くとも噛み切れないほどではなく、ぷっつりと心地よい食感を残す程度である。対して、咸興冷麺はジャガイモやサツマイモのでんぷんだけで麺を作り、極細の麺でありながらも噛み切るのが容易でなく、むしろその強靭なコシを楽しむのが粋とされる。咸興においてはノンマグクス(농마국수)と呼ばれることも多く、ノンマ(농마)はでんぷん(녹말)の咸鏡道方言、グクス(국수)は麺を意味する。
- 南北における認識の違い
- 韓国においては麺の原材料だけでなく、平壌冷麺はムルネンミョンを主体とし、咸興冷麺はピビムネンミョンを主体とするとの認識が一般的である。ただし、本場である北朝鮮では事情が異なり、韓食ペディアの執筆者である八田靖史の調査によれば、平壌在住のガイド、咸興在住の旅行社スタッフ、咸興でもっとも有名な冷麺店の「新興館」店員にそれぞれ確認したところ、咸興冷麺もスープのあるムルネンミョンが主流であるとの回答を得た[1]。もちろんピビムネンミョンが存在しない訳ではなく、平壌でも咸興でもピビムネンミョンは食べることができる。また一連の報告は八田靖史著『食の日韓論 ボクらは同じものを食べている』(三五館)にも詳しい[2]。
食べ方
- ハサミ
- ネンミョンの麺はたいへんコシが強いため、とくにでんぷんだけで作る麺の場合は、容易に噛み切れない場合も多い。事前に飲み込みやすい長さにしておくため、韓国の飲食店では提供時に店員がハサミで麺を切ってくれる場合や、最初からハサミが卓上に用意されている場合が多い。ただし、北朝鮮においては麺を切ることは人の縁を切ることに通ずると避ける場合が多く、韓国においても冷麺通の間ではハサミの利用は邪道とされる風潮がある。
- 酢とカラシ
- 飲食店の卓上には酢とカラシが用意され、客が好みでこれらを入れて味わう。
歴史
文献上の記録
ネンミョンに関する文献上の記録は17世紀頃から見られ、19世紀以降にその数がぐっと増える。
- 『谿谷集』(1635年)の記述
- 張維によって書かれた『谿谷集』27巻には「紫漿冷麺」と題された五言律詩がある[3]。冷麺に関する文献上の記録としてはもっとも古く、朝鮮時代中期にはネンミョンが一般的な料理であったと推測される。
- 『増補山林経済』(1766年)の記述
- 17世紀末から18世紀初めにかけて洪萬選(1643~1715年)が編纂した『山林経済』には、「木麦麺法」として木製の押し出し機で作るそば麺の製法が次のように紹介されている。「粉にしたそばに水をかけて殻を取り、布の上に広げて天日で干し、そば粉1斗を準備する。皮をむいた緑豆2升を普通のやり方で粉にする。細い製麺機で押し出して白い麺を作ると味がよい。または細かくひいたそば粉に水をよく混ぜて生地を作り、包丁で切ってもよい」(原文1)。この時代にはすでに押し出し式で作る麺が普及していることがわかる。
- 【原文1】「木麥取米作末,水飛鋪布上晒乾一斗,去皮菉豆二升作末如常法,細板壓作白麵味勝,或作末搜水刀切作麫亦佳」[4]。
- 『東国歳時記』(1849年)の記述
- 洪錫謨によって1849年に書かれた『東国歳時記』には、当時の歳時風俗が月ごとにまとめられており、11月の項目にはネンミョンに関する記述がある。文献上におけるネンミョンの記録はこれが初出とされる。「そば麺を大根キムチや白菜キムチを加え、豚肉と和えたものを冷麺と呼ぶ。また、いろいろな野菜や梨、栗、牛肉、豚肉と、油と醤油をそば麺に入れたものを骨董麺と呼ぶ。冷麺は関西地方のものがもっともよい」(原文2)と書かれており、冷麺が冬の季節料理であったことに加え、現在のピビムネンミョンに相当する骨董麺(골동면)の存在も見てとれる。もっともよいと書かれた関西地方は、現在の平壌あたりを指すもので、この時代から平壌冷麺の評判が高かったことを示す。
- 【原文2】「用蕎麥麵 沈菁菹菹 和猪肉 名曰冷麵 又和雜菜梨栗牛猪切肉 油醬於麵 名曰骨董麵 關西之麵最良」[5]
- 『是議全書』(1800年代後半)の記述
- 1800年代後半に書かれた『是議全書』(原著者不詳)の麺部という項目にはネンミョン(原文では令麺)、ピビムネンミョン(原文では汨董麺、부븸국슈)、チャンクッネンミョン(原文では장국냉면、肉スープの冷麺を意味する)の調理法が紹介されている。それぞれの記述は以下の通りである。
- ネンミョン「澄んでさっぱりとしたナバッキムチ(ダイコンを薄く切り多目の塩水でつけたキムチ、나박김치)や、よくできたトンチミ(大根の水キムチ/동치미)の汁に蜂蜜を足し、麺を入れて味わう。上には牛肩バラ肉、梨、丸ごと漬けた白菜キムチの3種をすべて千切りにして載せ、粉唐辛子と松の実を振る」(原文3)
- ピビムネンミョン「牛肉は細かく刻んだ後、薬味ダレに漬けて炒め、緑豆モヤシとセリは下茹でする。ムク(緑豆などのでんぷんを固めたもの、묵)を和え、薬味ダレを整えておき、麺を混ぜて器に盛り付ける。上には肉を炒めたものと、粉唐辛子と、すりごまを振りかけるが、食卓に供する際には澄まし汁を一緒に置く」(原文4)
- チャンクッネンミョン「肉の澄まし汁を冷やして麺を加える。上には塩でさっと漬けてキュウリを洗って絞り、さっと炒めてすりゴマ、粉唐辛子、油、醤油で和えて、細切りにした牛肩バラ肉と一緒に混ぜて載せる。また、その上には糸唐辛子、イワタケ、錦糸卵を載せる。エホバク(カボチャの未熟果実、애호박)もキュウリと同じく炒める」(原文5)
- 【原文3】「청신한 나박김치나 좋은 동침이 국에 꿀을 넣어 말아 먹는다. 위에는 양지머리·배·좋은 통김치 세 가지를 모두 채쳐서 얹고 고춧가루와 잣을 뿌린다.」
- 【原文4】「쇠고기는 다진 후 양념에 재워서 볶고, 숙주와 미나리는 삶는다. 묵을 무치고 양념을 갖추어 넣고, 국수를 비벼 그릇에 담는다. 위에는 고기 볶은 것과 고춧가루와 깨소금을 뿌리는데 상에 낼 때에는 장국을 함께 놓는다.」
- 【原文5】「고기장국을 끓여 싸늘하게 식혀서 국수를 만다. 위에는 외를 채쳐 소금에 잠깐 절였다가 헹구어 짠 다음에 살짝 볶아 깨소금·고춧가루·유장에 무치고 양지머리 채 친 것을 같이 섞어 얹는다. 또 그 위에는 실고추·석이·달걀 부친 것을 채쳐서 얹는다. 호박도 외와 같이 볶는다.」[6]
- 『婦人必知』(1915年)の記述
- 憑虚閣李氏によって1915年に書かれた『婦人必知』では、1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」のネンミョンを紹介している。「トンチミの汁に麺を入れる。大根、梨、柚子を薄切りにして入れ、薄切りの茹で豚と、錦糸卵を載せる。コショウ、梨、松の実を入れると、明月館冷麺と呼ぶ」(原文6)と記述されており、飲食店のレシピを紹介したものとしてはこれが初めてである。
- 【原文6】「동치밋국에 국수를 만다. 무, 배, 유자를 얇게 저며 넣고, 제육을 썰고 달걀을 부쳐 채 썰어 넣는다. 후추, 배, 잣을 넣으면 명월관냉면이라 한다.」[7]
開化期から日本統治時代
朝鮮半島では19世紀末から民間の飲食店が普及し始め、20世紀に入ると冷麺店も誕生した。
- 韓福眞の報告
- 韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にあったという敦義洞の「東洋楼」という店を紹介している[8]。
- 文一平の日記
- 独立運動家であり歴史学者でもある文一平は、朝鮮日報の編集顧問として在籍していた1934年当時の日記を残している。1年分の日記には飲食にかかわる記述が多く、中でもネンミョンに触れた日は合計で17日分ある。日記内ではネンミョンを食べた店として「又春屋」、「真平屋」の名前があがっている。月別に見ると12月が5回ともっとも多く、次いで4月が3回、6、8、9月には登場せず残りの月は1~2回である[9]。
1940年代
- 又来屋の事例
- ソウル市中区舟橋洞に位置する「又来屋(우래옥)」は1946年創業で、現存する韓国の冷麺店としてはもっとも古い。
1950年代
朝鮮戦争(1950~1953)によって北部から避難してきた人や、その子孫らが韓国で冷麺店を多く営んでいる。
- 五壮洞冷麺通りの形成
- ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。
- 釜山におけるミルミョンの誕生
- 朝鮮戦争によって多くの人が釜山へと避難した。休戦後もそのまま釜山に留まった人たちは多く、釜山では北部地域の出身者が当時、米軍からの救援物資などで入手のしやすかった小麦粉を用いてネンミョンを作った。これをミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)と呼び、現在は釜山では郷土料理として親しまれている。その発祥は諸説あるが、1953年に釜山の牛巌洞でオープンした「ネホ冷麺(내호냉면)」が元祖格として知られる。
種類
ネンミョンには次のような種類がある。
- ムルネンミョン(물냉면)
- 冷たいスープに麺を入れたネンミョン
- ピビムネンミョン(비빔냉면)
- 辛い薬味ダレを麺と和えて食べるネンミョン
- チンネンミョン(칡냉면)
- 葛粉を麺に加えたネンミョン
- ミルネンミョン(밀냉면)
- 小麦粉を原料としたネンミョン。ミルミョン(밀면)とも呼ぶ。
- フェネンミョン(회냉면)
- エイやカレイ、スケトウダラなどの刺身を具としたネンミョン
日本における定着
エピソード
地域
脚注
- ↑ 北朝鮮報告(1)~平壌、開城、元山、咸興の各地域を食べ歩いてきました。 、韓食生活、2015年5月7日閲覧
- ↑ 八田靖史, 2016, 『食の日韓論 ボクらは同じものを食べている』, 三五館, P174-216
- ↑ 계곡집 、한국문집총간、2017年2月4日閲覧
- ↑ 메밀국수 、한국전통지식포탈、2017年2月4日閲覧
- ↑ 최대림(약), 1989, 『동국세시기』, 홍신문화사, P121
- ↑ 이효지 외(엮음), 2004,『시의전서』, 신광출판사, P187
- ↑ 이효지 외(엮음), 2010,『부인필지』, 교문사, P192~193
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311
- ↑ 문일평 지음, 이한수 옮김, 2008, 『문일평 1934년』, 산림출판사, P21-166