「ソルロンタン(牛スープ/설렁탕)」の版間の差分

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*モンゴル語由来説
 
*モンゴル語由来説
:13世紀に高麗王朝は元(モンゴル)の支配を受け、第25代の忠烈王(충렬왕)から第31代の恭愍王(공민왕)までは元の王族と婚姻をした。このことから高麗時代末期の宮中にはモンゴルの文化が流入し、食文化においても大きな影響を与えるに至った。代表的な例のひとつが仏教の伝来以降、公には避けられてきた肉食の復活である。ソルロンタンは、モンゴル料理のシュル(ヒツジのスープ、шөл)を牛肉で応用された料理と考えられ、シュルが変化してソルロンタンになったと考えられる。1768年に李億成(イ・オクソン、이억성)が改訂、刊行した中国語、朝鮮語、モンゴル語の対訳辞典『蒙語類解(몽어유해)』には、漢字語の「空湯」についてハングルで「肉を煮た水(고기 삶은 물)」「シュル(슈루)」と説明している<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?kwd=%EB%AA%BD%EC%96%B4%EC%9C%A0%ED%95%B4#viewKey=CNTS-00047689265&viewType=C 蒙語類解, P95] 、韓国国立中央図書館(コマ番号97/106)、2025年7月9日閲覧</ref>。空湯(コンタン、공탕)は、[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]の語源と解釈する説もある。シュルについては、宮中で王、王妃、王大妃の食事を水剌(スラ、[[수라]])と呼ぶが、こちらの語源でもあると考える説がある。
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:13世紀に高麗王朝は元(モンゴル)の支配を受け、第25代の忠烈王(충렬왕)から第31代の恭愍王(공민왕)までは元の王族と婚姻をした。このことから高麗時代末期の宮中にはモンゴルの文化が流入し、食文化においても大きな影響を与えるに至った。代表的な例のひとつが仏教の伝来以降、公には避けられてきた肉食の復活である。ソルロンタンは、モンゴル料理のシュル(ヒツジのスープ、шөл)を牛肉で応用された料理と考えられ、シュルが変化してソルロンタンになったと考えられる。1768年に李億成(イ・オクソン、이억성)が改訂、刊行した中国語、朝鮮語、モンゴル語の対訳辞典『蒙語類解(몽어유해)』には、漢字語の「空湯」をハングルで「肉を煮た水(고기 삶은 물)」「シュル(슈루)」と説明している<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?kwd=%EB%AA%BD%EC%96%B4%EC%9C%A0%ED%95%B4#viewKey=CNTS-00047689265&viewType=C 蒙語類解, P95] 、韓国国立中央図書館(コマ番号97/106)、2025年7月9日閲覧</ref>。空湯(コンタン、공탕)は、[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]の語源と解釈する説もある。シュルについては、宮中で王、王妃、王大妃の食事を水剌(スラ、[[수라]])と呼ぶが、こちらの語源でもあると考える説がある。
  
 
== 地域 ==
 
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