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*朝鮮戦争の影響 | *朝鮮戦争の影響 | ||
| − | : | + | :朝鮮戦争が始まってすぐに[[ソウル市の料理|ソウル市]]が陥落すると、韓国政府は首都機能を[[大田市の料理|大田市]]、[[大邱市の料理|大邱市]]へと後退させ、1950年8月からは[[釜山市の料理|釜山市]]に移した。ソウルを奪還した一時期を除き、休戦まで期間はほとんど釜山市が臨時首都を担ったため、多くの避難民が集まった。中でも1950年12月の興南撤収作戦(映画『国際市場で逢いましょう』に描かれたことでも有名)では、北東部の咸鏡道(ハムギョンド、함경도)から約10万人が釜山市や近隣の[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[巨済市の料理|巨済市]]に逃れてきている。その後、休戦協定が結ばれて南北が分断されると、そのまま故郷に帰れない人が続出した。北部出身者の一部は生計を立てるために郷土料理を提供する飲食店を始め、料理のいくつかは独自の工夫が加えられながら釜山市の郷土料理として定着するに至った。[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]や[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]が象徴的な存在である。 |
*日本の影響 | *日本の影響 | ||