「大邱市の料理」の版間の差分

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*西門市場
 
*西門市場
:西門市場(서문시장)は中区大新洞に位置する常設市場。1601年に慶尚道の監営が大邱に置かれると人々の往来が盛んになり、1669年頃にそれまで大邱邑城の北門にあった機能を西門の外に移し、これが西門市場の前身となった<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1285441&cid=40942&categoryId=32164 서문시장] 、斗山百科、2017年8月14日閲覧</ref>。その規模は慶尚道地域最大であり、朝鮮時代には平安道の平壌場(평양장)、忠清道の江景場(강경장)と並んで、大邱場(대구장)は朝鮮3大市場と称された<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1285441&cid=40942&categoryId=32164 서문시장] 、斗山百科、2017年8月14日閲覧</ref>。その後、1920年代に入って市街地が拡大したことで現在の場所へと再度移り、1922年に公設市場としての許可を受けた。綿花の栽培が盛んだった大邱では繊維産業が栄えたため、西門市場においても衣類、寝具などの扱いが多く、現在もこれらの店が多く営業している。また、後述するように西門市場はククス(麺、[[국수]])の生産でも中心的な役割を担い、現在も[[チャンチグクス(宴会用の温麺/잔치국수)]]や、[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]を提供する屋台、飲食店が多い([[大邱市の料理#代表的な特産品|代表的な特産品]]参照)。2016年6月には夜市場が始まり、大勢の観光客で賑わっている<ref>[http://www.nightseomun.com/html/base.php?url=html_04 야시장소개] 、西門市場夜市場ウェブサイト、2017年8月14日閲覧</ref>。
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:西門市場(서문시장)は中区大新洞に位置する常設市場。1601年に慶尚道の監営が大邱に置かれると人々の往来が盛んになり、1669年頃にそれまで大邱邑城の北門にあった機能を西門の外に移し、これが西門市場の前身となった<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1285441&cid=40942&categoryId=32164 서문시장] 、斗山百科、2017年8月14日閲覧</ref>。その規模は慶尚道地域最大であり、朝鮮時代には平安道の平壌場(평양장)、忠清道の江景場(강경장)と並んで、大邱場(대구장)は朝鮮3大市場と称された<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1285441&cid=40942&categoryId=32164 서문시장] 、斗山百科、2017年8月14日閲覧</ref>。その後、1920年代に入って市街地が拡大したことで現在の場所へと再度移り、1922年に公設市場としての許可を受けた。綿花の栽培が盛んだった大邱では繊維産業が栄えたため、西門市場においても衣類、寝具などの扱いが多く、現在もこれらの店が多く営業している。また、後述するように西門市場はククス(麺、[[국수]])の生産でも中心的な役割を担い、現在も[[チャンチグクス(宴会用の温麺/잔치국수)]]や、[[カルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)]]を提供する屋台、飲食店が多い([[大邱市の料理#麺(국수)|代表的な特産品/麺(국수)]]参照)。2016年6月には夜市場が始まり、大勢の観光客で賑わっている<ref>[http://www.nightseomun.com/html/base.php?url=html_04 야시장소개] 、西門市場夜市場ウェブサイト、2017年8月14日閲覧</ref>。
  
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
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