「釜山市の料理」の版間の差分

206 バイト追加 、 2017年11月17日 (金) 01:41
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;中国料理
 
;中国料理
 
:1876年の釜山港開港によって外国人が増えると、1884年には現在の東区草梁洞(동구 초량동)に清国領事館が開かれた。この地域は現在の釜山駅前に当たり、中国料理店や中国食材店などが集まるチャイナタウンとなっている。1993年に釜山市と中国の上海市が姉妹都市になると、この地域は「上海通り(상해거리)」と命名され、入口には上海門が設立された<ref>[http://tour.busan.go.kr/board/view.busan?menuCd=DOM_000000102001007000&boardId=ATTRACTION&dataSid=248 상해거리 [차이나타운특구]] 、釜山文化観光、2017年11月8日閲覧</ref>。
 
:1876年の釜山港開港によって外国人が増えると、1884年には現在の東区草梁洞(동구 초량동)に清国領事館が開かれた。この地域は現在の釜山駅前に当たり、中国料理店や中国食材店などが集まるチャイナタウンとなっている。1993年に釜山市と中国の上海市が姉妹都市になると、この地域は「上海通り(상해거리)」と命名され、入口には上海門が設立された<ref>[http://tour.busan.go.kr/board/view.busan?menuCd=DOM_000000102001007000&boardId=ATTRACTION&dataSid=248 상해거리 [차이나타운특구]] 、釜山文化観光、2017年11月8日閲覧</ref>。
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*釜山のカンチャジャン
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:釜山をはじめとした南部地域では、[[カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)]]に目玉焼きを載せることが多い。
 
;ロシア料理
 
;ロシア料理
 
:1990年9月に韓国とロシア(当時のソビエト連邦)が国交を結ぶと、貿易港である釜山にはたくさんのロシア人がやってくるようになった。東区草梁洞の上海通りに隣接して、ロシアや旧ソ連の人たちが運営する飲食店、店舗が密集している。
 
:1990年9月に韓国とロシア(当時のソビエト連邦)が国交を結ぶと、貿易港である釜山にはたくさんのロシア人がやってくるようになった。東区草梁洞の上海通りに隣接して、ロシアや旧ソ連の人たちが運営する飲食店、店舗が密集している。
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