「ネンミョン(冷麺/냉면)」の版間の差分

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日本では戦前に朝鮮半島から渡ってきた人たちがネンミョンを伝えた。焼肉店を中心にネンミョンを食べられる店は多く、盛岡冷麺のように郷土料理となった事例もある。
 
日本では戦前に朝鮮半島から渡ってきた人たちがネンミョンを伝えた。焼肉店を中心にネンミョンを食べられる店は多く、盛岡冷麺のように郷土料理となった事例もある。
  
*「元祖平壌冷麺屋」の開店
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*元祖平壌冷麺屋の開店
 
:神戸の新長田に本店がある「元祖平壌冷麺屋」は1939年に平壌出身の張模蘭、全永淑夫婦が創業した。当初は家庭料理として作り、同郷の人たちにふるまう程度であったが、評判がよかったため店を開くに至った。現存する冷麺店としては朝鮮半島を含めてもっとも古い。
 
:神戸の新長田に本店がある「元祖平壌冷麺屋」は1939年に平壌出身の張模蘭、全永淑夫婦が創業した。当初は家庭料理として作り、同郷の人たちにふるまう程度であったが、評判がよかったため店を開くに至った。現存する冷麺店としては朝鮮半島を含めてもっとも古い。
  
 
*盛岡冷麺の誕生
 
*盛岡冷麺の誕生
:岩手県盛岡市では冷麺が郷土料理として親しまれている。咸鏡南道咸興市出身の青木輝人(楊龍哲)が1954年に「食道園」を開き、故郷の料理であるネンミョンを提供したのが始まりである。当初はコシの強い麺が不評だったが、やがてその魅力が浸透し、盛岡冷麺として定着した。その詳細な経緯については、小西正人著『盛岡冷麺物語』(リエゾンパブリッシング)に詳しい。
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:岩手県盛岡市では冷麺が郷土料理として親しまれている。咸鏡南道咸興市出身の青木輝人(楊龍哲)が1954年に「食道園」を開き、故郷の料理であるネンミョンを提供したのが始まりである。当初はコシの強い麺が不評だったが、やがてその魅力が浸透し、盛岡冷麺として定着した。その詳細な経緯については、小西正人著『盛岡冷麺物語』(リエゾンパブリッシング)に詳しい<ref>小西正人 2007, 『盛岡冷麺物語』, リエゾンパブリッシング</ref>。
  
 
== エピソード ==
 
== エピソード ==
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