「ユッケジャン(牛肉の辛いスープ/육개장)」の版間の差分

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=== 1920年代(テグタンバンの流行) ===
 
=== 1920年代(テグタンバンの流行) ===
 
[[ファイル:17071003.JPG|thumb|300px|日本の焼肉店で提供されるテグタン]]
 
[[ファイル:17071003.JPG|thumb|300px|日本の焼肉店で提供されるテグタン]]
20世紀初頭には大邱式のユッケジャンがソウルなどで流行した。これをテグタンバン(大邱湯飯、[[대구탕반]])、またはテグタン(大邱湯、[[대구탕]])と称し、それぞれ大邱式の湯飯(スープごはん)、大邱式のスープを意味する。現在の韓国ではほぼ消えてしまった料理名であるものの、ごく一部には少数ながら残っており、また日本の焼肉店などで提供されるテグタンはこのテグタンバンに由来する。大邱でユッケジャンが発達した理由としては、大邱が盆地地域で夏場は特に暑く、暑さに打ち克つ料理として頻繁に食べられたからと説明されることが多い。
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20世紀初頭には大邱式のユッケジャンがソウルなどで流行した。これをテグタンバン(大邱湯飯、대구탕반)、またはテグタン(大邱湯、대구탕)と称し、それぞれ大邱式の湯飯(スープごはん)、大邱式のスープを意味する。一般的なユッケジャンとはやや異なり、牛肉を裂くのではなくごろんと大きく切り、具もワラビ、溶き卵などは加えず、大量の長ネギと、ごく少量の芋がらだけを用いる。唐辛子油([[고추기름]])を使用することなく、牛肉から出る脂だけで仕上げるのも特徴的である。大邱でユッケジャンが発達した理由としては、大邱が盆地地域で夏場は特に暑く、暑さに打ち克つ料理として頻繁に食べられたからと説明されることが多い。現在の韓国では、大邱も含めてテグタンバン、テグタンという名称はほぼ使われておらず、後述するソウルの「朝鮮屋」に残っているぐらいだが、日本の焼肉店、韓国料理店ではテグタンの名で広く定着している。
  
 
*『東亜日報』(1926年)の記述
 
*『東亜日報』(1926年)の記述
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