「カムジャタン(ジャガイモ鍋/감자탕)」の版間の差分

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== 名称 ==
 
== 名称 ==
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[[ファイル:25022801.JPG|300px|thumb|市場で売られている豚の背骨]]
 
カムジャタンのカムジャ([[감자]])は、ジャガイモ。タン([[탕]])は鍋料理の意。老舗店ではカムジャクッ([[감자국]])と呼ぶこともある。日本ではガムジャタン、カンジャタン、ガンジャタンなどの表記も見かけるが、本辞典においては「カムジャタン」を使用する。発音表記は[감자탕]。
 
カムジャタンのカムジャ([[감자]])は、ジャガイモ。タン([[탕]])は鍋料理の意。老舗店ではカムジャクッ([[감자국]])と呼ぶこともある。日本ではガムジャタン、カンジャタン、ガンジャタンなどの表記も見かけるが、本辞典においては「カムジャタン」を使用する。発音表記は[감자탕]。
  
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== 概要 ==
 
== 概要 ==
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[[ファイル:25022802.JPG|300px|thumb|カムジャタン専門店の厨房。仕上げの段階で注文が入ったら鍋に盛って提供する]]
 
カムジャタンは、豚の背骨([[등뼈]])を長ネギ、ニンニク、ショウガなどの香味野菜とともに長時間煮込み、塩、粉唐辛子、味噌([[된장]])などで味付けをしてスープを作る。具には煮込んだ豚の背骨に加え、下茹でをしたジャガイモを入れる。店によって、ウゴジ(白菜の外葉、[[우거지]])、シレギ(大根の干し葉、[[시래기]])、エゴマの葉([[깻잎]])などの野菜を足したり、エゴマの粉([[들깨가루]])や刻みネギをあしらったりすることもある。ごはんを添えて食事の主菜とするほか、[[ソジュ(焼酎/소주)|焼酎]]に合わせる酒肴としても人気が高い。
 
カムジャタンは、豚の背骨([[등뼈]])を長ネギ、ニンニク、ショウガなどの香味野菜とともに長時間煮込み、塩、粉唐辛子、味噌([[된장]])などで味付けをしてスープを作る。具には煮込んだ豚の背骨に加え、下茹でをしたジャガイモを入れる。店によって、ウゴジ(白菜の外葉、[[우거지]])、シレギ(大根の干し葉、[[시래기]])、エゴマの葉([[깻잎]])などの野菜を足したり、エゴマの粉([[들깨가루]])や刻みネギをあしらったりすることもある。ごはんを添えて食事の主菜とするほか、[[ソジュ(焼酎/소주)|焼酎]]に合わせる酒肴としても人気が高い。
  
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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
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[[ファイル:25022803.JPG|300px|thumb|1970年代に創業した老舗店のカムジャタン]]
 
カムジャタンの歴史ははっきりとした記録がなく、いつから食べられているのかは不明である。語り手によって三国時代から紐解く場合もあるが、ジャガイモの伝来が19世紀前半であることを考えると、さすがに無理があると言わざるをえない。19世紀末から20世紀初頭にかけて発達したとの説が有力とされるが、それを裏付ける資料は乏しく、具体的な情報は1950年代まで待たなければならない。以下に詳述するが、類似の料理である[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]が普及したのち、具としてジャガイモを加える工夫が生まれ、これがカムジャタンと呼ばれて独立していったのではないかと推測される。1970~80年代には、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の各地に専門店ができて広まった。
 
カムジャタンの歴史ははっきりとした記録がなく、いつから食べられているのかは不明である。語り手によって三国時代から紐解く場合もあるが、ジャガイモの伝来が19世紀前半であることを考えると、さすがに無理があると言わざるをえない。19世紀末から20世紀初頭にかけて発達したとの説が有力とされるが、それを裏付ける資料は乏しく、具体的な情報は1950年代まで待たなければならない。以下に詳述するが、類似の料理である[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]が普及したのち、具としてジャガイモを加える工夫が生まれ、これがカムジャタンと呼ばれて独立していったのではないかと推測される。1970~80年代には、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の各地に専門店ができて広まった。
  
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=== ジャガイモの伝来 ===
 
=== ジャガイモの伝来 ===
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[[ファイル:25022804.JPG|300px|thumb|市場で売られているジャガイモ]]
 
:朝鮮半島にジャガイモ([[감자]])が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷([[북저]])」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2536029/1/61 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧</ref>と記録している。関北は[[北朝鮮の料理|咸鏡道]]を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
 
:朝鮮半島にジャガイモ([[감자]])が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷([[북저]])」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2536029/1/61 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧</ref>と記録している。関北は[[北朝鮮の料理|咸鏡道]]を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
  
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:<pre>【訳文】全羅北道の淳昌(スンチャン、순창)で韓方薬局を営む韓方医の息子として生まれたハン・ドンギル(한동길)は、父の影響で韓方医学を学んでいたところ、1894年の東学農民運動に巻き込まれ、仁川に移住することになりました。傾いた一家の生計を立てるために、京仁鉄道会社の人夫として働いていたハン・ドンギルは、食事も抜いたまま作業していた人夫たちのために、持ち合わせていた韓医学の知識を活用し、もっとも安価な材料だった菜っ葉、ジャガイモ、豚の背骨を利用したスープを作って労働者たちに提供しました。栄養価が高く、健康によい、豚の背骨とジャガイモの鍋は人気を得て、1900年に漢江鉄橋の工事が大詰めを迎えた鷺梁津の近くで、飯場を本格的に運営し始めました。【原文1】※丸カッコ内は訳注
 
:<pre>【訳文】全羅北道の淳昌(スンチャン、순창)で韓方薬局を営む韓方医の息子として生まれたハン・ドンギル(한동길)は、父の影響で韓方医学を学んでいたところ、1894年の東学農民運動に巻き込まれ、仁川に移住することになりました。傾いた一家の生計を立てるために、京仁鉄道会社の人夫として働いていたハン・ドンギルは、食事も抜いたまま作業していた人夫たちのために、持ち合わせていた韓医学の知識を活用し、もっとも安価な材料だった菜っ葉、ジャガイモ、豚の背骨を利用したスープを作って労働者たちに提供しました。栄養価が高く、健康によい、豚の背骨とジャガイモの鍋は人気を得て、1900年に漢江鉄橋の工事が大詰めを迎えた鷺梁津の近くで、飯場を本格的に運営し始めました。【原文1】※丸カッコ内は訳注
  
:【原文1】전라북도 순창에서 한약방을 운영하던 한의사의 아들로 태어난 한동길은 부친의 영향으로 한의학 교육을 받던 중 1894년 동학농민운동에 휘말려 인천으로 이주하게 되었습니다. 가문이 기울고 일가의 생계를 위해 경인철도 회사의 인부로 일하던 한동길은 끼니도 거른 채 작업하던 인부들을 위해 평소에 갖고 있던 한의학 지식을 활용하여 가장 싼재료였던 시래기, 감자, 돼지뼈를 이용한 탕국을 만들어 노동자들에게 제공하게 되었는데 영양가가 높고 건강에 좋은 통뼈 감자탕이 인기를 얻게 되어 1900년 한강철교 공사가 막바지에 이른 노량진 근처에서 함바집을 본격적으로 운영하기 시작했습니다.<ref>김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P80~82</ref></pre>
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:【原文1】전라북도 순창에서 한약방을 운영하던 한의사의 아들로 태어난 한동길은 부친의 영향으로 한의학 교육을 받던 중 1894년 동학농민운동에 휘말려 인천으로 이주하게 되었습니다. 가문이 기울고 일가의 생계를 위해 경인철도 회사의 인부로 일하던 한동길은 끼니도 거른 채 작업하던 인부들을 위해 평소에 갖고 있던 한의학 지식을 활용하여 가장 싼재료였던 시래기, 감자, 돼지뼈를 이용한 탕국을 만들어 노동자들에게 제공하게 되었는데 영양가가 높고 건강에 좋은 통뼈 감자탕이 인기를 얻게 되어 1900년 한강철교 공사가 막바지에 이른 노량진 근처에서 함바집을 본격적으로 운영하기 시작했습니다.</pre><ref>김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P80~82</ref>
  
 
:同店の名前は上記のハン・ドンギルから取ったと見られ、内容もたいへん具体的ではあるが、ウェブサイトに書かれていた以上の情報は現状として見つけることができず、実質的に検証が不可能である。裏付けの調査は今後の課題と言える。
 
:同店の名前は上記のハン・ドンギルから取ったと見られ、内容もたいへん具体的ではあるが、ウェブサイトに書かれていた以上の情報は現状として見つけることができず、実質的に検証が不可能である。裏付けの調査は今後の課題と言える。
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=== 1950年代 ===
 
=== 1950年代 ===
 
;『東亜日報』(1958年)の記述
 
;『東亜日報』(1958年)の記述
:1958年6月29日の『東亜日報』には、児童文学作家の馬海松(マ・ヘソン、마해송)によるコラム「趣味の妙境(3)珍食」が掲載されており、自身がよく行く店として「タグィチプ([[따귀집]])」(=[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]の専門店)を紹介している。文中では「肉をはがした豚骨だけを、夏であればジャガイモと、煮るというよりも煮込んだスープの鍋に、50ファン(当時の通貨単位)の薬酒が長安第一である」【原文2】<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1958062900209106004 趣味의妙境(3)珍食] 、NAVERニュースライブラリー、2025年2月25日閲覧</ref>と述べており、豚骨を煮込んだスープにジャガイモを入れた例としては、これが初出と見られる。
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:1958年6月29日の『東亜日報』には、児童文学作家の馬海松(マ・ヘソン、마해송)によるコラム「趣味の妙境(3)珍食」が掲載されており、自身がよく行く店として「タグィチプ([[따귀집]])」(=[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]の専門店)を紹介している。文中では「肉をはがした豚骨だけを、夏であればジャガイモと、煮るというよりも煮込んだスープの鍋に、50ファン(当時の通貨単位)の薬酒が長安第一である」【原文2】<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1958062900209106004 趣味의妙境(3)珍食] 、NAVERニュースライブラリー(東亜日報1958年6月29日記事)、2025年2月25日閲覧</ref>と述べており、豚骨を煮込んだスープにジャガイモを入れた例としては、これが初出と見られる。
  
 
:【原文2】돼지뼈다귀 살점다긁어버린 뼈다귀만여름이면 감자하고 삶는다기보다 곤국물 한뚝배기에 五十환藥酒가 長安第一일게다.
 
:【原文2】돼지뼈다귀 살점다긁어버린 뼈다귀만여름이면 감자하고 삶는다기보다 곤국물 한뚝배기에 五十환藥酒가 長安第一일게다.
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=== 1970~80年代 ===
 
=== 1970~80年代 ===
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[[ファイル:25022805.JPG|300px|thumb|新龍山駅周辺にかつてあったカムジャタンの専門店通り(2011年10月4日撮影)]]
 
:1970~80年代にかけては豚肉の消費量が大きく伸びた時期で、1人当たりの消費量は1970年2.6kg、1975年2.8kgから、1980年6.3kg、1985年8.4kg、1990年11.8kgと急速に増え、1970年から1990年までの増加率は4.54倍で、同時期の牛肉3.42倍(1.2kg→4.1kg)、鶏肉2.85倍(1.4kg→4.0kg)に比べても顕著と言える<ref>[https://www.mafra.go.kr/home/5102/subview.do?enc=Zm5jdDF8QEB8JTJGYmJzJTJGaG9tZSUyRjc4OSUyRjU3MjU2NyUyRmFydGNsVmlldy5kbyUzRg%3D%3D 2024 농림축산식품 주요통계(P379)] 、農林畜産食品部、2025年2月26日閲覧</ref>。背景には大規模な養豚事業の拡大と、所得向上による外食産業の活発化に加え、かつては夏場になると食中毒への憂慮から豚肉が避けられていたが、冷蔵庫の普及によって季節を問わなくなったことなどがあげられる。こうした消費量の増加は、副産物の流通拡大にもつながり、カムジャタンの主材料である豚の背骨が安価に入手できることから、各地で専門店が増えていったと解釈される。
 
:1970~80年代にかけては豚肉の消費量が大きく伸びた時期で、1人当たりの消費量は1970年2.6kg、1975年2.8kgから、1980年6.3kg、1985年8.4kg、1990年11.8kgと急速に増え、1970年から1990年までの増加率は4.54倍で、同時期の牛肉3.42倍(1.2kg→4.1kg)、鶏肉2.85倍(1.4kg→4.0kg)に比べても顕著と言える<ref>[https://www.mafra.go.kr/home/5102/subview.do?enc=Zm5jdDF8QEB8JTJGYmJzJTJGaG9tZSUyRjc4OSUyRjU3MjU2NyUyRmFydGNsVmlldy5kbyUzRg%3D%3D 2024 농림축산식품 주요통계(P379)] 、農林畜産食品部、2025年2月26日閲覧</ref>。背景には大規模な養豚事業の拡大と、所得向上による外食産業の活発化に加え、かつては夏場になると食中毒への憂慮から豚肉が避けられていたが、冷蔵庫の普及によって季節を問わなくなったことなどがあげられる。こうした消費量の増加は、副産物の流通拡大にもつながり、カムジャタンの主材料である豚の背骨が安価に入手できることから、各地で専門店が増えていったと解釈される。
  
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== 日本における定着 ==
 
== 日本における定着 ==
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[[ファイル:25022806.jpg|300px|thumb|東京・東新宿「松屋」の外観]]
 
1991年に東京・東新宿でカムジャタン専門店「松屋」が創業した。同店は「日本で初めてカムジャタンを始めた」<ref>[https://www.instagram.com/matsuya_korea/ 伝統韓国家庭料理 | 松屋] 、Instagram、2025年2月26日閲覧</ref>と掲げており、相反する情報も見当たらないので、この時期に日本へ入ってきたと考えてよいと思われる。
 
1991年に東京・東新宿でカムジャタン専門店「松屋」が創業した。同店は「日本で初めてカムジャタンを始めた」<ref>[https://www.instagram.com/matsuya_korea/ 伝統韓国家庭料理 | 松屋] 、Instagram、2025年2月26日閲覧</ref>と掲げており、相反する情報も見当たらないので、この時期に日本へ入ってきたと考えてよいと思われる。
  
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== 地域 ==
 
== 地域 ==
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[[ファイル:25032004.JPG|thumb|300px|[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]のサデンイ]]
 
*ソウル市恩平区鷹岩洞
 
*ソウル市恩平区鷹岩洞
 
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の恩平区鷹岩洞(ウンピョング ウンアムドン、은평구 응암동)にはカムジャクッ(カムジャタン)の専門店が並ぶ「鷹岩洞カムジャクッ通り(응암동 감자국거리)」がある。「大林市場(テリムシジャン、대림시장)」に隣接することから、「大林市場カムジャクッ通り(대림시장 감자국거리)」とも呼ぶ。大林市場を中心として1980年代半ば以降にカムジャクッを提供する飲食店が増えていった<ref>[https://korean.visitseoul.net/attractions/%EB%8C%80%EB%A6%BC%EC%8B%9C%EC%9E%A5-%EA%B0%90%EC%9E%90%EA%B5%AD%EA%B1%B0%EB%A6%AC_/32546?utm_source=snssharing&utm_medium=urlcopy 대림시장 감자국거리] 、VISIT SEOUL NET、2025年2月26日閲覧</ref>。隣接する碌磻洞(ノクポンドン、녹번동)にも老舗店がある。
 
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の恩平区鷹岩洞(ウンピョング ウンアムドン、은평구 응암동)にはカムジャクッ(カムジャタン)の専門店が並ぶ「鷹岩洞カムジャクッ通り(응암동 감자국거리)」がある。「大林市場(テリムシジャン、대림시장)」に隣接することから、「大林市場カムジャクッ通り(대림시장 감자국거리)」とも呼ぶ。大林市場を中心として1980年代半ば以降にカムジャクッを提供する飲食店が増えていった<ref>[https://korean.visitseoul.net/attractions/%EB%8C%80%EB%A6%BC%EC%8B%9C%EC%9E%A5-%EA%B0%90%EC%9E%90%EA%B5%AD%EA%B1%B0%EB%A6%AC_/32546?utm_source=snssharing&utm_medium=urlcopy 대림시장 감자국거리] 、VISIT SEOUL NET、2025年2月26日閲覧</ref>。隣接する碌磻洞(ノクポンドン、녹번동)にも老舗店がある。
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*ソウル市鍾路区昌信洞
 
*ソウル市鍾路区昌信洞
 
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の鍾路区昌信洞(チョンノグ チャンシンドン、종로구 창신동)にはカムジャタンや[[スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)]]の専門店が並んでおり、「東大門カムジャタン通り(동대문 감자탕 골목)」と呼ばれる。
 
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の鍾路区昌信洞(チョンノグ チャンシンドン、종로구 창신동)にはカムジャタンや[[スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)]]の専門店が並んでおり、「東大門カムジャタン通り(동대문 감자탕 골목)」と呼ばれる。
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*京畿道富川市
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:[[京畿道の料理|京畿道]][[富川市の料理|富川市]]遠美区(ウォンミグ、원미구)のチョマル路では、カムジャタンや[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]を専門とするフランチャイズ店「チョマルカムジャタン(조마루감자탕)」と「チョンギワピョダグィヘジャンクッ(청기와뼈다귀해장국)」の両本店が向かい合っている。「チョマルカムジャタン」は全国に100数十店舗を展開する有名店であるため、地名の「チョマル」が料理のイメージと結びついて地域の名物となっている。もともと近隣の「遠美総合市場(ウォンミ チョンハプシジャン、원미종합시장)」でカムジャタンが人気を集めており、それが派生して名物になったとも語られる。
  
 
*京畿道南部
 
*京畿道南部
 
:[[京畿道の料理|京畿道]]南部の[[水原市の料理|水原市]]、[[烏山市の料理|烏山市]]、[[華城市の料理|華城市]]などには、サデンイ(豚の背骨とジャガイモの鍋、[[사뎅이]])と呼ばれるカムジャタンと酷似した料理がある。サデンイクッ([[사뎅이국]])、サデンイタン([[사뎅이탕]])、サデンイジョンゴル([[사뎅이전골]])などとも呼ぶ。カムジャタンの方言と解釈されることが多いが、酷似した別の料理と考える見方もある。一例として、サデンイには背骨以外のさまざまな骨が使用され、カムジャタンには背骨が主に使われるとの違いがあげられるが、その場合も近年のサデンイはほぼ背骨を煮込んで作るため違いはほとんどないと言える<ref>[https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20200226/99876796/1 〔석창인 박사의 오늘 뭐 먹지?〕감자탕과 똑닮은 ‘사뎅이’ 아시나요] 、東亜日報(2020年2月26日記事)、2025年1月2日閲覧</ref>。韓食ペディアの執筆者である八田靖史がサデンイを提供する飲食店でカムジャタンとの違いを店主に尋ねたところ、即答で「同じ、方言!」との回答であった(八田靖史の取材記録より、2024年11月24日)。サデンイの語源として、サルドンイ(肉塊、[[살덩이]])が変化したとするもの(サルドンイの全羅道方言がサデンイとの説もある)と、サドゥンイピョ(背骨、[[사등이뼈]])が変化したもの、との説が多く語られる。
 
:[[京畿道の料理|京畿道]]南部の[[水原市の料理|水原市]]、[[烏山市の料理|烏山市]]、[[華城市の料理|華城市]]などには、サデンイ(豚の背骨とジャガイモの鍋、[[사뎅이]])と呼ばれるカムジャタンと酷似した料理がある。サデンイクッ([[사뎅이국]])、サデンイタン([[사뎅이탕]])、サデンイジョンゴル([[사뎅이전골]])などとも呼ぶ。カムジャタンの方言と解釈されることが多いが、酷似した別の料理と考える見方もある。一例として、サデンイには背骨以外のさまざまな骨が使用され、カムジャタンには背骨が主に使われるとの違いがあげられるが、その場合も近年のサデンイはほぼ背骨を煮込んで作るため違いはほとんどないと言える<ref>[https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20200226/99876796/1 〔석창인 박사의 오늘 뭐 먹지?〕감자탕과 똑닮은 ‘사뎅이’ 아시나요] 、東亜日報(2020年2月26日記事)、2025年1月2日閲覧</ref>。韓食ペディアの執筆者である八田靖史がサデンイを提供する飲食店でカムジャタンとの違いを店主に尋ねたところ、即答で「同じ、方言!」との回答であった(八田靖史の取材記録より、2024年11月24日)。サデンイの語源として、サルドンイ(肉塊、[[살덩이]])が変化したとするもの(サルドンイの全羅道方言がサデンイとの説もある)と、サドゥンイピョ(背骨、[[사등이뼈]])が変化したもの、との説が多く語られる。
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*光州市
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:[[光州市の料理|光州市]]の光山区松汀洞(クァンサング ソンジョンドン、광산구 송정동)は、[[トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)]]が名物となっており、豚の背骨を澄まし仕立てのスープにしたピョクッ(豚の背骨のスープ、[[뼈국]])を添えるのが定番となっている。
  
 
== 飲食店情報 ==
 
== 飲食店情報 ==
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:電話:02-444-5281
 
:電話:02-444-5281
 
:最終訪問日:2015年2月8日
 
:最終訪問日:2015年2月8日
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*;太祖大林カムジャクッ(태조대림감자국)
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:鷹岩洞カムジャクッ通りでは古株の専門店。以前は春菊を山盛りにしていたが、現在はエゴマの葉と生の白菜を煮込んで仕上げるのを特徴としている。
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:住所:ソウル市恩平区鷹岩路172(鷹岩洞603-74)
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:住所:서울시 은평구 응암로 172(응암동 603-74)
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:電話:02-306-6535
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:最終訪問日:2008年3月31日
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
176行目: 196行目:
 
*[[テジカルビチム(豚カルビの蒸し煮/돼지갈비찜)]]
 
*[[テジカルビチム(豚カルビの蒸し煮/돼지갈비찜)]]
 
*[[テジモリピョニュク(茹でた豚の頭肉/돼지머리편육)]]
 
*[[テジモリピョニュク(茹でた豚の頭肉/돼지머리편육)]]
 +
*[[トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)]]
 
*[[ペッパン(定食/백반)]]
 
*[[ペッパン(定食/백반)]]
 
*[[プデチゲ(ソーセージ鍋/부대찌개)]]
 
*[[プデチゲ(ソーセージ鍋/부대찌개)]]
190行目: 211行目:
 
*[[仁川市の料理]]
 
*[[仁川市の料理]]
 
*[[京畿道の料理]]
 
*[[京畿道の料理]]
 +
*[[富川市の料理]]
 
*[[水原市の料理]]
 
*[[水原市の料理]]
 
*[[烏山市の料理]]
 
*[[烏山市の料理]]
 
*[[華城市の料理]]
 
*[[華城市の料理]]
 +
*[[光州市の料理]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
[[Category:鍋・スープ料理の一覧]]
 
[[Category:鍋・スープ料理の一覧]]
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[[Category:ソウル市の料理]]
 
[[Category:ソウル市の料理]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 +
[[Category:全羅南道・光州市の料理]]
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