カルメギサル(豚ハラミの焼肉/갈매기살)
※この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。
カルメギサル(갈매기살)は、豚ハラミの焼肉。
名称
カルメギサルは豚ハラミ(横隔膜)を指す部位名。また、その焼肉料理を意味する。韓国語でカルメギは鳥類のカモメを意味し、カモメの肉と混同される場合もあるが、あくまでも豚肉の一部位であり、もともとは横隔膜を意味するカロマク(가로막)に由来するとの説が有力である。横隔膜に付帯する肉との意味のカロマクサル(가로막살)が、転じてカルメギサルと呼ばれるようになった。また、同様の理屈から、肉と内臓を分かつついたて(칸막이)のような部位との意味からカンマギサル(칸막이살)、さらには肝臓との間を分かつとの意味でカンマギサル(간막이살)から転じたとの説もある。一方で、豚ハラミを広げたときの姿がカモメに似ていることからカルメギサルと呼ばれるようになったとの説もよく語られる。日本ではガルメギサルとの表記も見られるが、本辞典においては「カルメギサル」を使用する。発音表記は[갈매기살]。
概要
カルメギサルは豚ハラミの焼肉。塩やゴマ油、またはタレなどで下味をつけ、鉄板、網などで焼いて食べる。脂肪が少なく、シコシコとした食感が特徴で、噛み締める中から豊富なうま味を楽しめる。食べ方は一般的な焼肉料理と同様に、キルムジャン(기름장)と呼ばれる塩とゴマ油を混ぜたタレにつけて食べるか、またはサンチュ、エゴマの葉などの葉野菜に包み、スライスニンニク、刻んだ青唐辛子、千切りネギのサラダなどを添え、サムジャン(쌈장、合わせ味噌)を載せて味わう。カルメギサルを専門とする店もあるが、豚焼肉店の一メニューとして提供されることが多い。一般的には特殊部位(특수부위、希少部位)のひとつと認識される。
歴史
1970年代
- 京畿道城南市の事例
- カルメギサルは豚肉の一部位としてよりも内臓に近い副産物ととらえられていた。カルメギサルを独立したひとつの部位として食べ始めたのは1970年代からと考えられている。京畿道城南市麗水洞にはカルメギサルの専門店が集まっており、1970年代から専門店ができ始めたとされる。
タッカルビの由来には諸説ある。地方によっても異なるが、1960年頃に誕生したとの説が有力である。
春川市の事例
- 春川市の調査
- タッカルビの発祥地を自認し、市内にも専門店を多数有する春川市は2003~4年に発祥の経緯を調査し、以下のように公式的な発表をしている。
- 「春川地域でのタッカルビ誕生に対し調査をした結果、1959年から現在の中央路2街18番地(現、三星生命駐車場と、駐車場のそばにある三星生命の玄関階段の間。その当時はバスターミナルとして使われており、近隣にある現、中央路2街11番地の朝興銀行は江原合乗の終点として使用)に、板で作った小さな豚焼肉店を始めた金永錫さんが、四月革命(1960年4月19日)が起きた年のある日、豚肉を仕入れられず、鶏2羽を買ってきてぶつ切りにし、テジカルビ(豚カルビ焼き)のように作ってみなければならないと言って、終日研究をした結果、鶏肉をテジカルビのように開いてタッカルビを作り、これに味付けをして12時間寝かせ売り始めたのが春川タッカルビが作られた由来と確認する」(原文1)。[1]
- 韓国観光公社の記述
- また、同様の記述は韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)にも見られ、そこでは以下のように紹介されている。
- 「1960年代初め、春川の中央路のある掘っ立て小屋で主に豚肉料理出していたいた金氏夫婦がいました。ある日豚肉が手に入らなかった夫婦は、鶏2羽を買ってテジカルビ(豚のカルビ)のように料理しました。鶏肉をテジカルビのように広く伸ばし、かたまりのまま焼いて切って食べると一風変わった味がしました。その後、甘いタレに鶏肉を漬け込んでおいてからテジカルビのように焼いて出したところ、酒のつまみとして人気を呼ぶようになりました。このようにして誕生した『タッカルビ(鶏肉と野菜のピリ辛鉄板焼き)』は、噂で春川全域に広がり、1960年末頃には練炭の上に鉄板をのせタッカルビを焼いて出す『タッカルビ屋台』が流行しました。タッカルビは他の焼き料理に比べて値段が安かったため、休暇中の軍人や京春線の列車に乗り春川や江村に遊びに来た大学生にも好まれました。タッカルビ一つの値段が100ウォンしかしなかったため、『大学生カルビ』または『庶民カルビ』という名前も付きました」[2]
- ファン・ギョイクの報告
- コラムニストのファン・ギョイクは著書『味について行ってみる(맛따라 갈까 보다)』の中で、タッカルビは当初、タップルコギ(닭불고기)と呼ばれていたとし、春川明洞タッカルビ通りの親睦団体「ケミョン会(계명회)」会長の言葉として、「1961年、楽園洞に『ウソンタップルコギ』という店が初めてタップルコギという名前の看板を掲げた」(原文2)との話を載せている。[3] また、同書ではタッカルビという名称が70年代中盤に登場し、タップルコギとしばらく併用された後、タッカルビに統一されたと記述している。
- 【原文1】「춘천지역에서의 닭갈비 발생에 대하여 조사한 결과 1959년 지금의 중앙로2가 18번지(현 삼성생명 주차장과 주차장 옆 삼성생명 현관 계단 사이, 그 당시에는 버스터미널로 사용되었으며, 인근에 있는 현 중앙로2가 11번지 조흥은행은 강원합승종점으로 사용됨)에서 판자로 지은 조그만 장소에서 돼지고기등으로 영업을 하던 김영석(金永錫)씨가 1960년 4.19가 일어나던해 어느날 돼지고기 구하기 어려워 닭 2마리를 사가지고 와서 닭을 토막내어 돼지갈비처럼 만들어 보아야 하겠다고 하여, 하루종일 연구끝에 닭을 돼지갈비처럼 발려서 닭갈비를 만들었으며, 이것을 양념하여 12시간 재워서 팔기 시작한 것이 춘천닭갈비가 만들어진 유래로 확인됨.」
- 【原文2】「61년 낙원동에‘우성 닭불고기’집이 최초로 닭불고기란 이름의 간판을 내걸었다」
洪川郡の事例
タッカルビの発祥地を春川市と隣接する洪川郡だとする主張も根強い。現在の洪川では1969年創業の「オクスタッカルビ(옥수닭갈비)」が営業を続けており、洪川では元祖とされている。春川式のタッカルビが網焼きから始まったのに対し、洪川式では鍋料理風のスタイルから発展していった。
- オクスタッカルビの事例
- 店主によれば自店が洪川では初めてタッカルビを提供し、創業当初はドラム缶に練炭を使った方式だったという。また、創業当初は地元客のみならず行楽客でも賑わったが、1975年に嶺東高速道路が東海岸まで伸びると、客足が鈍ったと語っている。(八田靖史の取材記録より、2003年1月14日)
- グルメガイドの記事
- 韓国で2000年に発行されたグルメガイド「元祖の名店100倍楽しむ地方編(원조맛집 100배 즐기기 지방편)」(中央M&B)には以下のような記述がある。
- 「『タッカルビ』という名称はもともと洪川で先に使用された。今の春川タッカルビとは異なり、当時の洪川タッカルビは鍋にダシを注いで煮て食べるものだった」(原文3)[4]
- 【原文3】「'닭갈비'라는 명칭은 월래 홍천에서 면저 사용되었다. 지금 춘천의 닭갈비와는 달리 당시의 홍천닭갈비는 냄비에 육수를 부어 끓여 먹는 것이었다.」
1970~80年代
- ファン・ギョイクの報告
- 前掲書の中で、タッカルビの歴史についても時代ごとの考察をしており、1960年代については前述した内容とほぼ共通する。1970年代以降について、以下に引用する。
- 「70年代初めまでのタップルコギは、今のタッカルビとは違ってドラム缶の中に練炭を入れ、その上に焼き網を載せて味付けをした鶏肉を焼いて食べた」「70年代の中盤を過ぎ、ドラム缶の上から焼き網が消え鉄板が上がった。 それと共に野菜と餅が入り始め、肉を食べた後にごはんや麺を加えて食べるようになった」「80年代に入ると、タッカルビの人気はまさに爆発的だった。 特にテレビの『味に沿って道に沿って』のような番組に紹介されてからは、春川における古くからの郷土料理であるマッククスに次ぐ名声を得始めた」(原文3)[3]
- 【原文3】「70년대 초까지의 닭불고기는 지금의 닭갈비와는 달리 드럼통 안에 연탄을 넣고 그 위에 석쇠를 올려 양념한 닭고기를 구워 먹었다.」「70년대 중반을 넘기면서 드럼통 위에 석쇠가 퇴장하고 철판이 올랐다. 그러면서 야채와 가래떡이 들어가기 시작하고 고기를 먹고 난 다음 밥이나 국수를 비벼 주게 되었다.」「80년대 들어 닭갈비의 인기는 가히 폭발적이었다. 특히 텔레비전의 '맛따라 길따라' 류의 프로그램에 소개되고 난 후부터는 춘천의 오랜 향토 음식인 막국수에 버금가는 명성을 얻기 시작했다.」
1990年代以降
90年代に入ってからはソウルを中心として全国に専門店が拡大していった。
種類
タッカルビには次のような種類がある。
鶏肉のバリエーション
タッカルビはもともと骨のついた肉をぶつ切りにして使ったが、徐々に食べやすい骨なしの鶏モモ肉が主流となっていった。90年代には骨ありと骨なしを選ぶ店が多かったが、やがて骨なしが主流となり、タッカルビといえば骨なしが当たり前になってきている。タッカルビの語源が、骨つきの鶏肉を牛カルビや豚カルビに見立てたこと由来するのを考えると、現在のスタイルは名前とかけ離れたものになったと言える。
- ピョインヌンタッカルビ(뼈있는닭갈비)
- 骨ありのタッカルビ
- ピョオムヌンタッカルビ(뼈없는닭갈비)
- 骨なしのタッカルビ
具のバリエーション
- ヘムルタッカルビ(해물닭갈비)
- 魚介類を加えたタッカルビ
- ナクチタッカルビ(낙지닭갈비)
- テナガダコを加えたタッカルビ
- チュクミタッカルビ(주꾸미닭갈비)
- イイダコを加えたタッカルビ
- カレータッカルビ(카레닭갈비)
- カレー味のタッカルビ。特にカレー味と名乗らなくても味付けにカレー粉を用いる店もある。
- チーズタッカルビ(치즈닭갈비)
- ピザ用のシュレッドチーズを加えたタッカルビ
調理法のバリエーション
煮る、焼くといった調理法のタッカルビは、2010年代に入ってソウルを中心に増加の傾向を示している。
- クンムルタッカルビ(국물닭갈비)
- 鍋料理のように煮汁を多めに作るタッカルビ。江原道太白市の郷土料理としても有名で、テベクタッカルビ(태백닭갈비)と呼ばれることもある。
- スップルタッカルビ(숯불닭갈비)
- 下味をつけた鶏肉を網焼きするタッカルビ。かつて春川で作られていた大元のスタイルを踏襲したもの。
日本における定着
90年代に韓国で流行したのを受け、90年代後半から2000年代の初めにかけて、日本にもタッカルビが持ち込まれた。中でも2000~01年にかけては専門店がオープンしたり、ファミリーレストランの「デニーズ」がメニューに加えるなど、ブームの様相を呈した。このとき、タッカルビでなく「ダッカルビ」との表記も多く使われたため、現在でもダッカルビと表記するケースは多い。
- 2000年から2001年にかけて東京、新大久保で「玄の家」、西新宿の新宿アイランドタワー地下1階で「春川ダッカルビ」、渋谷のセンター街で「元祖春川村」といったタッカルビ専門店がオープンした。
- 2001年1月にはファミリーレストランの「デニーズ」がタッカルビの販売を始めた。
- 2002年2月には味の素から「Cook Do Korea!ダッカルビ用」が、ミツカンから「アジア元気食堂〈タッカルビ丼〉」が発売され、家庭でも手軽にタッカルビを味わえるようになった。
エピソード
- 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は1997年2月25日に初めてタッカルビを食べ、当時の日記に「にわとりカルビは非常に美味しかった」との感想を残している。
地域
- 江原道春川市
- 全国的にタッカルビ発祥の地として有名。明洞や楽園洞、江原大学の周辺などにタッカルビの専門店通りがある。
- 江原道洪川郡
- 江原道春川市とともにタッカルビ発祥地のひとつと考えられている。
- 江原道太白市
- 鍋料理風に仕立てるクンムルタッカルビが郷土料理として有名。テベクタッカルビとも呼ぶ。
- 江原道旌善郡
- ファンギタッカルビが有名。韓方のひとつでもあるファンギ(キバナオウギ)は旌善郡の特産品。