カクトゥギ(大根の角切りキムチ/깍두기)

2017年11月23日 (木) 07:08時点におけるHatta (トーク | 投稿記録)による版 (→‎逸話)

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カクトゥギ깍두기)は、大根の角切りキムチ。

名称

カクトゥギはさいの目切りにする様子を意味する「カクトゥクカクトゥク(깍둑깍둑)」という擬音を語源とする。宮中料理ではソンソンイ(송송이)とも呼ぶ。日本ではカクテキと呼ばれることも多く、またカクテギ、カクトゥキ、カットゥギといった表記も見かける。本辞典ではカクトゥギと表記する。発音表記は[깍뚜기]。

概要

カクトゥギは、大根の角切りキムチ。さいの目に切って塩漬けにした大根を、粉唐辛子、ニンニク、ショウガ、塩辛などを混ぜ合わせた薬味ダレに漬け込んで作る。主に家庭の常備菜、副菜として作られるほか、飲食店でも副菜のひとつとして提供される。中でもソルロンタン(牛スープ/설렁탕)や、コムタン(牛スープ/곰탕)といったスープ料理との相性がよいとされ、これらを専門とする店ではカクトゥギを自慢とするところが多い。また一部の店ではカクトゥギの汁を、スープに入れて味付けにしたりもする。類似の料理としては、ムキムチ(大根のキムチ/무김치)チョンガッキムチ(小大根のキムチ/총각김치)などがある。

歴史

文献上の記録

春香伝の記述
18世紀中ごろに成立したとされる説話『春香伝(춘향전)』にはカクテギ(깍대기)という表記でカクトゥギが登場している。

逸話

洪善杓の報告
日本統治時代に朝鮮食饌研究所(조선식찬연구소)を運営していた洪善杓(홍선표)は、1937年11月10日付けの東亜日報にてカクトゥギに関する逸話を以下のように紹介している[1]
「カクトゥギは200年前、正祖王の時代に正祖の婿である永明尉、洪顕周(ホン・ヒョンジュ)の夫人が王にさまざまな料理を新しく作って捧げたとき、初めて大根を切ってカクトゥギを作って差し上げたところ、たいへん賞賛なさり、召し上がった日から下々にまで伝播した。そのとき名前を刻毒気(カクトッキ)と称した。民間に伝播したのは、大臣の中で名前は記録されていないものの、公州に落郷した人物がカクトゥギを作って食べたことから、カクトゥギが公州を皮切りに民間で作られた関係で、今日まで公州カクトゥギとして有名なのである」(原文1)
【原文1】
깍두기는 二百여년전 정종조(正宗朝)때 정종조의 사위되는 영명위(永明尉)홍현주(洪顕周)의 부인이 임금님에게 여러가지 음식을 새로히만들어 들일때 처음으로 무를쓰러깍두기를 만들어 드렷더니 대단히 칭찬하시고 잡수인 일로부터 여염가 까지 전파하엿다는 것인대 그때일흠을 각독기(刻毒気)라하엿고 민간에전파하기는 그때대신중에 일흠은 기록된곳이 없음니다마는 공주에 낙향하야 깍두기를 맨들어먹엇든 까닭으로 깍두기가 공주에서부터 민간으로는 시작된관계로 오날까지 공주깍두기라고 유명한 것임니다.
ただし、ここに出てくる洪顕周の夫人であり正祖の娘である淑善翁主(숙선옹주)は1793年生まれであり、正祖が死去した1800年時にはまだ幼かったことを考えると、カクトゥギを捧げたのは次代の王である純祖であったか、または全体が俗説であることも考えられる。史実かどうかはともかく、この逸話をもとに忠清南道公州市では、2017年8月に第1回公州カクトゥギ祭り(공주깍두기축제)を開催している[2]

種類

カクトゥギには次のような種類がある。

日本における定着

地域

脚注

  1. 지상김장강습 일년중 제일 큰 행사인 조선가정의 김장 (2) 、NAVERニュースライブラリー、2017年11月23日閲覧
  2. 2017 공주깍두기축제’ 성황리에 열려 、特級ニュース、2017年11月23日閲覧

外部リンク

関連項目