「タッカルビ(鶏肉の鉄板焼き/닭갈비)」の版間の差分

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:タッカルビの発祥地を自認し、市内にも専門店を多数有する[[江原道の料理|江原道]][[春川市の料理|春川市]]は2003~4年に発祥の経緯を調査し、以下のように公式的な発表をしている。
 
:タッカルビの発祥地を自認し、市内にも専門店を多数有する[[江原道の料理|江原道]][[春川市の料理|春川市]]は2003~4年に発祥の経緯を調査し、以下のように公式的な発表をしている。
  
:「春川地域でのタッカルビ誕生に対し調査をした結果、1959年から現在の中央路2街18番地(現、三星生命駐車場と、駐車場のそばにある三星生命の玄関階段の間。その当時はバスターミナルとして使われており、近隣にある現、中央路2街11番地の朝興銀行は江原合乗の終点として使用)に、板で作った小さな豚焼肉店を始めた金永錫さんが、四月革命(1960年4月19日)が起きた年のある日、豚肉を仕入れられず、鶏2羽を買ってきてぶつ切りにし、テジカルビ(豚カルビ焼き)のように作ってみなければならないと言って、終日研究をした結果、鶏肉をテジカルビのように開いてタッカルビを作り、これに味付けをして12時間寝かせ売り始めたのが春川タッカルビが作られた由来と確認する」(原文1)。<ref>『春川地域でのタッカルビ発生に対する由来公告』(春川市庁公告資料)</ref>
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:「春川地域でのタッカルビ誕生に対し調査をした結果、1959年から現在の中央路2街18番地(現、三星生命駐車場と、駐車場のそばにある三星生命の玄関階段の間。その当時はバスターミナルとして使われており、近隣にある現、中央路2街11番地の朝興銀行は江原合乗の終点として使用)に、板で作った小さな豚焼肉店を始めた金永錫さんが、四月革命(1960年4月19日)が起きた年のある日、豚肉を仕入れられず、鶏2羽を買ってきてぶつ切りにし、[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)|テジカルビ(豚カルビ焼き)]]のように作ってみなければならないと言って、終日研究をした結果、鶏肉を[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)|テジカルビ]]のように開いてタッカルビを作り、これに味付けをして12時間寝かせ売り始めたのが春川タッカルビが作られた由来と確認する」(原文1)。<ref>『春川地域でのタッカルビ発生に対する由来公告』(春川市庁公告資料)</ref>
  
 
*韓国観光公社の記述
 
*韓国観光公社の記述
 
:また、同様の記述は韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)にも見られ、そこでは以下のように紹介されている。
 
:また、同様の記述は韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)にも見られ、そこでは以下のように紹介されている。
  
:「1960年代初め、春川の中央路のある掘っ立て小屋で主に豚肉料理出していたいた金氏夫婦がいました。ある日豚肉が手に入らなかった夫婦は、鶏2羽を買ってテジカルビ(豚のカルビ)のように料理しました。鶏肉をテジカルビのように広く伸ばし、かたまりのまま焼いて切って食べると一風変わった味がしました。その後、甘いタレに鶏肉を漬け込んでおいてからテジカルビのように焼いて出したところ、酒のつまみとして人気を呼ぶようになりました。このようにして誕生した『タッカルビ(鶏肉と野菜のピリ辛鉄板焼き)』は、噂で春川全域に広がり、1960年末頃には練炭の上に鉄板をのせタッカルビを焼いて出す『タッカルビ屋台』が流行しました。タッカルビは他の焼き料理に比べて値段が安かったため、休暇中の軍人や京春線の列車に乗り春川や江村に遊びに来た大学生にも好まれました。タッカルビ一つの値段が100ウォンしかしなかったため、『大学生カルビ』または『庶民カルビ』という名前も付きました」<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/taste/taste_index.jsp?cid=998437&regionCode=32,13 江原道の味紀行] 、韓国観光公社ウェブサイト、2014年9月4日閲覧</ref>
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:「1960年代初め、春川の中央路のある掘っ立て小屋で主に豚肉料理出していたいた金氏夫婦がいました。ある日豚肉が手に入らなかった夫婦は、鶏2羽を買って[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)|テジカルビ(豚カルビ焼き)]]のように料理しました。鶏肉を[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)|テジカルビ]]のように広く伸ばし、かたまりのまま焼いて切って食べると一風変わった味がしました。その後、甘いタレに鶏肉を漬け込んでおいてから[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)|テジカルビ]]のように焼いて出したところ、酒のつまみとして人気を呼ぶようになりました。このようにして誕生した『タッカルビ(鶏肉と野菜のピリ辛鉄板焼き)』は、噂で春川全域に広がり、1960年末頃には練炭の上に鉄板をのせタッカルビを焼いて出す『タッカルビ屋台』が流行しました。タッカルビは他の焼き料理に比べて値段が安かったため、休暇中の軍人や京春線の列車に乗り春川や江村に遊びに来た大学生にも好まれました。タッカルビ一つの値段が100ウォンしかしなかったため、『大学生カルビ』または『庶民カルビ』という名前も付きました」<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/taste/taste_index.jsp?cid=998437&regionCode=32,13 江原道の味紀行] 、韓国観光公社ウェブサイト、2014年9月4日閲覧</ref>
  
 
*ファン・ギョイクの報告
 
*ファン・ギョイクの報告
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