「江陵市の料理」の版間の差分

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江陵市は[[江原道の料理|江原道]]の中東部に位置し、[[江原道の料理|江原道]]の[[東海市の料理|東海市]]、[[旌善郡の料理|旌善郡]]、[[平昌郡の料理|平昌郡]]、[[洪川郡の料理|洪川郡]]、[[襄陽郡の料理|襄陽郡]]と接する。[[江原道の料理|江原道]]東部の中心都市であり、人口は21万0630人と[[江原道の料理|江原道]]では[[原州市の料理|原州市]]、[[春川市の料理|春川市]]に次いで3番目に多い(2023年4月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2023年5月7日閲覧</ref>。市の東部は東海岸に面して漁港や海水浴場が多く、西部は太白山脈(テベクサンメク、태백산맥)の一角を成し、雪岳山(ソラクサン、설악산)、五台山(オデサン、오대산)といった名峰を抱える。海と山の両方を楽しめる観光地として人気が高いほか、歴史的な見どころとして、1760年頃に建てられた両班の邸宅である船橋荘(ソンギョジャン、선교장)や、東海岸を望む景観のよい楼閣の鏡浦台(キョンポデ、경포대)、儒学者の栗谷李珥(ユルゴクイイ、율곡이이)と、母の申師任堂(シンサイムダン、신사임당)が生まれ育った烏竹軒(オジュコン、오죽헌)などがある。[[ソウル市の料理|ソウル市]]からのアクセスは、東ソウル総合ターミナル、ソウル高速バスターミナルから、江陵市の江陵高速バスターミナル、江陵市外バスターミナルまで高速バスで約2時間20分~2時間50分の距離。鉄道の場合、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の清涼里(チョンニャンニ、청량리)駅から江陵駅まで高速鉄道のKTXで約1時間30~40分の距離である。
 
江陵市は[[江原道の料理|江原道]]の中東部に位置し、[[江原道の料理|江原道]]の[[東海市の料理|東海市]]、[[旌善郡の料理|旌善郡]]、[[平昌郡の料理|平昌郡]]、[[洪川郡の料理|洪川郡]]、[[襄陽郡の料理|襄陽郡]]と接する。[[江原道の料理|江原道]]東部の中心都市であり、人口は21万0630人と[[江原道の料理|江原道]]では[[原州市の料理|原州市]]、[[春川市の料理|春川市]]に次いで3番目に多い(2023年4月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2023年5月7日閲覧</ref>。市の東部は東海岸に面して漁港や海水浴場が多く、西部は太白山脈(テベクサンメク、태백산맥)の一角を成し、雪岳山(ソラクサン、설악산)、五台山(オデサン、오대산)といった名峰を抱える。海と山の両方を楽しめる観光地として人気が高いほか、歴史的な見どころとして、1760年頃に建てられた両班の邸宅である船橋荘(ソンギョジャン、선교장)や、東海岸を望む景観のよい楼閣の鏡浦台(キョンポデ、경포대)、儒学者の栗谷李珥(ユルゴクイイ、율곡이이)と、母の申師任堂(シンサイムダン、신사임당)が生まれ育った烏竹軒(オジュコン、오죽헌)などがある。[[ソウル市の料理|ソウル市]]からのアクセスは、東ソウル総合ターミナル、ソウル高速バスターミナルから、江陵市の江陵高速バスターミナル、江陵市外バスターミナルまで高速バスで約2時間20分~2時間50分の距離。鉄道の場合、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の清涼里(チョンニャンニ、청량리)駅から江陵駅まで高速鉄道のKTXで約1時間30~40分の距離である。
  
*江原道の地名由来
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*江原道の由来
:江陵市が属する[[江原道の料理|江原道]]という地名は、高麗時代の1395年に江陵市、[[原州市の料理|原州市]]の頭文字を取って名付けられた。
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:朝鮮半島の中東部を占める地域を広く江原道と呼び、高麗時代の1395年に江陵市、[[原州市の料理|原州市]]の頭文字を取って名付けられた。
  
*江陵市の地名由来
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*江陵市の由来
 
:江陵市の江は、市中心部を流れる南大川(ナムデチョン、남대천)に由来し、陵は城山面(ソンサンミョン、성산명)地区に位置する冥州郡王陵(ミョンジュグンワンヌン、명주군왕릉)に由来するとの説がある。冥州郡王陵は、新羅の王族であり高官職を歴任した金周元(キムジュウォン、김주원)の陵墓。第37代宣徳王の死後に次代の王として推戴されたが、のちの第38代元聖王との抗争に敗れたため、現在の江陵市へと落ち延び、やがて冥州郡王として奉ぜられた。金周元は江陵金氏(カンヌンキムシ、강릉김씨)の始祖である。
 
:江陵市の江は、市中心部を流れる南大川(ナムデチョン、남대천)に由来し、陵は城山面(ソンサンミョン、성산명)地区に位置する冥州郡王陵(ミョンジュグンワンヌン、명주군왕릉)に由来するとの説がある。冥州郡王陵は、新羅の王族であり高官職を歴任した金周元(キムジュウォン、김주원)の陵墓。第37代宣徳王の死後に次代の王として推戴されたが、のちの第38代元聖王との抗争に敗れたため、現在の江陵市へと落ち延び、やがて冥州郡王として奉ぜられた。金周元は江陵金氏(カンヌンキムシ、강릉김씨)の始祖である。
  
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