「カクトゥギ(大根の角切りキムチ/깍두기)」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
1行目: 1行目:
 
{{Notice}}
 
{{Notice}}
 
+
[[ファイル:17112601.JPG|400px|thumb|カクトゥギ]]
 
'''カクトゥギ'''([[깍두기]])は、大根の角切りキムチ。
 
'''カクトゥギ'''([[깍두기]])は、大根の角切りキムチ。
 
[[ファイル:17112601.JPG|thumb|400px|カクトゥギ]]
 
  
 
== 名称 ==
 
== 名称 ==
[[ファイル:17112602.JPG|thumb|300px|飲食店の卓上に常備されたカクトゥギ。ハサミで食べやすい大きさに切って味わう]]
+
[[ファイル:17112602.JPG|300px|thumb|飲食店の卓上に常備されたカクトゥギ。ハサミで食べやすい大きさに切って味わう]]
 
カクトゥギはさいの目切りにする様子を意味する「カクトゥクカクトゥク(깍둑깍둑)」という擬音を語源とする。宮中料理ではソンソンイ(송송이)とも呼ぶ。日本ではカクテキと呼ばれることも多く、またカクテギ、カクトゥキ、カットゥギといった表記も見かける。本辞典ではカクトゥギと表記する。発音表記は[깍뚜기]。
 
カクトゥギはさいの目切りにする様子を意味する「カクトゥクカクトゥク(깍둑깍둑)」という擬音を語源とする。宮中料理ではソンソンイ(송송이)とも呼ぶ。日本ではカクテキと呼ばれることも多く、またカクテギ、カクトゥキ、カットゥギといった表記も見かける。本辞典ではカクトゥギと表記する。発音表記は[깍뚜기]。
  
13行目: 11行目:
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
[[ファイル:17112603.JPG|thumb|300px|カクトゥギなどに用いる大根]]
+
[[ファイル:17112603.JPG|300px|thumb|カクトゥギなどに用いる大根]]
 
カクトゥギは、大根の角切りキムチ。さいの目に切って塩漬けにした大根を、粉唐辛子、ニンニク、ショウガ、塩辛などを混ぜ合わせた薬味ダレに漬け込んで作る。カクトゥギに使われる大根はチョソンム(朝鮮大根、[[조선무]])と呼ばれるもので、日本の大根よりも寸が詰まって太い。主に家庭の常備菜、副菜として作られるほか、飲食店でも副菜のひとつとして提供される。中でも[[ソルロンタン(牛スープ/설렁탕)]]や、[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]といったスープ料理との相性がよいとされ、これらを専門とする店ではカクトゥギを自慢とするところが多い。また一部の店ではカクトゥギの汁を、スープに入れて味付けにしたりもする。類似の料理としては、[[ムキムチ(大根のキムチ/무김치)]]、[[チョンガッキムチ(小大根のキムチ/총각김치)]]などがある。
 
カクトゥギは、大根の角切りキムチ。さいの目に切って塩漬けにした大根を、粉唐辛子、ニンニク、ショウガ、塩辛などを混ぜ合わせた薬味ダレに漬け込んで作る。カクトゥギに使われる大根はチョソンム(朝鮮大根、[[조선무]])と呼ばれるもので、日本の大根よりも寸が詰まって太い。主に家庭の常備菜、副菜として作られるほか、飲食店でも副菜のひとつとして提供される。中でも[[ソルロンタン(牛スープ/설렁탕)]]や、[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]といったスープ料理との相性がよいとされ、これらを専門とする店ではカクトゥギを自慢とするところが多い。また一部の店ではカクトゥギの汁を、スープに入れて味付けにしたりもする。類似の料理としては、[[ムキムチ(大根のキムチ/무김치)]]、[[チョンガッキムチ(小大根のキムチ/총각김치)]]などがある。
  
28行目: 26行目:
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
[[ファイル:17112605.JPG|thumb|300px|春香伝の舞台となった南原の広寒楼]]
+
[[ファイル:17112605.JPG|300px|thumb|春香伝の舞台となった南原の広寒楼]]
 
カクトゥギのもっとも古い記録は、18世紀中ごろに成立したとされる韓国の代表的な説話『春香伝(チュニャンジョン、춘향전)』に登場する。詳しい調理法は19世紀末に書かれた『是議全書([[시의전서]])』に見ることができ、20世紀に入るとさまざまな種類のカクトゥギが料理書に掲載され始める。カクトゥギの歴史について日本語で読める資料としては、佐々木道雄著『キムチの文化史』(福村出版)に詳しい<ref>佐々木道雄, 2009, 『キムチの文化史』, 福村出版, P139-142</ref>。
 
カクトゥギのもっとも古い記録は、18世紀中ごろに成立したとされる韓国の代表的な説話『春香伝(チュニャンジョン、춘향전)』に登場する。詳しい調理法は19世紀末に書かれた『是議全書([[시의전서]])』に見ることができ、20世紀に入るとさまざまな種類のカクトゥギが料理書に掲載され始める。カクトゥギの歴史について日本語で読める資料としては、佐々木道雄著『キムチの文化史』(福村出版)に詳しい<ref>佐々木道雄, 2009, 『キムチの文化史』, 福村出版, P139-142</ref>。
 +
 +
=== 逸話 ===
 +
;洪善杓の報告(19世紀初め?)
 +
: 日本統治時代に朝鮮食饌研究所(조선식찬연구소)を運営していた洪善杓(홍선표)は、1937年11月10日付けの東亜日報にてカクトゥギに関する逸話を以下のように紹介している<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1937111000209203001&editNo=2&printCount=1&publishDate=1937-11-10&officeId=00020&pageNo=3&printNo=5821&publishType=00020 지상김장강습 일년중 제일 큰 행사인 조선가정의 김장 (2)] 、NAVERニュースライブラリー、2017年11月23日閲覧</ref>。
 +
 +
: 「カクトゥギは200年前、正祖王の時代に正祖の婿である永明尉、洪顕周(ホン・ヒョンジュ)の夫人が王にさまざまな料理を新しく作って捧げたとき、初めて大根を切ってカクトゥギを作って差し上げたところ、たいへん賞賛なさり、召し上がった日から下々にまで伝播した。そのとき名前を刻毒気(カクトッキ)と称した。民間に伝播したのは、大臣の中で名前は記録されていないものの、公州に落郷した人物がカクトゥギを作って食べたことから、カクトゥギが公州より民間で作られ始めた関係で、今日まで公州カクトゥギとして有名なのである」【原文2】
 +
 +
:【原文2】
 +
:깍두기는 二百여년전 정종조(正宗朝)때 정종조의 사위되는 영명위(永明尉)홍현주(洪顕周)의 부인이 임금님에게 여러가지 음식을 새로히만들어 들일때 처음으로 무를쓰러깍두기를 만들어 드렷더니 대단히 칭찬하시고 잡수인 일로부터 여염가 까지 전파하엿다는 것인대 그때일흠을 각독기(刻毒気)라하엿고 민간에전파하기는 그때대신중에 일흠은 기록된곳이 없음니다마는 공주에 낙향하야 깍두기를 맨들어먹엇든 까닭으로 깍두기가 공주에서부터 민간으로는 시작된관계로 오날까지 공주깍두기라고 유명한 것임니다.
 +
 +
:ただし、ここに出てくる洪顕周の夫人であり正祖の娘である淑善翁主(숙선옹주)は1793年生まれであり、正祖が死去した1800年時にはまだ幼かったことを考えると、カクトゥギを捧げたのは次代の王である純祖であったか、または全体が俗説であることも考えられる。史実かどうかはともかく、この逸話をもとに[[忠清南道の料理|忠清南道]][[公州市の料理|公州市]]では、2017年8月に第1回公州カクトゥギ祭り(공주깍두기축제)を開催している<ref>[http://www.expressnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=94499 2017 공주깍두기축제’ 성황리에 열려] 、特級ニュース、2017年11月23日閲覧</ref>。
  
 
=== 文献上の記録 ===
 
=== 文献上の記録 ===
48行目: 57行目:
 
;『朝鮮無双新式料理製法』(1924年)の記述
 
;『朝鮮無双新式料理製法』(1924年)の記述
 
:李用基(イ・ヨンギ、이용기)によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法([[조선무쌍신식요리제법]])』にはカクトゥギ(表記は깍뚝이)、ウェカクトゥギ(キュウリの角切りキムチ、表記は외깍뚝이)、クルカクトゥギ(牡蠣を入れた大根の角切りキムチ、表記は굴깍뚝이)、ヘッカクトゥギ(初物の大根を使った角切りキムチ、表記は햇깍뚝이)、チェカクトゥギ(大根の千切りキムチ、表記は채깍뚝이)、スッカクトゥギ(茹でた大根の角切りキムチ、表記は숙깍뚝이)という6種類が掲載されている<ref>李用基, 1930, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P103-105</ref>(1930年の再版本で確認)。
 
:李用基(イ・ヨンギ、이용기)によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法([[조선무쌍신식요리제법]])』にはカクトゥギ(表記は깍뚝이)、ウェカクトゥギ(キュウリの角切りキムチ、表記は외깍뚝이)、クルカクトゥギ(牡蠣を入れた大根の角切りキムチ、表記は굴깍뚝이)、ヘッカクトゥギ(初物の大根を使った角切りキムチ、表記は햇깍뚝이)、チェカクトゥギ(大根の千切りキムチ、表記は채깍뚝이)、スッカクトゥギ(茹でた大根の角切りキムチ、表記は숙깍뚝이)という6種類が掲載されている<ref>李用基, 1930, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P103-105</ref>(1930年の再版本で確認)。
 
=== 逸話 ===
 
;洪善杓の報告(19世紀初め?)
 
: 日本統治時代に朝鮮食饌研究所(조선식찬연구소)を運営していた洪善杓(홍선표)は、1937年11月10日付けの東亜日報にてカクトゥギに関する逸話を以下のように紹介している<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1937111000209203001&editNo=2&printCount=1&publishDate=1937-11-10&officeId=00020&pageNo=3&printNo=5821&publishType=00020 지상김장강습 일년중 제일 큰 행사인 조선가정의 김장 (2)] 、NAVERニュースライブラリー、2017年11月23日閲覧</ref>。
 
 
: 「カクトゥギは200年前、正祖王の時代に正祖の婿である永明尉、洪顕周(ホン・ヒョンジュ)の夫人が王にさまざまな料理を新しく作って捧げたとき、初めて大根を切ってカクトゥギを作って差し上げたところ、たいへん賞賛なさり、召し上がった日から下々にまで伝播した。そのとき名前を刻毒気(カクトッキ)と称した。民間に伝播したのは、大臣の中で名前は記録されていないものの、公州に落郷した人物がカクトゥギを作って食べたことから、カクトゥギが公州より民間で作られ始めた関係で、今日まで公州カクトゥギとして有名なのである」【原文2】
 
 
:【原文2】
 
:깍두기는 二百여년전 정종조(正宗朝)때 정종조의 사위되는 영명위(永明尉)홍현주(洪顕周)의 부인이 임금님에게 여러가지 음식을 새로히만들어 들일때 처음으로 무를쓰러깍두기를 만들어 드렷더니 대단히 칭찬하시고 잡수인 일로부터 여염가 까지 전파하엿다는 것인대 그때일흠을 각독기(刻毒気)라하엿고 민간에전파하기는 그때대신중에 일흠은 기록된곳이 없음니다마는 공주에 낙향하야 깍두기를 맨들어먹엇든 까닭으로 깍두기가 공주에서부터 민간으로는 시작된관계로 오날까지 공주깍두기라고 유명한 것임니다.
 
 
:ただし、ここに出てくる洪顕周の夫人であり正祖の娘である淑善翁主(숙선옹주)は1793年生まれであり、正祖が死去した1800年時にはまだ幼かったことを考えると、カクトゥギを捧げたのは次代の王である純祖であったか、または全体が俗説であることも考えられる。史実かどうかはともかく、この逸話をもとに[[忠清南道の料理|忠清南道]][[公州市の料理|公州市]]では、2017年8月に第1回公州カクトゥギ祭り(공주깍두기축제)を開催している<ref>[http://www.expressnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=94499 2017 공주깍두기축제’ 성황리에 열려] 、特級ニュース、2017年11月23日閲覧</ref>。
 
  
 
== 種類 ==
 
== 種類 ==
[[ファイル:17112606.JPG|thumb|300px|アガミカクトゥギ]]
+
[[ファイル:17112606.JPG|300px|thumb|アガミカクトゥギ]]
 
カクトゥギには次のような種類がある。
 
カクトゥギには次のような種類がある。
  
89行目: 87行目:
  
 
== 日本における定着 ==
 
== 日本における定着 ==
[[ファイル:17112607.JPG|thumb|300px|カクテキと表記された日本の商品]]
+
[[ファイル:17112607.JPG|300px|thumb|カクテキと表記された日本の商品]]
 
1910年からの日本統治時代を前後してさまざまなキムチが本格的に日本でも知られるようになった。カクトゥギに関する資料は1910年代から、当時の朝鮮半島を紹介した本や、漬物の作り方を紹介する本に散見できる。また、現在の日本でも慶尚道方言に由来するカクテキという名称が使われるように、慶尚道出身者を中心とする在日コリアンによっても伝えられた。
 
1910年からの日本統治時代を前後してさまざまなキムチが本格的に日本でも知られるようになった。カクトゥギに関する資料は1910年代から、当時の朝鮮半島を紹介した本や、漬物の作り方を紹介する本に散見できる。また、現在の日本でも慶尚道方言に由来するカクテキという名称が使われるように、慶尚道出身者を中心とする在日コリアンによっても伝えられた。
  
105行目: 103行目:
  
 
== エピソード ==
 
== エピソード ==
[[ファイル:17112608.JPG|thumb|300px|カクトゥギの載った盛岡冷麺]]
+
[[ファイル:17112608.JPG|300px|thumb|カクトゥギの載った盛岡冷麺]]
 
;盛岡冷麺
 
;盛岡冷麺
 
:日本の盛岡冷麺には具のひとつとしてカクトゥギが載る。重要な辛味の要素であり、これを別盛りにして提供することもある。
 
:日本の盛岡冷麺には具のひとつとしてカクトゥギが載る。重要な辛味の要素であり、これを別盛りにして提供することもある。
116行目: 114行目:
  
 
== 地域 ==
 
== 地域 ==
[[ファイル:17112609.JPG|thumb|300px|カクトゥギを添えたチュンムキムパプ]]
+
[[ファイル:17112609.JPG|300px|thumb|カクトゥギを添えたチュンムキムパプ]]
 
*仁川市江華郡
 
*仁川市江華郡
 
:[[仁川市の料理|仁川市]][[江華郡の料理|江華郡]]では、名産品のカブ([[순무]])を大きめの角切りにし、カクトゥギのように漬け込む。大根に比べて食感がしんなりとしており、カブの風味が活きているのが特徴である。
 
:[[仁川市の料理|仁川市]][[江華郡の料理|江華郡]]では、名産品のカブ([[순무]])を大きめの角切りにし、カクトゥギのように漬け込む。大根に比べて食感がしんなりとしており、カブの風味が活きているのが特徴である。
32,549

回編集

案内メニュー