「下書き用ページ」の版間の差分

13行目: 13行目:
 
大田市一帯はかつてハンバッ(大きな畑、한밭)と呼ばれる広大な農地であった。これを漢字に置き換えたのが大田という名前の由来である。この地域が忠清道の中心都市として発展したのは、1905年に京釜線(キョンブソン、경부선)が開業し、大田駅(テジョンヨク、대전역)が置かれたことに端を発する。大都市である[[ソウル市の料理|ソウル市]]、[[釜山市の料理|釜山市]]と直接結ばれたことに加え、1914年には湖南線(ホナムソン、호남선)が開業すると大田駅は全羅道方面へと向かう起点ともなった。京釜線、湖南線の分岐駅を抱えた大田市は、交通、物流の要衝として栄えるに至り、多くの人が移り住むに至った。現在も大田駅前には大田中央鉄道市場(テジョン チュンアン チョルトシジャン、대전중앙철도시장)や、繁華街のウヌンジョンイ文化通り(ウヌンジョンイ ムヌァゴリ으능정이 문화의거리)があるほか、老舗店の多くが駅前、あるいは近隣の中区大興洞(チュング テフンドン、중구 대흥동)に集まっているなど、駅を中心に発展してきた姿が見られる。
 
大田市一帯はかつてハンバッ(大きな畑、한밭)と呼ばれる広大な農地であった。これを漢字に置き換えたのが大田という名前の由来である。この地域が忠清道の中心都市として発展したのは、1905年に京釜線(キョンブソン、경부선)が開業し、大田駅(テジョンヨク、대전역)が置かれたことに端を発する。大都市である[[ソウル市の料理|ソウル市]]、[[釜山市の料理|釜山市]]と直接結ばれたことに加え、1914年には湖南線(ホナムソン、호남선)が開業すると大田駅は全羅道方面へと向かう起点ともなった。京釜線、湖南線の分岐駅を抱えた大田市は、交通、物流の要衝として栄えるに至り、多くの人が移り住むに至った。現在も大田駅前には大田中央鉄道市場(テジョン チュンアン チョルトシジャン、대전중앙철도시장)や、繁華街のウヌンジョンイ文化通り(ウヌンジョンイ ムヌァゴリ으능정이 문화의거리)があるほか、老舗店の多くが駅前、あるいは近隣の中区大興洞(チュング テフンドン、중구 대흥동)に集まっているなど、駅を中心に発展してきた姿が見られる。
  
 +
*朝鮮戦争と小麦粉
 +
:大田駅は朝鮮戦争(1950~53年)の際に多くの避難民が集まった場所であり、また休戦後は米軍からの支援物資である小麦粉を各地に運搬するための拠点となった。このとき集められた小麦粉が地域の食文化に広く根差しており、[[カルグクス(手打ちウドン/칼국수)]]の専門店が多かったり、老舗ベーカリー「聖心堂(ソンシムダン、성심당)」のパンが地域の名物となっている背景の理由として語られる。そもそも「聖心堂」の創業者自体が朝鮮戦争時に避難してきた北部地域の出身者であり、同じく郷土料理である[[スッコルネンミョン(スッコル地区の冷麺/숯골냉면)|ネンミョン(冷麺/냉면)]]や、大田中央鉄道市場名物の[[マンドゥクッ(餃子スープ/만두국)]]の創業者も同様である。
  
 +
*大田6味
 
大田市では2000年に地域を代表する料理6品を「大田6味(テジョンユンミ、대전6미」として選定している。また、地元では古くから[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]、[[トゥブトゥルチギ(豆腐の炒め煮/두부두루치기)]]が郷土料理として親しまれており、こちらも大田の代表料理として支持が厚い。中でも[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]の専門店は市内に多く、どろっとした辛口のスープに生春菊をトッピングとして提供するオルクニカルグクス(辛口うどん、[[얼큰이칼국수]])が大興洞(テフンドン、대흥동)地区に集まるなど、大田市ならではの特色も見られる。なお、大田市において[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]が広まった理由は諸説あるが、朝鮮戦争後に外国からの救援物資として大量に輸入された小麦粉が、物流の拠点であった大田市に多く入ってきたことによって、これがきっかけとなったとの説がよく語られる。
 
大田市では2000年に地域を代表する料理6品を「大田6味(テジョンユンミ、대전6미」として選定している。また、地元では古くから[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]、[[トゥブトゥルチギ(豆腐の炒め煮/두부두루치기)]]が郷土料理として親しまれており、こちらも大田の代表料理として支持が厚い。中でも[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]の専門店は市内に多く、どろっとした辛口のスープに生春菊をトッピングとして提供するオルクニカルグクス(辛口うどん、[[얼큰이칼국수]])が大興洞(テフンドン、대흥동)地区に集まるなど、大田市ならではの特色も見られる。なお、大田市において[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]が広まった理由は諸説あるが、朝鮮戦争後に外国からの救援物資として大量に輸入された小麦粉が、物流の拠点であった大田市に多く入ってきたことによって、これがきっかけとなったとの説がよく語られる。
  
*京釜線と湖南線
 
:大田市はソウルを出発した鉄道が、慶尚道方面と全羅道方面に分岐する地域である。大田駅は1905年の京釜線(キョンブソン、경부선)開業とともに誕生し、また1914年に湖南線(ホナムソン、호남선)が開業すると全羅道方面に向かう起点ともなった。交通、物流の要衝として栄えるに至り、多くの人が移り住んで大都市への道を歩むきっかけとなった。
 
  
 
*大田駅とカラッククス
 
*大田駅とカラッククス
29,495

回編集