「ネンミョン(冷麺/냉면)」の版間の差分

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*韓福眞の報告
 
*韓福眞の報告
 
:韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にあったという敦義洞の「東洋楼」という店を紹介している<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311</ref>。
 
:韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にあったという敦義洞の「東洋楼」という店を紹介している<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311</ref>。
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*文一平の日記
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:独立運動家であり歴史学者でもある文一平は、朝鮮日報の編集顧問として在籍していた1934年当時の日記を残している。1年分の日記には飲食にかかわる記述が多く、中でもネンミョンに触れた日は合計で17日分ある。日記内ではネンミョンを食べた店として「又春屋」、「真平屋」の名前があがっている。月別に見ると12月が5回ともっとも多く、次いで4月が3回、6、8、9月には登場せず残りの月は1~2回である<ref>문일평 지음, 이한수 옮김, 2008, 『문일평 1934년』, 산림출판사, P21-166</ref>。
  
 
== 種類 ==
 
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