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*九龍浦港 | *九龍浦港 | ||
:九龍浦港(クリョンポハン、구룡포항)は、市南東部の南区九龍浦邑(ナムグ クリョンポウプ、남구 구룡포읍)に位置する港。東海岸を代表する港のひとつで、ズワイガニ([[대게]])などの名産地として知られる。19世紀末までは人口の少ない寒村であったが、1902年に山口県豊浦郡からタイ(도미)漁を行う漁船50余隻が来航したのを始まりとして通漁者の開拓が進み、1900年代後半からは香川県や岡山県などから多くの日本人が移り住んだ<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/70/595/70_KJ00004390262/_pdf/-char/ja 韓国・九龍浦の日本人移住漁村の居住空間構成とその変容(朴重信、金泰永、布野修司)] 、J-STAGEウェブサイト、2023年9月29日閲覧</ref><ref>迎日郡史編纂委員会, 1990, 『迎日郡史』), 迎日郡史編纂委員会, P306-309</ref>。当時、建てられた日本家屋は修復されて現在も残り、その町並みは「九龍浦近代文化歴史通り(구룡포 근대문화역사거리)」として観光地化されている。有力者のひとり香川県出身の橋本善吉が建てた家は、「九龍浦近代歴史館(구룡포 근대역사관)」として利用されており、資料の展示や記録映像の上映がなされている。九龍浦の地名は新羅時代の逸話に基づいており、真興王(第24代)の時代に地域の県監(地方官)が巡察していたところ、突然の嵐とともに10匹の龍が天へとのぼったが、そのうちの1匹が雷に打たれて海に落ちたことから「九龍浦」と名前がついたとされる。 | :九龍浦港(クリョンポハン、구룡포항)は、市南東部の南区九龍浦邑(ナムグ クリョンポウプ、남구 구룡포읍)に位置する港。東海岸を代表する港のひとつで、ズワイガニ([[대게]])などの名産地として知られる。19世紀末までは人口の少ない寒村であったが、1902年に山口県豊浦郡からタイ(도미)漁を行う漁船50余隻が来航したのを始まりとして通漁者の開拓が進み、1900年代後半からは香川県や岡山県などから多くの日本人が移り住んだ<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/70/595/70_KJ00004390262/_pdf/-char/ja 韓国・九龍浦の日本人移住漁村の居住空間構成とその変容(朴重信、金泰永、布野修司)] 、J-STAGEウェブサイト、2023年9月29日閲覧</ref><ref>迎日郡史編纂委員会, 1990, 『迎日郡史』), 迎日郡史編纂委員会, P306-309</ref>。当時、建てられた日本家屋は修復されて現在も残り、その町並みは「九龍浦近代文化歴史通り(구룡포 근대문화역사거리)」として観光地化されている。有力者のひとり香川県出身の橋本善吉が建てた家は、「九龍浦近代歴史館(구룡포 근대역사관)」として利用されており、資料の展示や記録映像の上映がなされている。九龍浦の地名は新羅時代の逸話に基づいており、真興王(第24代)の時代に地域の県監(地方官)が巡察していたところ、突然の嵐とともに10匹の龍が天へとのぼったが、そのうちの1匹が雷に打たれて海に落ちたことから「九龍浦」と名前がついたとされる。 | ||
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+ | *延烏郎と細烏女の伝説 | ||
+ | [[ファイル:23100101.jpg|thumb|300px|虎尾串の延烏郎細烏女像]] | ||
+ | :高麗時代の僧侶、一然(イリョン、일연)が13世紀末に編纂した『三国遺事(삼국유사)』(巻1紀異第一)には、新羅の阿達羅王(第8代)4年(157年)の出来事として、延烏郎(ヨノラン、연오랑)と細烏女(セオニョ、세오녀)夫婦の話が掲載されている<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0010 연오랑과 세오녀가 바위를 타고 일본에 가다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref><ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_001r_0020_0240_0020 신라는 연오가 짜 준 명주로 해와 달의 광채를 되찾다(삼국유사 > 권 제1 > 제1 기이(紀異第一) )] 、韓国史データベース、2023年10月1日閲覧</ref>。 | ||
+ | :ある日、延烏郎が東海岸で海藻を採っていると、突然岩に載せられて日本に行ってしまった(魚が連れていったとの説もある)。日本では延烏郎をただならぬ人物だと考え、王として迎えた。帰ってこない延烏郎を心配して探しに出た細烏女は、海辺で延烏郎の脱いだ靴を見つけ、やはり岩に載せられて日本へと渡った。細烏女は延烏郎と再会して王妃になった。一方の新羅では、日と月の光を失った。気象の担当官によれば「日と月の精気が我が国から日本へと渡ってしまったための異変である」とのことだった。王が日本に使臣を送ってふたりを探したところ、延烏郎は「私が来たのは天の思し召しであって、いまどうして帰れようか。妃が編んだ絹織物があるので、これを天に捧げて祭祀を行うように」と答えた。使臣が伝える通りに祭祀を行ってみると、その後は日と月が元通りになった。その絹織物は王の蔵で大事に保管し、その蔵を「貴妃庫」と呼んだ。その祭祀を行った場所を迎日県(ヨンイリョン、영일현)、または都祈野(도기야)と呼んだ。 | ||
+ | :祭祀を行った迎日県は現在の浦項市に相当し、虎尾串(ホミゴッ、호미곶)にはこの伝説をモチーフとした延烏郎細烏女像(연오랑세오녀상)が置かれている。 | ||
== 食文化の背景 == | == 食文化の背景 == | ||
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=== ムルフェ(冷汁風の刺身/물회) === | === ムルフェ(冷汁風の刺身/물회) === | ||
[[ファイル:23081401.JPG|thumb|300px|浦項式のムルフェ]] | [[ファイル:23081401.JPG|thumb|300px|浦項式のムルフェ]] | ||
− | :ムルフェ([[물회]])は、冷汁風の刺身(「[[ムルフェ(水刺身/물회)]] | + | :ムルフェ([[물회]])は、冷汁風の刺身(「[[ムルフェ(水刺身/물회)]]」の項目も参照)。一般にムルフェは刺身を冷たいスープとともに味わう料理だが、浦項市ではスープを入れず、白身魚などの刺身を生野菜と和えて[[フェムチム(刺身和え/회무침)]]のように提供する。これに別途、冷水か、または酸味と辛味のある冷たいスープを用意し、食べる人が好みで加えてムルフェとするが、そのまま混ぜて食べたり、ごはんを入れてフェトッパプ(刺身丼/회덮밥)として食べたり、それらを複合的に楽しんだりもする。 |
:1950年代から60年代にかけて浦項市では、ムルフェを看板料理とする「浦項ムルフェ(포항물회)」(1951年創業?)、「嶺南ムルフェ(영남물회)」(1961年創業?)などの専門店が登場し、浦項市における元祖格として親しまれた(いずれも現在は閉店)<ref>[https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20060905.010220813000001 [경상도 맛길기행 .76] 日食 이야기- (10) 물회] 、嶺南日報2006年9月5日付記事、2023年8月13日閲覧</ref>。1973年8月4日の朝鮮日報には、「松島海水浴場(송도해수욕장)内、80ヶ所の飲食店で販売されるこの地方の特味、ムルフェは最高の人気」とあることから、この時期には浦項市の名物として広く定着していたと考えられる<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1973080400239106001 [「비키니 群像」…原色의 파노라마] 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1973年8月4日記事)、2023年8月13日閲覧</ref>。 | :1950年代から60年代にかけて浦項市では、ムルフェを看板料理とする「浦項ムルフェ(포항물회)」(1951年創業?)、「嶺南ムルフェ(영남물회)」(1961年創業?)などの専門店が登場し、浦項市における元祖格として親しまれた(いずれも現在は閉店)<ref>[https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20060905.010220813000001 [경상도 맛길기행 .76] 日食 이야기- (10) 물회] 、嶺南日報2006年9月5日付記事、2023年8月13日閲覧</ref>。1973年8月4日の朝鮮日報には、「松島海水浴場(송도해수욕장)内、80ヶ所の飲食店で販売されるこの地方の特味、ムルフェは最高の人気」とあることから、この時期には浦項市の名物として広く定着していたと考えられる<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1973080400239106001 [「비키니 群像」…原色의 파노라마] 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1973年8月4日記事)、2023年8月13日閲覧</ref>。 | ||
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:*語源 | :*語源 | ||
− | ::モリグクスのグクス(=ククス、[[국수]] | + | ::モリグクスのグクス(=ククス、[[국수]])は麺の意。モリの語源は諸説ある。もっとも代表的なひとつが、「モイダ(集まる、모이다)」の慶尚道方言である「モディダ(모디다)」を語源とするもので、大勢の人が集まって食べる麺、またはたくさんの海産物が集まって作られた麺との意味から、「モディグクス(集まる麺、모디국수)」がモリグクスへと変化したと考える。同じく、「モルダ(わからない、모르다)」の慶尚道方言である「モリダ(わからない、모리다)」から、特に名前のない漁師料理であったが、料理名を問われた際に「モリンダ(모린다、わからない)」と答えたことから、「モリングクス(わからない麺、모린국수)」がモリグクスになったとの説もある。モリグクスが生まれた九龍浦邑は、かつて日本人が多く暮らした町であり、日本語の「盛り(大盛り)」を語源とする説もある。 |
=== チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽) === | === チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽) === | ||
− | [[ファイル:23093003.JPG|thumb|300px| | + | [[ファイル:23093003.JPG|thumb|300px|浦項市産の天然アワビを用いたチョンボッチュク]] |
:チョンボッチュク([[전복죽]])は、アワビ粥(「[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]]」の項目も参照)。市南東部に位置する南区九龍浦邑(ナムグ クリョンポウプ、남구 구룡포읍)に専門店の集まる地域がある。九龍浦邑の近海では海女([[해녀]])による天然アワビ漁が行われている。 | :チョンボッチュク([[전복죽]])は、アワビ粥(「[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]]」の項目も参照)。市南東部に位置する南区九龍浦邑(ナムグ クリョンポウプ、남구 구룡포읍)に専門店の集まる地域がある。九龍浦邑の近海では海女([[해녀]])による天然アワビ漁が行われている。 | ||
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=== 黒アナゴ(검은돌장어) === | === 黒アナゴ(검은돌장어) === | ||
− | :南区東海面(ナムグ トンヘミョン、남구 | + | :南区東海面(ナムグ トンヘミョン、남구 동해면)の近海でとれる黒いアナゴ。コムンドルジャンオ(검은돌장어)と呼ばれ、直訳すると「黒い岩アナゴ」となる。[[パダジャンオグイ(アナゴ焼き/바다장어구이)|チャンオグイ(アナゴ焼き/장어구이)]]や、チャンオタン(アナゴのスープ、[[장어탕]])で味わう。 |
=== マダコ(돌문어) === | === マダコ(돌문어) === | ||
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== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
{{DEFAULTSORT:ほはんしのりようり}} | {{DEFAULTSORT:ほはんしのりようり}} | ||
+ | *[[カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)]] | ||
*[[クァメギ(サンマの生干し/과메기)]] | *[[クァメギ(サンマの生干し/과메기)]] | ||
*[[テゲチム(蒸しズワイガニ/대게찜)]] | *[[テゲチム(蒸しズワイガニ/대게찜)]] | ||
+ | *[[テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)]] | ||
*[[ムルフェ(水刺身/물회)]] | *[[ムルフェ(水刺身/물회)]] | ||
+ | *[[パダジャンオグイ(アナゴ焼き/바다장어구이)]] | ||
*[[センソンフェ(刺身/생선회)]] | *[[センソンフェ(刺身/생선회)]] | ||
*[[ソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)]] | *[[ソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)]] | ||
+ | *[[シグムチナムル(ホウレンソウのナムル/시금치나물)]] | ||
*[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]] | *[[チョンボッチュク(アワビ粥/전복죽)]] | ||
*[[チョゲグイ(貝焼き/조개구이)]] | *[[チョゲグイ(貝焼き/조개구이)]] | ||
+ | *[[チュオタン(ドジョウ汁/추어탕)]] | ||
+ | *[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]] | ||
[[Category:韓食ペディア]] | [[Category:韓食ペディア]] | ||
[[Category:慶尚北道・大邱市の料理]] | [[Category:慶尚北道・大邱市の料理]] |