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'''軍威郡'''(クヌィグン、군위군)は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の中央部に位置する地域。本ページでは軍威郡の料理、特産品について解説する。
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'''安東市'''(アンドンシ、안동시)は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の中央部に位置する地域。本ページでは安東市の料理、特産品について解説する。
  
 
== 地域概要 ==
 
== 地域概要 ==
軍威郡は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の中央部に位置し、北部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[義城郡の料理|義城郡]]、北東部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[青松郡の料理|青松郡]]、南東部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[永川市の料理|永川市]]、南部は広域市の[[大邱市の料理|大邱市]]、西部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[漆谷郡の料理|漆谷郡]][[亀尾市の料理|亀尾市]]と接する。人口は2万4247人(2018年7月)<ref>[http://www.mois.go.kr/frt/sub/a05/totStat/screen.do 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2018年8月10日閲覧</ref>。南部に標高1193mの八公山(パルゴンサン、팔공산)がそびえるのをはじめ全体的に山がちな地形である。郡の東部から北西部にかけて洛東江(ナクトンガン、낙동강)の支流である渭川(ウィチョン、위천)が流れており、これに南部から合流する双渓川(サンゲチョン、쌍계천)、南川(ナムチョン、남천)を含め、川沿いの地域が平野部となっている。新羅時代の642年に創建された麟角寺(インガクサ、인각사)跡が残り、ここで高麗時代の13世紀に歴史書の『三国遺事(サムグクユサ、삼국유사)』が執筆されたことから、軍威郡は「三国遺事の故郷」を掲げて地域をPRしている。缶渓面南山里(プゲミョン ナムサンニ、부계면 남산리)地区には統一新羅時代の700年前後に作られたとされる国宝第109号の「軍威阿弥陀如来三尊石窟(クヌィ アミタヨレサムジョン ソックル、군위 아미타여래삼존 석굴)があり、石窟仏としては774年頃に完成した[[慶州市の料理|慶州市]]の石窟庵よりも時代がさらにさかのぼる。缶渓面大栗里(プゲミョン テユルリ、부계면 대율리)地区には朝鮮時代の民俗村であるハンバム村(ハンバムマウル、한밤마을)があり、昔ながらの石垣を残した小道や、19世紀に建てられた伝統家屋の南川古宅(ナムチョンゴテク、남천고택)などが残る。[[ソウル市の料理|ソウル市]]から軍威郡までは、東ソウル総合ターミナルから軍威市外バス共用ターミナルまで高速バスで約3時間30分。あるいは[[大邱市の料理|大邱市]]の大邱北部停留所から軍威市外バス共用ターミナルまで市外バスで約1時間の距離である。
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安東市は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の道庁所在地。道の中央部に位置し、北部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[栄州市の料理|栄州市]]と[[奉化郡の料理|奉化郡]]、東部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[英陽郡の料理|英陽郡]]、南東部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]の[[青松郡の料理|青松郡]]、南部から南西部にかけては[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[義城郡の料理|義城郡]]、西部は[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[醴泉郡の料理|醴泉郡]]と接する。人口は16万2510人(2018年7月)<ref>[http://www.mois.go.kr/frt/sub/a05/totStat/screen.do 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2018年8月11日閲覧</ref>。市の面積は1522平方キロメートルと[[慶尚北道の料理|慶尚北道]]ではもっとも広く、全国で見ても[[江原道の料理|江原道]]の[[洪川郡の料理|洪川郡]]、[[麟蹄郡の料理|麟蹄郡]]に次ぐ第3位の広さを持つ<ref>[http://www.index.go.kr/potal/main/EachDtlPageDetail.do?idx_cd=2728 국토현황(행정구역별,소유자별,지목별)] 、国政モニタリング指標(e-나라지표)ウェブサイト、2018年8月11日閲覧</ref>。
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南部に標高1193mの八公山(パルゴンサン、팔공산)がそびえるのをはじめ全体的に山がちな地形である。郡の東部から北西部にかけて洛東江(ナクトンガン、낙동강)の支流である渭川(ウィチョン、위천)が流れており、これに南部から合流する双渓川(サンゲチョン、쌍계천)、南川(ナムチョン、남천)を含め、川沿いの地域が平野部となっている。新羅時代の642年に創建された麟角寺(インガクサ、인각사)跡が残り、ここで高麗時代の13世紀に歴史書の『三国遺事(サムグクユサ、삼국유사)』が執筆されたことから、軍威郡は「三国遺事の故郷」を掲げて地域をPRしている。缶渓面南山里(プゲミョン ナムサンニ、부계면 남산리)地区には統一新羅時代の700年前後に作られたとされる国宝第109号の「軍威阿弥陀如来三尊石窟(クヌィ アミタヨレサムジョン ソックル、군위 아미타여래삼존 석굴)があり、石窟仏としては774年頃に完成した[[慶州市の料理|慶州市]]の石窟庵よりも時代がさらにさかのぼる。缶渓面大栗里(プゲミョン テユルリ、부계면 대율리)地区には朝鮮時代の民俗村であるハンバム村(ハンバムマウル、한밤마을)があり、昔ながらの石垣を残した小道や、19世紀に建てられた伝統家屋の南川古宅(ナムチョンゴテク、남천고택)などが残る。[[ソウル市の料理|ソウル市]]から軍威郡までは、東ソウル総合ターミナルから軍威市外バス共用ターミナルまで高速バスで約3時間30分。あるいは[[大邱市の料理|大邱市]]の大邱北部停留所から軍威市外バス共用ターミナルまで市外バスで約1時間の距離である。
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*道庁の移転
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:慶尚北道の道庁はもともと[[大邱市の料理|大邱市]]に置かれていたが、2016年2月に安東市へと移転した。
  
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
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