「ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)」の版間の差分

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==== 果(과)の語源 ====
 
==== 果(과)の語源 ====
:ヤックァは後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#歴史|歴史]]」の項目でも触れるように、三国時代から高麗時代にかけて仏教とのかかわりの中で普及が進んだ。茶菓子や仏教行事の宴会食として用いられたほか、祖先を祀る祭祀膳にも捧げられたが、仏教では殺生を禁じるため、魚肉の代わりとして油蜜菓(蜜を絡めた揚げ菓子、[[유밀과]])が用いられた。朝鮮時代前期の学者、成俔(ソン・ヒョン、성현)が1525年に刊行した『慵斎叢話(용재총화)』には、「蜜果(=油蜜菓)はすべて鳥や動物の形に作って用いる」【原文3】と書かれており、単なる代替ではなく形状を模して作っていたことがわかる。同様に祭祀用の果物を模して作ることもあり、朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)は著書『星湖僿説(성호사설)』の中で、果物の「果」がヤックァの名称として残ったと説明している(下記参照)。現代でも祭祀膳([[제사상]])の5列目には、一般に「棗栗梨柿(ナツメ、クリ、ナシ、カキ、[[조율이시]])」と総称される果物と並んでヤックァなどの韓菓([[한과]])が配置される。
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:ヤックァは後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#歴史|歴史]]」の項目でも触れるように、三国時代から高麗時代にかけて仏教とのかかわりの中で普及が進んだ。茶菓子や仏教行事の宴会食として用いられたほか、祖先を祀る祭祀膳にも捧げられたが、仏教では殺生を禁じるため、魚肉の代わりとして油蜜菓(蜜を絡めた揚げ菓子、[[유밀과]])が用いられた。朝鮮時代前期の学者、成俔(ソン・ヒョン、성현)が1525年に刊行した『慵斎叢話(용재총화)』には、「蜜果(=油蜜菓)はすべて鳥や動物の形に作って用いる」<ref>[http://db.itkc.or.kr/inLink?DCI=ITKC_GO_1306A_0010_000_0010_2004_001_XML 慵齋叢話 / 卷之一] 、韓国古典総合DB、2026年4月6日閲覧</ref>【原文3】と書かれており、単なる代替ではなく形状を模して作っていたことがわかる。同様に祭祀用の果物を模して作ることもあり、朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)は著書『星湖僿説(성호사설)』の中で、果物の「果」がヤックァの名称として残ったと説明している(下記参照)。現代でも祭祀膳([[제사상]])の5列目には、一般に「棗栗梨柿(ナツメ、クリ、ナシ、カキ、[[조율이시]])」と総称される果物と並んでヤックァなどの韓菓([[한과]])が配置される。
  
 
::【原文3】蜜果皆用鳥獸之形
 
::【原文3】蜜果皆用鳥獸之形
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