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== 食文化の背景 == | == 食文化の背景 == | ||
[[ファイル:24022304.jpg|thumb|300px|蟾津江]] | [[ファイル:24022304.jpg|thumb|300px|蟾津江]] | ||
− | 河東郡は西部を流れる蟾津江(ソムジンガン、섬진강)を挟んで[[全羅南道の料理|全羅南道]]との境に位置する。郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)は、蟾津江を遡上する行商船が航行できるもっとも上流域にあり、南海岸から運ばれる海産物を買い求めるとともに、内陸の文物を販売する五日市の「花開市場(ファゲジャント、화개장터)」が開かれて栄えた。また、蟾津江は水運の用途のみならず、シジミ([[재첩]])、モクズガニ([[동남참게]])、アユ([[은어]])、スミノエガキ([[벚굴]])などが名産として知られ、これらを利用した郷土料理が豊富である。花開面の花開川(ファゲチョン、화개천)沿いには、828年に唐から茶の種子を持ち帰って初めて栽培を開始した「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」があり、現在も[[ | + | 河東郡は西部を流れる蟾津江(ソムジンガン、섬진강)を挟んで[[全羅南道の料理|全羅南道]]との境に位置する。郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)は、蟾津江を遡上する行商船が航行できるもっとも上流域にあり、南海岸から運ばれる海産物を買い求めるとともに、内陸の文物を販売する五日市の「花開市場(ファゲジャント、화개장터)」が開かれて栄えた。また、蟾津江は水運の用途のみならず、シジミ([[재첩]])、モクズガニ([[동남참게]])、アユ([[은어]])、スミノエガキ([[벚굴]])などが名産として知られ、これらを利用した郷土料理が豊富である。花開面の花開川(ファゲチョン、화개천)沿いには、828年に唐から茶の種子を持ち帰って初めて栽培を開始した「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」があり、現在も[[ノクチャ(緑茶/녹차)]]の名産地として名高い。 |
*花開市場 | *花開市場 | ||
[[ファイル:24022303.jpg|thumb|300px|花開市場の韓方材店]] | [[ファイル:24022303.jpg|thumb|300px|花開市場の韓方材店]] | ||
− | :花開市場(ファゲジャント、화개장터)は、花開面塔里(ファゲミョン タムニ、화개면 | + | :花開市場(ファゲジャント、화개장터)は、花開面塔里(ファゲミョン タムニ、화개면 탑리)に位置する在来市場。慶尚道(キョンサンド、경상도)と全羅道(チョルラド、전라도)の境界に位置し、行商船によって南海岸の文物が運ばれるため、多方面から大勢の人が集まる市場として栄えた。現在は韓方材を販売する店が多くあるほか、ウノティギム(アユの天ぷら、[[은어튀김]])、ピンオティギム(ワカサギの天ぷら、[[빙어튀김]])などを提供する飲食店や、スットク(ヨモギ餅、[[쑥떡]])、ススブクミ(タカキビ餅、[[수수부꾸미]])などの軽食類を販売する店も多い。 |
== 代表的な料理 == | == 代表的な料理 == | ||
[[ファイル:24022305.jpg|thumb|300px|チェチョプクッ]] | [[ファイル:24022305.jpg|thumb|300px|チェチョプクッ]] | ||
=== チェチョプクッ(シジミスープ/재첩국) === | === チェチョプクッ(シジミスープ/재첩국) === | ||
− | :チェチョプクッ([[재첩국]] | + | :チェチョプクッ([[재첩국]])は、シジミスープ(「[[チェチョプクッ(シジミスープ/재첩국)]]」の項目も参照)。シジミを煮込んだスープに、刻んだニラを加え、淡い塩味に仕立てた料理である。朝食のメニューとしても人気が高く、[[ヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)]]としても親しまれている。郡西部を流れる蟾津江(ソムジンガン、섬진강)がシジミの名産地であり、川沿いに専門店が立ち並ぶ。専門店ではチェチョプフェ(シジミの和え物、[[재첩회]])、チェチョプチョン(シジミのチヂミ、[[재첩전]])、チェチョプピビムパプ(シジミのビビンバ、[[재첩비빔밥]])などの料理も提供する。 |
:*チェチョプフェ(シジミの和え物) | :*チェチョプフェ(シジミの和え物) | ||
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:郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)には、竹と野生の茶の木が混生する地域があり、828年に初めて茶の栽培を行った地域として「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」と呼ばれる。その典拠は三国時代の歴史書『三国史記(삼국사기)』にあり、新羅の興徳王(흥덕왕、第42代)が朝貢の使臣を唐に派遣したところ、茶の種子を持ち帰ってきたため、王命によって智異山(チリサン、지리산 ※原文では「地理山」と表記)に植えたと記録されている<ref>[http://db.history.go.kr/id/sg_010r_0060_0150 三國史記 권 제10 신라본기 제10/흥덕왕 3년 12월)] 、韓国史データベース、2024年2月23日閲覧</ref>。使臣の名前は大廉(デリョム、대렴)とだけ書かれており、姓は不明であるが、当時の記録で姓が省略される場合は「金(キム、김)」姓が多いことから金大廉(キム・デリョム、김대렴)と紹介されることもある。大廉が茶の種子を植えた場所は諸説あるものの、花開面は智異山の南部に位置しており、立地的にも齟齬がないことから有力な地域として広く認められている。 | :郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)には、竹と野生の茶の木が混生する地域があり、828年に初めて茶の栽培を行った地域として「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」と呼ばれる。その典拠は三国時代の歴史書『三国史記(삼국사기)』にあり、新羅の興徳王(흥덕왕、第42代)が朝貢の使臣を唐に派遣したところ、茶の種子を持ち帰ってきたため、王命によって智異山(チリサン、지리산 ※原文では「地理山」と表記)に植えたと記録されている<ref>[http://db.history.go.kr/id/sg_010r_0060_0150 三國史記 권 제10 신라본기 제10/흥덕왕 3년 12월)] 、韓国史データベース、2024年2月23日閲覧</ref>。使臣の名前は大廉(デリョム、대렴)とだけ書かれており、姓は不明であるが、当時の記録で姓が省略される場合は「金(キム、김)」姓が多いことから金大廉(キム・デリョム、김대렴)と紹介されることもある。大廉が茶の種子を植えた場所は諸説あるものの、花開面は智異山の南部に位置しており、立地的にも齟齬がないことから有力な地域として広く認められている。 | ||
− | :茶始培地は現在、近隣にある古刹の双渓寺(サンゲサ、쌍계사)が所有しており、その管理は大韓民国大韓名人(第15-448号)であり、茶店「法香茶園(법향다원)」代表のイ・サンヨン(이쌍용)氏が担当している。茶始培地で摘んだ茶葉は名人が9度に分けて釜炒りを行ったのち、双渓寺に納品されるほか、一般にも販売される。これを始培地茶(シベジチャ、[[시배지차]] | + | :茶始培地は現在、近隣にある古刹の双渓寺(サンゲサ、쌍계사)が所有しており、その管理は大韓民国大韓名人(第15-448号)であり、茶店「法香茶園(법향다원)」代表のイ・サンヨン(이쌍용)氏が担当している。茶始培地で摘んだ茶葉は名人が9度に分けて釜炒りを行ったのち、双渓寺に納品されるほか、一般にも販売される。これを始培地茶(シベジチャ、[[시배지차]])と呼び、その中でも竹林の下で育った茶の木から摘んだものは竹露茶(チュンノチャ、[[죽로차]])と呼ばれて珍重される。熟成過程を経た発酵茶(パリョチャ、[[발효차]])の生産も行う。 |
:郡内では[[ノクチャ(緑茶/녹차)]]をパンや菓子、[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)|マッコリ]]などに利用するほか、ノクチャネンミョン(緑茶冷麺、[[녹차냉면]])の生産も行われている。 | :郡内では[[ノクチャ(緑茶/녹차)]]をパンや菓子、[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)|マッコリ]]などに利用するほか、ノクチャネンミョン(緑茶冷麺、[[녹차냉면]])の生産も行われている。 | ||
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== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
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− | *[[ | + | *[[ノクチャ(緑茶/녹차)]] |
*[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)]] | *[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)]] | ||
*[[サンチェピビムパプ(山菜ビビンバ/산채비빔밥)]] | *[[サンチェピビムパプ(山菜ビビンバ/산채비빔밥)]] |