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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
トッポッキはもともと坡平尹氏(パピョンユンシ、파평윤씨)の家門に伝わる料理であり、17世紀頃には存在したとされる。トッポッキという料理名は18世紀後半から文献上に見られるが、餅を炒めて食べる調理法はそれ以前からも存在し、どの時点を始まりと見るかは諸説ある。古くは醤油味のカンジャントッポッキ([[간장떡볶이]])が主流であったが、現在のようにコチュジャン([[고추장]])のタレに絡めて炒める調理法は1950年代に生まれた。
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トッポッキの歴史にはさまざまな説がある。トッポッキのルーツとされる「餅炙([[병자]])」や「熬餅([[오병]])」の記録を含めるのであれば、それぞれ文献上の記述が見える時期まで歴史をさかのぼることができる。また、もともとは坡平尹氏(パピョンユンシ、파평윤씨)の家門に伝わる料理であり、宮中料理として親しまれていたとの説もある。明確にトッポッキの名称で記録が残るのは19世紀後半からであり、この時代には広く浸透していたと見られるが、この時代までは醤油で味付けをするカンジャントッポッキ([[간장떡볶이]])が一般的であった。現在のようなコチュジャン([[고추장]])味のトッポッキが生まれるのは1950年代以降である。
  
 
=== 餅炙の記録 ===
 
=== 餅炙の記録 ===
:トッポッキという名称は19世紀後半から文献上に見られるが、1896年に書かれた『閨壺要覧(규곤요람)』(延世大本)には、ハングルでのトッポッキに加えて漢字で「餅炙法」と記述がある。これをもとに「餅炙(ピョンジャ、またはピョンジョク、병자、병적)」をトッポッキの漢字語表記と考え、それよりも古い「餅炙」の記録を含めてトッポッキのルーツと考える見解がある<ref>한국식품연구원, 2013, 『한맛한얼 Vol.6』「한국의 전통음식 떡볶이 - 궁중음식.양반음식.서민음식.글로벌음식」, 궁중음식연구원, P110-158</ref><ref>[https://www.koreascience.kr/article/JAKO201367958869502.page 한국의 전통음식 떡볶이 - 궁중음식.양반음식.서민음식.글로벌음식(한국식품연구원)] 、KoreaScience、2022年3月12日閲覧</ref>。以下は代表的な「餅炙」の掲載例である。
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:トッポッキという名称は19世紀後半から文献上に見られるが、1896年に書かれた『閨壺要覧(규곤요람)』(延世大本)には、ハングルでのトッポッキに加えて漢字で「餅炙法」と記述がある。これをもとに「餅炙(ピョンジャ、またはピョンジョク、[[병자]]、[[병적]])」をトッポッキの漢字語表記と考え、それよりも古い「餅炙」の記録を含めてトッポッキのルーツと考える見解がある<ref>한국식품연구원, 2013, 『한맛한얼 Vol.6』「한국의 전통음식 떡볶이 - 궁중음식.양반음식.서민음식.글로벌음식」, 궁중음식연구원, P110-158</ref><ref>[https://www.koreascience.kr/article/JAKO201367958869502.page 한국의 전통음식 떡볶이 - 궁중음식.양반음식.서민음식.글로벌음식(한국식품연구원)] 、KoreaScience、2022年3月12日閲覧</ref>。以下は代表的な「餅炙」の掲載例である。
  
 
;『食療纂要』(1460年)の記述
 
;『食療纂要』(1460年)の記述
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=== 熬餅の記録 ===
 
=== 熬餅の記録 ===
古文献に見られる「熬餅(オビョン、오병)」をトッポッキのルーツと考える見解がある。漢字の「熬」は「炒める(볶을 오)」との意味である。国立国語院が運営するユーザー参加型の韓国語辞典「ウリマルセム(우리말샘)」には「오병(熬餅)」の項目があり、関連語彙(類語)にトッポッキが掲載されている<ref>[https://opendict.korean.go.kr/dictionary/view?sense_no=577174 오병(熬餅)] 、ウリマルセム、2022年3月13日閲覧</ref>。
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古文献に見られる「熬餅(オビョン、[[오병]])」をトッポッキのルーツと考える見解がある。漢字の「熬」は「炒める(볶을 오)」との意味である。国立国語院が運営するユーザー参加型の韓国語辞典「ウリマルセム(우리말샘)」には「[[오병]](熬餅)」の項目があり、関連語彙(類語)にトッポッキが掲載されている<ref>[https://opendict.korean.go.kr/dictionary/view?sense_no=577174 오병(熬餅)] 、ウリマルセム、2022年3月13日閲覧</ref>。
  
 
;『西行録』(1828年)の記述
 
;『西行録』(1828年)の記述
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;『婦人必知』(1915年)の記述
 
;『婦人必知』(1915年)の記述
:憑虚閣李氏(ピンホガク イシ、빙허각 이씨)によって1915年に書かれた『婦人必知(부인필지)』にはトッポッキの調理法が以下のように紹介されている。
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:憑虚閣李氏(ピンホガクイシ、빙허각 이씨)によって1915年に書かれた『婦人必知(부인필지)』にはトッポッキの調理法が以下のように紹介されている。
 
:「白い餅を切り、茹で肉や牛の胃袋、ロース肉を草の葉のように薄切りする。油醤(油を混ぜた薬味醤油)を作り、ネギ、シイタケ、イワタケを細切りにし熱した鍋で炒め、熱が通ったら、餅とヤンニョム(薬味ダレ)を入れる。油醤を加えてさらに炒め、じっくり火を通した後、器によそい、松の実、塩、コショウなどすべてのものを多めに入れる」(原文3)
 
:「白い餅を切り、茹で肉や牛の胃袋、ロース肉を草の葉のように薄切りする。油醤(油を混ぜた薬味醤油)を作り、ネギ、シイタケ、イワタケを細切りにし熱した鍋で炒め、熱が通ったら、餅とヤンニョム(薬味ダレ)を入れる。油醤を加えてさらに炒め、じっくり火を通した後、器によそい、松の実、塩、コショウなどすべてのものを多めに入れる」(原文3)
 
:【原文3】
 
:【原文3】
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=== コチュジャントッポッキの誕生 ===
 
=== コチュジャントッポッキの誕生 ===
*コチュジャン味のトッポッキは朝鮮戦争後に作られ始めたとする説が主流である。[[ソウル市の料理|ソウル市]]の中区新堂洞(チュング シンダンドン、중구 신당동)に位置する「マボンニムハルモニトッポッキ(마복림할머니떡볶이)」は1953年創業を掲げており、コチュジャン味のトッポッキを普及させた象徴的な店舗として語られる。創業者であるマ・ボンニム(마복림)さんがコチュジャンとチャジャン(炒めた黒味噌、[[짜장]])を混ぜたソースを開発し、これで味付けをしたトッポッキがおおいに人気を呼んだ。90年代にはコチュジャンのCMにも出演し「고추장 비밀은 며느리도 몰라, 아무도 몰라(コチュジャンの秘密は嫁も知らない、誰も知らない)」というセリフで話題となっている。<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=VPetcAk-5qI/ 며느리도 몰라] 、YouTube、2014年3月28日閲覧</ref>
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:コチュジャン味のトッポッキは朝鮮戦争後に作られ始めたとする説が主流である。[[ソウル市の料理|ソウル市]]の中区新堂洞(チュング シンダンドン、중구 신당동)に位置する「マボンニムハルモニトッポッキ(마복림할머니떡볶이)」は1953年創業を掲げており、コチュジャン味のトッポッキを普及させた象徴的な店舗として語られる。創業者であるマ・ボンニム(마복림)さんがコチュジャンとチャジャン(炒めた黒味噌、[[짜장]])を混ぜたソースを開発し、これで味付けをしたトッポッキがおおいに人気を呼んだ。90年代にはコチュジャンのCMにも出演し「고추장 비밀은 며느리도 몰라, 아무도 몰라(コチュジャンの秘密は嫁も知らない、誰も知らない)」というセリフで話題となっている。<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=VPetcAk-5qI/ 며느리도 몰라] 、YouTube、2014年3月28日閲覧</ref>
  
 
=== 韓食の世界化とトッポッキ ===
 
=== 韓食の世界化とトッポッキ ===
*2008年に発足した李明博(イ・ミョンバク、이명박)政権は「韓食の世界化([[한식세계화]])」を掲げ、韓国料理のグローバルな普及を目指した。このとき世界の人々に受け入れられる韓国料理として[[プルコギ(牛焼肉/불고기)]]や[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]とともにトッポッキの名前もあがり、街中にトッポッキの専門店が増えていく一因となった。韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2011年6月にソウルで1日5軒のトッポッキ専門店を取材した際、多くの店で店員が「韓食の世界化」の象徴としてトッポッキを語っている姿にたいへん驚いた。そのエピソードは著書『韓国料理には、ご用心!』でも触れられている。<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P203-204</ref>
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:2008年に発足した李明博(イ・ミョンバク、이명박)政権は「韓食の世界化([[한식세계화]])」を掲げ、韓国料理のグローバルな普及を目指した。このとき世界の人々に受け入れられる韓国料理として[[プルコギ(牛焼肉/불고기)]]や[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]とともにトッポッキの名前もあがり、街中にトッポッキの専門店が増えていく一因となった。韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2011年6月にソウルで1日5軒のトッポッキ専門店を取材した際、多くの店で店員が「韓食の世界化」の象徴としてトッポッキを語っている姿にたいへん驚いた。そのエピソードは著書『韓国料理には、ご用心!』でも触れられている。<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P203-204</ref>
  
 
=== コロナ禍とロゼトッポッキの流行 ===
 
=== コロナ禍とロゼトッポッキの流行 ===
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