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*竹嶺 | *竹嶺 | ||
:市内の豊基(プンギ、풍기)地区から[[忠清北道の料理|忠清北道]]の[[丹陽郡の料理|丹陽郡]]へと抜ける峠は、竹嶺(チュンニョン、죽령)と呼ばれ、三国時代から続く交通の要衝であった。山を越えた[[丹陽郡の料理|丹陽郡]]には漢江(ハンガン、한강)の上流域である南漢江(ナマンガン、남한강)が流れており、[[ソウル市の料理|漢陽(ソウル)]]まで船に乗って一気に進めるため、三国時代にはこの竹嶺を越えて新羅が大きく勢力を広げた。竹嶺を抜ける道は高麗時代、朝鮮時代にも広く活用され、当時の9大路である嶺南大路(左路)の経路に含まれている。現在の交通網にも大きな影響を残しており、かつてと同じルートを中央高速道路と中央本線が通っている。 | :市内の豊基(プンギ、풍기)地区から[[忠清北道の料理|忠清北道]]の[[丹陽郡の料理|丹陽郡]]へと抜ける峠は、竹嶺(チュンニョン、죽령)と呼ばれ、三国時代から続く交通の要衝であった。山を越えた[[丹陽郡の料理|丹陽郡]]には漢江(ハンガン、한강)の上流域である南漢江(ナマンガン、남한강)が流れており、[[ソウル市の料理|漢陽(ソウル)]]まで船に乗って一気に進めるため、三国時代にはこの竹嶺を越えて新羅が大きく勢力を広げた。竹嶺を抜ける道は高麗時代、朝鮮時代にも広く活用され、当時の9大路である嶺南大路(左路)の経路に含まれている。現在の交通網にも大きな影響を残しており、かつてと同じルートを中央高速道路と中央本線が通っている。 | ||
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| + | *『鄭鑑録』と十勝地 | ||
| + | :『鄭鑑録(チョンガムノク、정감록)』は、朝鮮時代中期以降に民間で流行した予言書。同書では社会が混乱し疲弊した際に、避難すべき理想的な10ヶ所の地域を「十勝之地(シプスンジジ、십승지지)」と呼んで、栄州市の「豊基車岩金鶏村(풍기 차암 금계촌)」を筆頭に挙げている<ref>[https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00023514?page=7 『鄭鑑録』(京都大学附属図書館所蔵)] 、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(コマ番号7/20) | ||
| + | 、2026年2月12日閲覧</ref>。同地域は、現在の豊基邑金鶏里(プンギウプ クムゲリ、풍기읍 금계리)一帯を指す。十勝之地は「十勝地(シプスンジ、십승지)」とも呼ばれ、朝鮮時代からもっとも住みやすい地域だったと地域の自慢になっている。 | ||
== 食文化の背景 == | == 食文化の背景 == | ||