「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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*『朝鮮料理法』(1939年)の記述
 
*『朝鮮料理法』(1939年)の記述
 
:趙慈鎬(조자호)によって1939年に書かれた『朝鮮料理法(조선요리법)』という書籍には、テグクソン([[태극선]])という料理が掲載されている<ref>[http://archive.hansik.org/contents_list/oldbook/item/contents_hansik/48/22813/ 조선요리법 朝鮮料理法] 、韓食アーカイブ、2017年11月6日閲覧</ref>。テグク(태극)は「太極」、ソン(선)は蒸し物を意味することから、『謏聞事説』に掲載された太極模様の可麻甫串を原型にした料理と考えられている。
 
:趙慈鎬(조자호)によって1939年に書かれた『朝鮮料理法(조선요리법)』という書籍には、テグクソン([[태극선]])という料理が掲載されている<ref>[http://archive.hansik.org/contents_list/oldbook/item/contents_hansik/48/22813/ 조선요리법 朝鮮料理法] 、韓食アーカイブ、2017年11月6日閲覧</ref>。テグク(태극)は「太極」、ソン(선)は蒸し物を意味することから、『謏聞事説』に掲載された太極模様の可麻甫串を原型にした料理と考えられている。
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;生鮮熟片と生鮮紋殊
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:オデンのルーツとして、1719年に書かれた『進宴儀軌(진연의궤)』という宮中での宴会料理から紐解く立場もある<ref>김상보, 2006, 『조선시대의 음식문화』, 도서출판 가람기획, P235</ref>。この文献には「生鮮熟片(センソンスッピョン、생선숙편)」という料理が記録されており、使用されている食材から、魚にでんぷんを加えて蒸した料理と考えられている。この料理はその後も、1829年の『進饌儀軌(진찬의궤)』、1901年の『進宴儀軌』、1902年の『進宴儀軌』などに、「生鮮紋殊(センソンムンジュ、생선문주)」という料理名で登場している。
  
 
=== 19世紀後半 ===
 
=== 19世紀後半 ===
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