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*朝鮮戦争と小麦粉
 
*朝鮮戦争と小麦粉
 
:大田駅は朝鮮戦争(1950~53年)の際に多くの避難民が集まった場所であり、また休戦後は米軍からの支援物資である小麦粉を各地に運搬するための拠点となった。このとき集められた小麦粉が地域の食文化に広く根差しており、[[カルグクス(手打ちウドン/칼국수)]]の専門店が多かったり、老舗ベーカリー「聖心堂(ソンシムダン、성심당)」のパンが地域の名物となっている背景の理由として語られる。そもそも「聖心堂」の創業者自体が朝鮮戦争時に避難してきた北部地域の出身者であり、同じく郷土料理である[[スッコルネンミョン(スッコル地区の冷麺/숯골냉면)|ネンミョン(冷麺/냉면)]]や、大田中央鉄道市場名物の[[マンドゥクッ(餃子スープ/만두국)]]の創業者も同様である。
 
:大田駅は朝鮮戦争(1950~53年)の際に多くの避難民が集まった場所であり、また休戦後は米軍からの支援物資である小麦粉を各地に運搬するための拠点となった。このとき集められた小麦粉が地域の食文化に広く根差しており、[[カルグクス(手打ちウドン/칼국수)]]の専門店が多かったり、老舗ベーカリー「聖心堂(ソンシムダン、성심당)」のパンが地域の名物となっている背景の理由として語られる。そもそも「聖心堂」の創業者自体が朝鮮戦争時に避難してきた北部地域の出身者であり、同じく郷土料理である[[スッコルネンミョン(スッコル地区の冷麺/숯골냉면)|ネンミョン(冷麺/냉면)]]や、大田中央鉄道市場名物の[[マンドゥクッ(餃子スープ/만두국)]]の創業者も同様である。
 
*大田6味
 
大田市では2000年に地域を代表する料理6品を「大田6味(テジョンユンミ、대전6미」として選定している。また、地元では古くから[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]、[[トゥブトゥルチギ(豆腐の炒め煮/두부두루치기)]]が郷土料理として親しまれており、こちらも大田の代表料理として支持が厚い。中でも[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]の専門店は市内に多く、どろっとした辛口のスープに生春菊をトッピングとして提供するオルクニカルグクス(辛口うどん、[[얼큰이칼국수]])が大興洞(テフンドン、대흥동)地区に集まるなど、大田市ならではの特色も見られる。なお、大田市において[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)|カルグクス]]が広まった理由は諸説あるが、朝鮮戦争後に外国からの救援物資として大量に輸入された小麦粉が、物流の拠点であった大田市に多く入ってきたことによって、これがきっかけとなったとの説がよく語られる。
 
 
 
*大田駅とカラッククス
 
:かつてはソウルから鉄道で全羅道地方に行く場合、分岐駅である大田駅で方向転換をするため機関車の付け替え作業を行う必要があった。この時間を利用して乗客が駅のホームに出て、[[ウドン(うどん/우동)|カラッククス(うどん、가락국수)]]を立ち食いしたことから、駅の名物として知られるようになった。なお、ホーム内のカラッククス店は1998年に店を閉じたが、2013年に駅構内の飲食店として「大田駅カラッククス(대전역가락국수)」がオープンしている。また、大田駅前にもカラッククスを提供する飲食店や屋台が集まる。屋台には日本語のかけうどんが転化したカッキウドン(각기우동)との表記も見られる。
 
  
 
== 代表的な料理 ==
 
== 代表的な料理 ==
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