「浦項市の料理」の版間の差分

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[[ファイル:23100101.jpg|thumb|300px|虎尾串の延烏郎細烏女像]]
 
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:高麗時代の僧侶、一然(イリョン、일연)が13世紀末に編纂した『三国遺事(삼국유사)』(巻1紀異第一)には、新羅の阿達羅王(第8代)4年(157年)の出来事として、延烏郎(ヨノラン、연오랑)と細烏女(セオニョ、세오녀)夫婦の話が掲載されている<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0010 연오랑과 세오녀가 바위를 타고 일본에 가다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref><ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0020 신라는 연오가 짜 준 명주로 해와 달의 광채를 되찾다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref>。
 
:高麗時代の僧侶、一然(イリョン、일연)が13世紀末に編纂した『三国遺事(삼국유사)』(巻1紀異第一)には、新羅の阿達羅王(第8代)4年(157年)の出来事として、延烏郎(ヨノラン、연오랑)と細烏女(セオニョ、세오녀)夫婦の話が掲載されている<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0010 연오랑과 세오녀가 바위를 타고 일본에 가다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref><ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0020 신라는 연오가 짜 준 명주로 해와 달의 광채를 되찾다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref>。
:ある日、延烏郎が東海岸で海藻を採っていると、突然岩に載せられて日本に行ってしまった(魚が連れていったとの説もある)。日本では延烏郎をただならぬ人物だと考え、王として迎えた。帰ってこない延烏郎を心配して探しに出た細烏女は、海辺で延烏郎の脱いだ靴を見つけ、やはり岩に載せられて日本へと渡った。細烏女は延烏郎と再会して王妃になった。一方の新羅では、日と月の光を失った。気象の担当官によれば「日と月の精気が我が国から日本へと渡ってしまったための異変である」とのことだった。王が日本に使臣を送ってふたりを探したところ、延烏郎は「私が来たのは天の思し召しであって、いまどうして帰れようか。妃が編んだ絹織物があるので、これを天に捧げて祭祀を行うように」と答えた。使臣が伝える通りに祭祀を行ってみると、その後は日と月が元通りになった。その絹織物は王の蔵で大事に保管し、その蔵を「貴妃庫」と呼んだ。また、その祭祀を行った場所を迎日県(ヨンイリョン、영일현)、または都祈野(도기야)と呼んだ。
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:ある日、延烏郎が東海岸で海藻を採っていると、突然岩に載せられて日本に行ってしまった(魚が連れていったとの説もある)。日本では延烏郎をただならぬ人物だと考え、王として迎えた。帰ってこない延烏郎を心配して探しに出た細烏女は、海辺で延烏郎の脱いだ靴を見つけ、やはり岩に載せられて日本へと渡った。細烏女は延烏郎と再会して王妃になった。一方の新羅では、日と月の光を失った。気象の担当官によれば「日と月の精気が我が国から日本へと渡ってしまったための異変である」とのことだった。王が日本に使臣を送ってふたりを探したところ、延烏郎は「私が来たのは天の思し召しであって、いまどうして帰れようか。妃が編んだ絹織物があるので、これを天に捧げて祭祀を行うように」と答えた。使臣が伝える通りに祭祀を行ってみると、その後は日と月が元通りになった。その絹織物は王の蔵で大事に保管し、その蔵を「貴妃庫」と呼んだ。その祭祀を行った場所を迎日県(ヨンイリョン、영일현)、または都祈野(도기야)と呼んだ。
 
:祭祀を行った迎日県は現在の浦項市に相当し、虎尾串(ホミゴッ、호미곶)にはこの伝説をモチーフとした延烏郎細烏女像(연오랑세오녀상)が置かれている。
 
:祭祀を行った迎日県は現在の浦項市に相当し、虎尾串(ホミゴッ、호미곶)にはこの伝説をモチーフとした延烏郎細烏女像(연오랑세오녀상)が置かれている。
  
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=== ムルフェ(冷汁風の刺身/물회) ===
 
=== ムルフェ(冷汁風の刺身/물회) ===
 
[[ファイル:23081401.JPG|thumb|300px|浦項式のムルフェ]]
 
[[ファイル:23081401.JPG|thumb|300px|浦項式のムルフェ]]
:ムルフェ([[물회]])は、冷汁風の刺身(「[[ムルフェ(水刺身/물회)]]」の項目も参照)。一般にムルフェは刺身を冷たいスープとともに味わう料理だが、浦項市では白身魚などの刺身を生野菜と和えて[[フェムチム(刺身和え/회무침)]]のように提供する。これに別途、冷水か、または酸味と辛味のある冷たいスープを用意し、食べる人が好みで加えてムルフェとするが、そのまま混ぜて食べたり、ごはんを入れてフェトッパプ(刺身丼/회덮밥)として食べたり、それらを複合的に楽しんだりもする。
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:ムルフェ([[물회]])は、冷汁風の刺身(「[[ムルフェ(水刺身/물회)]]」の項目も参照)。一般にムルフェは刺身を冷たいスープとともに味わう料理だが、浦項市ではスープを入れず、白身魚などの刺身を生野菜と和えて[[フェムチム(刺身和え/회무침)]]のように提供する。これに別途、冷水か、または酸味と辛味のある冷たいスープを用意し、食べる人が好みで加えてムルフェとするが、そのまま混ぜて食べたり、ごはんを入れてフェトッパプ(刺身丼/회덮밥)として食べたり、それらを複合的に楽しんだりもする。
 
:1950年代から60年代にかけて浦項市では、ムルフェを看板料理とする「浦項ムルフェ(포항물회)」(1951年創業?)、「嶺南ムルフェ(영남물회)」(1961年創業?)などの専門店が登場し、浦項市における元祖格として親しまれた(いずれも現在は閉店)<ref>[https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20060905.010220813000001 [경상도 맛길기행 .76] 日食 이야기- (10) 물회] 、嶺南日報2006年9月5日付記事、2023年8月13日閲覧</ref>。1973年8月4日の朝鮮日報には、「松島海水浴場(송도해수욕장)内、80ヶ所の飲食店で販売されるこの地方の特味、ムルフェは最高の人気」とあることから、この時期には浦項市の名物として広く定着していたと考えられる<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1973080400239106001 [「비키니 群像」…原色의 파노라마] 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1973年8月4日記事)、2023年8月13日閲覧</ref>。
 
:1950年代から60年代にかけて浦項市では、ムルフェを看板料理とする「浦項ムルフェ(포항물회)」(1951年創業?)、「嶺南ムルフェ(영남물회)」(1961年創業?)などの専門店が登場し、浦項市における元祖格として親しまれた(いずれも現在は閉店)<ref>[https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20060905.010220813000001 [경상도 맛길기행 .76] 日食 이야기- (10) 물회] 、嶺南日報2006年9月5日付記事、2023年8月13日閲覧</ref>。1973年8月4日の朝鮮日報には、「松島海水浴場(송도해수욕장)内、80ヶ所の飲食店で販売されるこの地方の特味、ムルフェは最高の人気」とあることから、この時期には浦項市の名物として広く定着していたと考えられる<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1973080400239106001 [「비키니 群像」…原色의 파노라마] 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1973年8月4日記事)、2023年8月13日閲覧</ref>。
  
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:*語源
 
:*語源
::モリグクスのグクス(=ククス、[[국수]])は麺の意。モリの語源は諸説ある。もっとも代表的なひとつが、「モイダ(集まる、모이다)」の慶尚道方言である「モディダ(모디다)」を語源とするもので、大勢の人が集まって食べる麺、またはたくさんの海産物が集まって作られた麺との意味から、「モディグクス(集まる麺)」がモリグクスへと変化したと考える。同じく、「モルダ(わからない、모르다)」の慶尚道方言である「モリダ(わからない、모리다)」から、特に名前のない漁師料理であったが、料理名を問われた際に「モリンダ(모린다、わからない)」と答えたことからモリグクスになったとの説もある。モリグクスが生まれた九龍浦邑は、かつて日本人が多く暮らした町であり、日本語の「盛り(大盛り)」を語源とする説もある。
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::モリグクスのグクス(=ククス、[[국수]])は麺の意。モリの語源は諸説ある。もっとも代表的なひとつが、「モイダ(集まる、모이다)」の慶尚道方言である「モディダ(모디다)」を語源とするもので、大勢の人が集まって食べる麺、またはたくさんの海産物が集まって作られた麺との意味から、「モディグクス(集まる麺、모디국수)」がモリグクスへと変化したと考える。同じく、「モルダ(わからない、모르다)」の慶尚道方言である「モリダ(わからない、모리다)」から、特に名前のない漁師料理であったが、料理名を問われた際に「モリンダ(모린다、わからない)」と答えたことから、「モリングクス(わからない麺、모린국수)」がモリグクスになったとの説もある。モリグクスが生まれた九龍浦邑は、かつて日本人が多く暮らした町であり、日本語の「盛り(大盛り)」を語源とする説もある。
  
 
=== チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽) ===
 
=== チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽) ===
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
{{DEFAULTSORT:ほはんしのりようり}}
 
{{DEFAULTSORT:ほはんしのりようり}}
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*[[カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)]]
 
*[[クァメギ(サンマの生干し/과메기)]]
 
*[[クァメギ(サンマの生干し/과메기)]]
 
*[[テゲチム(蒸しズワイガニ/대게찜)]]
 
*[[テゲチム(蒸しズワイガニ/대게찜)]]
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*[[テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)]]
 
*[[ムルフェ(水刺身/물회)]]
 
*[[ムルフェ(水刺身/물회)]]
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*[[パダジャンオグイ(アナゴ焼き/바다장어구이)]]
 
*[[センソンフェ(刺身/생선회)]]
 
*[[センソンフェ(刺身/생선회)]]
 
*[[ソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)]]
 
*[[ソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)]]
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*[[シグムチナムル(ホウレンソウのナムル/시금치나물)]]
 
*[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]]
 
*[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]]
 
*[[チョゲグイ(貝焼き/조개구이)]]
 
*[[チョゲグイ(貝焼き/조개구이)]]
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*[[チュオタン(ドジョウ汁/추어탕)]]
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*[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
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[[Category:慶尚北道・大邱市の料理]]
 
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