「大邱市の料理」の版間の差分

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:1982年の創業で界隈では古株とされる「元祖北城路ウドンプルコギ(원조북성로우동불고기)」の店主によれば、近隣にウドンの麺を作る工場があって、そこから仕入れて販売したのが始まりだった。当初は夜の遅いタクシー運転手を相手とする商売だったが、クチコミで徐々に広がって屋台が増えていった。当初はウドンとともに[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)]]を提供していたが、徐々に薄切りの豚肉を網焼きにするスタイルとなった(八田靖史の取材記録より、2017年6月24日)。
 
:1982年の創業で界隈では古株とされる「元祖北城路ウドンプルコギ(원조북성로우동불고기)」の店主によれば、近隣にウドンの麺を作る工場があって、そこから仕入れて販売したのが始まりだった。当初は夜の遅いタクシー運転手を相手とする商売だったが、クチコミで徐々に広がって屋台が増えていった。当初はウドンとともに[[テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)]]を提供していたが、徐々に薄切りの豚肉を網焼きにするスタイルとなった(八田靖史の取材記録より、2017年6月24日)。
  
:直接的な関係はないものの、北城路一帯は20世紀初頭から日本人が多く住んだ地域で、大邱本町尋常小学校昭和18年卒業生有志が共作した「昭和十年代大邱府本町小學校區之圖」によると、昭和10年代には満盛庵、大東庵など少なくとも4軒のうどん店があり、2017年頃まで主要な屋台群があったテチャン駐車場(대창주차장)の場所(中区北城路2街8-17)には、木材やレンガなどを主に扱う「杉原合資会社」があって製糖、製粉業も営んでいた<ref>大邱本町尋常小学校昭和18年卒業生有志共作「昭和十年代大邱府本町小學校區之圖」より</ref><ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1030371/1/81?keyword=%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%90%88%E8%B3%87%E4%BC%9A%E7%A4%BE 帝国商工会編, 1932年, 『帝国商工録(昭和8年版 朝鮮版)』, 帝国商工会, P138] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号81/110)、2026年3月16日閲覧</ref>。。
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:直接的な関係はないものの、北城路一帯は20世紀初頭から日本人が多く住んだ地域で、大邱本町尋常小学校昭和18年卒業生有志が共作した「昭和十年代大邱府本町小學校區之圖」によると、昭和10年代には満盛庵、大東庵など少なくとも4軒のうどん店があり、2017年頃まで主要な屋台群があったテチャン駐車場(대창주차장)の場所(中区北城路2街8-17)には、木材やレンガなどを主に扱う「杉原合資会社」があって製糖、製粉業も営んでいた<ref>大邱本町尋常小学校昭和18年卒業生有志共作「昭和十年代大邱府本町小學校區之圖」より</ref><ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1030371/1/81?keyword=%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%90%88%E8%B3%87%E4%BC%9A%E7%A4%BE 帝国商工会編, 1932年, 『帝国商工録(昭和8年版 朝鮮版)』, 帝国商工会, P138] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号81/110)、2026年3月16日閲覧</ref>
  
 
=== リンゴ(사과) ===
 
=== リンゴ(사과) ===
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