「ナクチボックム(テナガダコ炒め/낙지볶음)」の版間の差分

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=== 文献上の記録 ===
 
=== 文献上の記録 ===
 
;『園幸乙卯整理儀軌』(1795年)の記述
 
;『園幸乙卯整理儀軌』(1795年)の記述
:『園幸乙卯整理儀軌(원행을묘정리의궤)』は1795年に、朝鮮王朝の第22代王、正祖(정조)が、母、恵慶宮洪氏(혜경궁홍씨)の還暦を祝うため、ともに父、思悼世子(사도세자)の陵墓がある[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]の水原華城(スウォンファソン、수원화성)まで出かけたときの記録である。この中に正祖と恵慶宮洪氏の夕食として、ナクチチョ(絡蹄炒、[[낙제초]])が出されたとの記述があり、これをナクチボックムのルーツと考える見解がある。ただし、宮中料理において「チョ(炒、초)」とつく料理は、チョンボクチョ(アワビの醤油煮、[[전복초]])や、ホンハプチョ(ムール貝の醤油煮、[[홍합초]])のような煮物料理を指すため、現在のような炒め物とは異なる可能性もある。なお、宮中飲食研究院発刊の書籍では、「チョ(炒)はもともと『炒める』という意味だが、我々の調理法ではチョリム(煮物)のように煮付け、のちに水溶き片栗粉を溶き入れて煮汁が固まるようにし、味付けは強めにせず甘く仕上げる」<ref>황혜성, 2004, 『황혜성・한복려 정길자의 대를 이은 조선왕조궁중음식』, 사단법인 궁중음식연구원, P99</ref>と説明している。
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:『園幸乙卯整理儀軌(원행을묘정리의궤)』は1795年に、朝鮮王朝の第22代王、正祖(정조)が、母、恵慶宮洪氏(혜경궁홍씨)の還暦を祝うため、ともに父、思悼世子(사도세자)の陵墓がある[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]の水原華城(スウォンファソン、수원화성)まで出かけたときの記録である。この中に正祖と恵慶宮洪氏の夕食として、ナクチェチョ(絡蹄炒、[[낙제초]])が出されたとの記述があり、これをナクチボックムのルーツと考える見解がある。ただし、宮中料理において「チョ(炒、초)」とつく料理は、チョンボクチョ(アワビの醤油煮、[[전복초]])や、ホンハプチョ(ムール貝の醤油煮、[[홍합초]])のような煮物料理を指すため、現在のような炒め物とは異なる可能性もある。なお、宮中飲食研究院発刊の書籍では、「チョ(炒)はもともと『炒める』という意味だが、我々の調理法ではチョリム(煮物)のように煮付け、のちに水溶き片栗粉を溶き入れて煮汁が固まるようにし、味付けは強めにせず甘く仕上げる」<ref>황혜성, 2004, 『황혜성・한복려 정길자의 대를 이은 조선왕조궁중음식』, 사단법인 궁중음식연구원, P99</ref>と説明している。
  
 
;『茲山魚譜』(1814年)の記述
 
;『茲山魚譜』(1814年)の記述
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