「ホットク(蜜入りのお焼き/호떡)」の版間の差分
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2014年7月7日 (月) 14:30時点における版
※この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。
ホットク(호떡)は、蜜入りのお焼き。
名称
ホットクのホは漢字で「胡」と書いて中国のこと。ットクは餅。中国から伝わった餅菓子との意。日本ではホットッ、ホットック、ホトッといった表記も見られるが、本辞典においては「ホットク」を使用する。発音表記は[호떡]。
概要
ホットクは小麦粉の生地に黒砂糖の蜜を入れて焼いた料理。シナモンの香りを効かせることが多い。鉄板に油やマーガリンをひき、表面を揚げ焼くようにして作る。主に冬季の屋台料理として軽食、間食用に販売されるが、店によっては通年で販売しているところもある。近年は生地や具、トッピングなどが多様化し、さまざまな種類のホットクが作られるようになっている。スーパーなどでは家庭用としてホットクミックス(ホットクの素)も販売されている。
歴史
開化期から日本統治時代
19世紀末に中国(清)から渡った人たちが伝えたというのが定説。20世紀初頭には全国へと広まり、間食として人気を集めた。当時のホットクは現在のものとは異なり、油を使わずに焼く方式が主流だった。このスタイルは現在の韓国にも残り、イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)と呼ばれている。
- 韓福眞の報告
- 当時ソウルに伝わったホットク店の様子は韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 に詳しい。以下に引用する。「1900年代初頭、ソウルの太平路2街・明洞・鍾路5街、西小門・小公洞などにあったホットク店の看板は黒く塗った厚い板に金粉で店名を書き、両側に赤い布を房のように垂らしたものを入口にかけ、小さなガラスの陳列台にホットクを置いて売った。店内には机のような座席がいくつかと松の板に足をつけた長椅子があった」「ホットクを焼く窯があり、まず鉄板の上に置いて焼き、次に鉄板の下の窯に入れてひっくり返しながら膨らむ時まで焼く。1930年代には1個5銭で大きさは普通直径16cmほどとひとつ食べても腹がふくれ、学生たちが多く通った」(原文1)。
- 【原文1】「1900년대 초기 서울의 태평로2가, 명동, 종로5가, 서소문, 소공동, 등에 있던 호떡집의 간판은 검은 칠한 두꺼운 널에 금가루로 가게 이름을 쓰고, 양쪽에 붉은 천을 술처럼 늘인 것을 입구에 걸고 작은 유리 진열장에 호떡을 넣고 팔았다. 안에는 책상 같은 상 몇 개와 소나무 널에 다리를 단 긴 걸상이 있었다.」「호떡을 굽는 화덕이 있어 먼저 철판 위에 놓아 굽다가 다음에 철판 아래의 화덕에 넣어서 뒤집어가며 부풀어오를 때까지 굽는다. 1930년대에는 한 개 5전씩으로 크기는 보통 지름이 16cm 정도로 하나만 먹어도 요기가 되어 학생들이 많이 드나들었다.」[1]
- キム・チャンビョルの報告
- キム・チャンビョルは著書『韓国料理、その美味しい誕生(한국음식 그 맛있는 탄생)』の中で日本統治時代(1910~1945年)の新聞報道や公判記録などからホットクに関する記事を抜粋し紹介した。文中で「私が探し出したもっとも古い記録は1919年までさかのぼる。南大門付近のホットク店でホットクを食べた後、三一独立運動に加担したある学生の公判記録である」と述べ、その公判記録(「韓民族独立運動史資料集-18」三一独立宣言関連者公判始末書(被告、鄭信煕))を引用している。また、これらを元に「1919年に中国ホットク店がソウル市内に当たり前に存在していたことがわかる」(原文2)と結論づけた。
- 【原文2】「내가 찾아낸 가장 옛 기록은 1919년으로 거슬러 올라간다. 남대문 부근의 호떡집에서 호떡을 먹다가 졸지에 3.1운동에 가담한 어느 학생의 공판 기록이다.」「1919년에 중국호떡집이 서울 시내에 흔하게 존재했음을 알 수 있다.」[2]
1940年代
- 仲洞ホットクの事例
- 全羅北道群山市仲洞にある「仲洞ホットク」は1943年の創業で、現在まで続くホットク店としては最古だと考えられる。屋台ではなく店舗を構えて営業しており、注文ごとに焼いて提供する。「鉄板に油をひかずに焼く昔ながらのスタイルで、生地は小麦粉をベースに少量の重曹を加え、卵や塩は用いない。具には黒砂糖のみを入れている」(八田靖史の取材記録より、2010年4月7日)
1970~80年代
- キム・チャンビョルの報告
- キム・チャンビョルは著書『韓国料理、その美味しい誕生(한국음식 그 맛있는 탄생)』の中で自身の経験から、「窯で焼くホットクが油の上で揚げ焼くホットクに変わったのは、70年代後半から80年代初めぐらいのことであるようだ」(原文3)と述べている。
- 【原文3】「화덕에서 굽는 호떡이 기름 위에서 지지는 호떡으로 바뀐 것은 70년대 후반에서 80년대 초반 정도의 일인 것 같다.」[3]
2000年代以降
2000年代以降、ホットクのバリエーションはどんどん増加し、生地、具、トッピングなどの要素において店ごとのオリジナリティがアピールされている。ホットクにフルーツやアイスクリームなどをトッピングし、レストランでのデザートとして活用する例も出てきている。
種類
ホットクには次のような種類がある。
生地のバリエーション
- ノクチャホットク(녹차호떡)
- 生地に緑茶を練り込んだホットク。
- スッホットク(쑥호떡)
- 生地にヨモギを練り込んだホットク。
- オクススホットク(옥수수호떡)
- 生地にトウモロコシの粉を練り込んだホットク。
- チャプサルホットク(찹쌀호떡)
- 生地にもち米の粉を用いたホットク。
焼き方のバリエーション
- 油を用いず、鉄板や窯で焼くホットク。生地に油分がなくパンのような食感になる。油を使わないため従来品に比べてヘルシーだとの人気も高い。中国ホットク(중국호떡)、バブルホットク(버블호떡)といった呼び方もある。2013年5月24日にMBCの番組「シングル男のハッピーライフ(原題「나 혼자 산다」)」で、タレントのノ・ホンチョルがバブルホットクを好む姿が放送されて話題となった。その後の韓国ではバブルホットクを提供する屋台が急増した。
具のバリエーション
- ヤチェホットク(야채호떡)
- 具にチャプチェ(春雨炒め/잡채)を入れたホットク。醤油ダレを塗って味わう。ソウルの南大門市場名物として有名。直訳では「野菜ホットク」という意味になる。
- チーズホットク(치즈호떡)
- 具にチーズを入れたホットク。
トッピングのバリエーション
- シアッホットク(씨앗호떡)
- トッピングとしてナッツをまぶしたホットク。具にもナッツを混ぜることがある。釜山の名物として有名。直訳では「種ホットク」という意味になる。
日本における定着
1995年に「ジョンノホットク」の社長が東京の新大久保や赤坂に屋台を出し、ホットクを売り出したのが始まりとされる。「ジョンノホットク」では黒砂糖入りのホットクを「はちみつ」としてわかりやすく表記し、また日本人の舌に合わせてあんこ入り、チーズ入りといったバリエーションも加えた。[4] このスタイルは日本におけるホットクの定番となった。韓流以降は新大久保ではコリアンタウンの名物スイーツとして定着し、提供する店が増えるとともに、中に入れる具もバリエーションが増えた。現在はチャプチェ(春雨炒め/잡채)入り、チョコレート入り、サツマイモ入りなどが登場している。
地域
- ソウル市中区南倉洞(南大門市場)
- ヤチェホットクが名物として有名。
- 仁川市中区新浦洞(新浦市場)
- イェンナルホットク(中国ホットク)が名物として有名。新浦市場は20世紀初頭に外国人向けの市場としてスタートし、現在も中国料理や中国食材を多く扱っている。
- 江原道束草市中央洞(束草中央市場)
- シアッホットクが名物として有名。釜山の南浦洞スタイルを踏襲し人気を集める。多いときで30分待ち以上の大行列ができる。
- 釜山市釜山鎮区釜田洞(西面エリア)
- シアッホットクが名物として有名。
- 釜山市中区南浦洞(BIFF広場)
- チャプサルホットクが名物として有名。油のかわりにマーガリンを用い、たっぷりの油で揚げ焼くのが特徴。具として黒砂糖を入れるのとは別に、トッピング用として黒砂糖が用意され、自由につけて食べることができる。
- 済州道済州市一徒1洞(東門市場)
- スッホットクが名物として有名。済州島ではヨモギが特産品のひとつ。
脚注
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P322
- ↑ 김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P80~82
- ↑ 김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P87
- ↑ ジョンノホットクについて 、ジョンノホットクウェブサイト、2014年4月24日閲覧