「メクチョク(豚肉の香草焼き/맥적)」の版間の差分
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2025年11月23日 (日) 07:17時点における最新版
| この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。 |
メクチョク(맥적)は、豚肉の香草焼き。
名称
メクチョク(맥적)は漢字で「貊炙」と書き、貊(はく)族の炙り焼きを意味する。貊族は古代の中国東北部から朝鮮半島北部に勢力を誇り、高句麗のルーツになったと考えられている。日本ではメッチョク、メッチョッ、メクジョク、メクジョッなどの表記も見かけるが、本辞典においては「メクチョク」を使用する。発音表記は〔맥쩍〕。
概要
現代の韓国では豚肉を薄切りにし、ニンニク、ノビル、ニラなどを加えた味噌ダレで揉み込み、網などで直火焼きにして作るのが一般的である。韓国では焼肉料理のルーツとされ、宮中料理店や韓定食店で提供されることが多い。
焼肉料理のルーツ
- メクチョクを焼肉料理のルーツと考える説は、1943年に文学者、歴史家の崔南善(チェ・ナムソン、최남선)が書いた『故事通』に始まるとされる。文中にある「貊炙、すなわち扶余式の焼肉」との表現が直接的に該当するが、古代のメクチョクを朝鮮時代以降の焼肉料理と同一線上に考えることについては疑問視する声もある。
- 『故事通』「炙」の項目
- 「大陸東北部の民は本来、狩猟、牧畜をもって生計を立てていたぐらい獣肉の調理術が早くから発達していた。中国の料理はもともとたいへん簡素だったが、漢代より羌煮、貊炙という熟肉法が北方から中原に伝来して流行すると、饗宴の料理が豪華になった。煮は肉の蒸し煮、炙は焼肉を意味し、羌は西北の遊牧民族を、貊は東北の扶余系民族を指す。貊炙、すなわち扶余式の焼肉は単一でなく、唐代の文献には貊炙の項目が大小設けられ、これに対する嗜好は長きに渡って変わることがなかった。貊炙を中心とする食卓には、貊盤という呼称があった」【原文1】[1]
- 【原文1】
- 「大陸東北의民은본대狩獵牧畜으로써生計를삼아오는만큼 獸肉의調理術이일직부터發逹하야왓섯다。支那의飮食은본대심히簡素하더니 漢代로부터羌煮와貊炙이라는熟肉法이北方부터中原에傳来하야一代의好尙하는바-되고 드듸여그宴饗의内容을盛大하게만드럿다。煮는고기찜、炙은고기구이를니르는것이오 羌은西北의遊牧民族、貊은東北의扶餘系民族을가르치는것이다。貊炙、곳扶餘式고기구이는單一하지아니하야 唐代의文獻에大小貊炙의別이잇스며 이에對한嗜好는오래도록고쳐지지아니하얏다。貊炙을中心으로하는食卓에는貊盤이라는稱呼가잇다。
歴史
中国の古い文献に記録が見られ、後漢末(3世紀前半?)の『釈名』や、東晋時代(4世紀)の『捜神記』が代表的である。
文献上の記録
- 『釈名』(3世紀前半?)の記述
- 中国の後漢末の学者、劉煕によって書かれた全8巻の辞典『釈名』には、料理についてまとめた「釈飲食」という項目があり、「メクチョクは全体を炙り、各自が刃物で割く。胡貊から来た」【原文2】と記されている[2]。
- 【原文2】
- 「貊炙 全體炙之 各自以刀割 出於胡貊之為也」
- 『捜神記』(4世紀前半)
- 中国の東晋時代の文人、干宝が編纂した小説集『捜神記(第7巻)』には、「羌煮と貊炙は異民族の料理である」【原文3】との記述がある[3]。
- 【原文3】
- 「羌煮 貊炙 翟之食也」
脚注
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)