「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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=== 1930年代 ===
 
=== 1930年代 ===
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*釜山日報の記事
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:1930年12月13日付けの紙面には、「忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出」という記事が掲載されている。忠南大川とは現在の忠清南道保寧市大川洞を指し、この地域にあった「高木商店」の蒲鉾人気を報じている。記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(天安)忠南大川は将来忠南唯一の漁港として嘱目されて居るだけありて魚類は非常に豊富であるので、同地高木商店の蒲鉾は大川名物として大(おおい)に賞賛せられ京南沿線各地京龍地方は勿論、南は大邱、北は遠く満州に迄搬出されて、需要益々増加するので製造元の高木商店は天手古舞(てんてこまい)の繁忙を極めて居るとのこと」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更、一部に読み仮名を追加)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1930_12_13_v0007_1160 忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
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*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
 
:1931年1月17日付けの紙面には、「咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て」という記事が掲載されている。統営産の蒲鉾人気を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(咸興)咸興地方に於ける蒲鉾の需要は人口の増加に伴ふて著るしく激増。地元産品のみでは充分需給調節を計る事は不可能である為、仁川方面から釜山、統営等の生産品が続々入荷され、相当の取引値段で消化されているが、此の中で品質から味に至る迄、最も賞用されてゐるのは統営産品で、釜山地方で製造されるものは逐年品質は勿論、味の点も落ちて行くと云ふので需要家筋は統営産品々々と其入荷を待ちつつあるの現状である」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1931_01_17_v0007_1030 咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
 
:1931年1月17日付けの紙面には、「咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て」という記事が掲載されている。統営産の蒲鉾人気を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(咸興)咸興地方に於ける蒲鉾の需要は人口の増加に伴ふて著るしく激増。地元産品のみでは充分需給調節を計る事は不可能である為、仁川方面から釜山、統営等の生産品が続々入荷され、相当の取引値段で消化されているが、此の中で品質から味に至る迄、最も賞用されてゐるのは統営産品で、釜山地方で製造されるものは逐年品質は勿論、味の点も落ちて行くと云ふので需要家筋は統営産品々々と其入荷を待ちつつあるの現状である」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1931_01_17_v0007_1030 咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
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