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:三国時代に中国から仏教とともに喫茶の習慣が伝わり、茶に添える菓子類が盛んに作られるようになった。直接的な記録はないが、『三国遺事』の「駕洛国記」に王族の祭祀を行う際の供物として「菓」の文字が書かれていること<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_002_0010_0230_0060 三国遺事 > 巻 第二 > 紀異第二 > 駕洛国記 > 伽耶滅亡以後の伽耶王たちの祭祀(가야 멸망 이후 가야왕들의 제사)] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>や、『三国史記』「新羅本紀」にて神文王3年(683年)2月に王妃を迎える際の礼物として米、油、蜂蜜など菓子作りに必要な素材が含まれていること<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sg_008_0020_0140 三国史記 > 新羅本紀 第八 > 神文王 > 金欽運の娘を夫人として迎えるために結納を取り交わす(김흠운의 딸을 부인으로 맞이하기 위해 납채하다)] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>が根拠として多く掲げられる。 | :三国時代に中国から仏教とともに喫茶の習慣が伝わり、茶に添える菓子類が盛んに作られるようになった。直接的な記録はないが、『三国遺事』の「駕洛国記」に王族の祭祀を行う際の供物として「菓」の文字が書かれていること<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_002_0010_0230_0060 三国遺事 > 巻 第二 > 紀異第二 > 駕洛国記 > 伽耶滅亡以後の伽耶王たちの祭祀(가야 멸망 이후 가야왕들의 제사)] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>や、『三国史記』「新羅本紀」にて神文王3年(683年)2月に王妃を迎える際の礼物として米、油、蜂蜜など菓子作りに必要な素材が含まれていること<ref>[https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sg_008_0020_0140 三国史記 > 新羅本紀 第八 > 神文王 > 金欽運の娘を夫人として迎えるために結納を取り交わす(김흠운의 딸을 부인으로 맞이하기 위해 납채하다)] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>が根拠として多く掲げられる。 | ||
| − | : | + | :朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)が1760年頃に書いたとされる百科事典『星湖僿説(성호사설)』には、ヤックァに関する記述があり、中国戦国時代(紀元前5~3世紀)の政治家、屈原のまとめた詩集『楚辞』内の「招魂賦」にあげられた3種の菓子、粔籹、蜜餌、餦餭のうち、粔籹がパッケ(蜜入りの揚げ焼き菓子、[[박계]])、蜜餌がヤックァ、餦餭は飴菓子に相当するのではないかと述べている<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=BT#dir/node?dataId=ITKC_BT_1368A_0050_010_1210&viewSync=OT 星湖僿説 / 第4巻萬物門(粔籹蜜餌))] 、韓国古典総合DB、2023年7月2日閲覧</ref>。この考察を正しいとすれば、ヤックァのルーツは中国戦国時代までさかのぼるとも考えられる。 |
=== 高麗時代 === | === 高麗時代 === | ||