「アグチム(アンコウの蒸し煮/아구찜)」の版間の差分

提供: 韓食ペディア
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(同じ利用者による、間の14版が非表示)
4行目: 4行目:
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
アグ([[아구]])はアンコウ、チム([[찜]])は少量の煮汁で蒸し煮にする調理法のこと。アンコウはアグィ([[아귀]])とも呼ばれるため、アグィチム([[아귀찜]])と呼ぶこともある。ぶつ切りしたアンコウに加え、セリ、豆モヤシ、長ネギなどの野菜などが入り、粉唐辛子、醤油、ニンニク、ショウガなどを混ぜ合わせた薬味ダレで蒸し煮にして作る。アンコウの身はワサビ醤油につけて食べてもよい。アンコウ料理の専門店や、海鮮料理店、居酒屋などで提供される。そのほかアンコウを使った料理としては、[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]、アグスユク(茹でアンコウ、[[아구수육]])などがある。韓国でアンコウが食用として利用され始めたのは1960年代であり、この時期に[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]の馬山(マサン、마산)地区や、[[仁川市の料理|仁川市]]において調理法が普及していった。アグチムも馬山が発祥であり、現地の郷土料理として知られる。
+
アグ([[아구]])はアンコウ、チム([[찜]])は少量の煮汁で蒸し煮にする調理法のこと。アンコウはアグィ([[아귀]])とも呼ばれるため、アグィチム([[아귀찜]])と呼ぶこともある。ぶつ切りしたアンコウに加え、セリ、豆モヤシ、長ネギなどの野菜などが入り、粉唐辛子、醤油、ニンニク、ショウガなどを混ぜ合わせた薬味ダレで蒸し煮にして作る。調理法によってエビ、イイダコ、エボヤなどの魚介を加えることもある。仕上げには水溶き片栗粉を加え、全体をどろっとさせて具と薬味ダレがよく絡むようにする。飲食店ではワサビ醤油が添えられるので、好みによってアンコウの身をつけて食べる。主にアンコウ料理の専門店で味わう料理であり、海鮮料理店、居酒屋などでも提供される。アンコウを使った料理としては、ほかに[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]、アグスユク(茹でアンコウ、[[아구수육]])などがある。[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]や、[[仁川市の料理|仁川市]]の郷土料理として知られる。
  
 
*アンコウの語源
 
*アンコウの語源
 
:1814年に丁若銓の書いた魚類学書『茲山魚譜(자산어보)』では、アンコウの名称を「釣絲魚([[조사어]])」、俗称を「餓口魚([[아구어]])」と紹介している<ref>[https://library.korea.ac.kr/detail/?cid=CAT000000733434&ctype=o 玆山魚譜 / 筆寫本(P30)] 、高麗大学校図書館、2024年5月14日閲覧</ref>。名称の「釣絲魚」は「釣り糸を垂らした魚」という意味で、頭部の誘引突起を釣り糸に見立てたもの。俗称は「飢えた口の魚」という意味で、大きな口を持つ見た目から名前がついた。標準語の「아귀」も「餓鬼」が語源とされる。
 
:1814年に丁若銓の書いた魚類学書『茲山魚譜(자산어보)』では、アンコウの名称を「釣絲魚([[조사어]])」、俗称を「餓口魚([[아구어]])」と紹介している<ref>[https://library.korea.ac.kr/detail/?cid=CAT000000733434&ctype=o 玆山魚譜 / 筆寫本(P30)] 、高麗大学校図書館、2024年5月14日閲覧</ref>。名称の「釣絲魚」は「釣り糸を垂らした魚」という意味で、頭部の誘引突起を釣り糸に見立てたもの。俗称は「飢えた口の魚」という意味で、大きな口を持つ見た目から名前がついた。標準語の「아귀」も「餓鬼」が語源とされる。
  
 +
*アンコウの日
 +
:[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]が、2009年に5月9日を「アグデー(アンコウの日、아구데이)」として指定した。数字の「5(オ、오)」「9(グ、구)」が、アンコウを意味するアグ([[아구]])に似ていることが由来である。[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]の午東洞(オドンドン、오동동)では、毎年5月9日頃に「馬山アグデー祭り(마산아구데이축제)」が開催される。
 +
 +
== 歴史 ==
 +
[[ファイル:23082802.JPG|thumb|300px|馬山アグチム通り入口の看板]]
 +
[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]の馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)が発祥地として知られ、1964~65年頃に誕生したと語られることが多い。発祥は諸説あるが、1964年の冬に「こぶおばあさん(혹부리 할머니)」と呼ばれる人物が考案したとする説と、現在も営業を続ける1965年創業の「チンチャチョガチプ(진짜초가집)」を元祖とする説に大きく分かれる。一帯は飲食店街であり同時多発的に生まれたとも見られ、同じく1965年創業の古株店「クガンハルメアグチム(구강할매아구찜)」は2010年代半ばまで営業を続けていたが現在は閉店している。
 +
 +
=== 1960~70年代 ===
 +
;こぶおばあさんの店
 +
:明確な資料は見当たらないものの、こぶおばあさん(혹부리 할머니)と呼ばれる人物が最初に考案したとの話が伝わる<ref>황교익, 2000, 『맛 따라 갈까 보다』, 디자인하우스, P64-70</ref><ref>[http://www.koreatimes.com/article/20061012/342733 김영복과 떠나는 이야기가 있는 음식여행 (19) 아귀어 요리] 、韓国日報(2006年10月13日付記事)、2025年8月17日閲覧</ref>。こぶおばあさんは本名も店名も不明だが、住所は「東城洞(トンソンドン、동성동)186」にあったとされる。現在「午東洞文化広場(오동동문화광장)」のある向かいで、アグチムの専門店が集まる一角である。寒い冬のある日、客のひとりがアンコウを持参して料理を作って欲しいと頼んだが、こぶおばあさんは見た目にグロテスクなので、そのまま店の裏に放っておいた。しばらく忘れていたが、気付いてみるとほどよく水分が抜けて熟成していた。これを蒸し煮にして客に出してみたところ好評を得て、定番のメニューになった。
 +
 +
;「チンチャチョガチプ」の創業
 +
:午東洞の「チンチャチョガチプ(진짜초가집)」は1965年にパク・ヨンジャ(박영자)氏が創業した。韓食財団が発行した『韓国人が愛する老舗の韓食堂(한국인이 사랑하는 오래된 한식당)』では、同店の取材をもとにアグチム誕生の経緯を以下のように紹介している。
 +
 +
:「アンコウは不器量な見た目ではあるが、朝鮮戦争後は避難民の空腹を満たす貴重な魚だった。魚の中ではいちばん安かったが、大根、ネギと一緒に煮るとさっぱりした味が絶品だった。単に茹でたり、汁物としてのみ食べられていたアンコウが、蒸し煮料理に発展したのは1960年代半ばだ。パク・ヨンジャ氏がスープ用の残ったアンコウを洗濯ひもにかけて干しておいたところ、ある朝、スープを食べに来たお客さんが「迎え酒をしたいので干したアンコウでつまみを作ってくれ」と頼んだ。突然の注文ではあったが、副菜用に買っておいた豆モヤシと干したアンコウを、粉唐辛子とネギ、ニンニクで和え、味噌で味を調えて蒸し煮にしたところ、これがアグチムの始まりになった」【原文1】<ref>(재)한식재단, 2012, 『한국인이 사랑하는 오래된 한식당』, 한국외식정보, P224-225</ref>
 +
 +
:【原文1】아귀는 못난 외양과 달리 6.25 전쟁 이후 피란민들의 배고픔을 달래주던 귀한 생선이었다. 생선 가운데 가장 저렴했지만 무와 파를 넣고 끓이면 시원한 맛이 일품이었다. 단순하게 수육이나 국으로만 끓여먹었던 아귀가 찜으로 발전한 것은 1960년 중반쯤이다. 박영자 씨가 어느 날 생선국으로 팔다 남은 아귀를 빨래줄에 걸어 말려 놓았는데, 아침에 생선국을 먹으러 온 손님이 '해장술 한 잔 하고 싶으니 말린 아귀로 안주를 만들어 달로'고 요청했다. 갑작스러운 주문에 마침 찬거리로 사다놓은 콩나물에 말린 아귀를 넣고 고춧가루와 파, 마늘로 버무려 된장으로 간을 해 쪄 냈는데 그것이 바로 아귀찜의 시초가 된 것이다.
 +
 +
;『朝鮮日報』(1973年)の記述
 +
:1973年8月28日の朝鮮日報に「別味珍味 馬山『アグチム』」という記事があり、「馬山の午東洞料亭通りで飲食店を営んでいた『クガンチプ(구강집)』の女性主人、ク・ボンアクさん(59)が8年前から愛酒家の好みに合うようマッコリの肴にしたのがきっかけ。いまは広く知られるようになり、アグチムを売る店は馬山市内だけでも50ヵ所あまり。釜山、大邱、ソウルなどでも、「馬山アグチム」専門という看板を見ることができる」【原文2】と紹介されている<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1973082800239105013 別味珍味(27)馬山「아구찜」] 、NAVERニュースライブラリー、2025年8月17日閲覧</ref>。記事にある「クガンチプ」は1965年創業を掲げる古株店で、2010年代半ばまでは営業が確認できるが現在は閉店。
 +
 +
:【原文2】「마산의 오동동 요정골목에서 음식집을 해오던 『구강집』여주인 구봉악씨(59)가 8년전부터 애주가들의 기호에 맞도록 막걸리 안주로 만든 것이 동기. 지금은 널리 퍼져 아구찜 파는 집은 마산시내만도 50여곳. 부산 대구 서울 등지까지 『마산아구찜』전문이란 간판을 볼 수 있다.」
 +
 +
;『馬山夜話』(1973年)の記述
 +
:1973年に刊行された『馬山夜話』は、1970年10月より『馬山市史』を編纂中であった金亨潤(キム・ヒョンユン、김형윤)が執筆途中の1973年8月に亡くなったことから、その遺稿をまとめて出版されたものである。同書には「馬山の味覚」と題された項目があり、「最近、新しい食べ物が登場した。それが『アグ』というもので、3~4年前までは漁網にかかると漁師は海に捨てていたが、突然ごはんのおかずや酒肴として大衆の寵愛を受けている。これはひどく辛い薬味ダレで味付けがされていて、それがかえって魅力だとされる。 これを食べるときはティッシュやタオルを持っていかねば汗、鼻水、涙を拭うことができない。とても辛い」【原文3】と記している<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?#viewKey=CNTS-00113705567&viewType=C 金亨潤, 1973『馬山野話: 金亨潤遺稿集』, 태화출판사, P84-85、327] 、韓国国立中央図書館(コマ番号85-86、328/332)、2024年9月21日閲覧</ref>。3~4年前がどの時点で書かれたものかは不明だが、1960年代後半には人気の料理であったことが推測される。
 +
 +
:【原文3】「최근 새로운 음식이 나타났다. 즉 『아구』라는 것인데 三、四년 전만 해도 漁網에 걸리면 어부는 이걸 바다에 버리던 것이 갑자기 밥 반찬과 술 안주로 대중의 총애를 받고 있다. 이게 지독하게 매운 약념으로 만들어져서 도리어 口味에 매력이 있다는 것이다. 이것을 먹을 땐 휴지나 수건을 갖고 있어야 땀, 콧물, 눈물을 닦을 수가 있다. 아주 맵다.」
 +
 +
== 種類 ==
 
*コンアグチム
 
*コンアグチム
 
:コンアグチム([[건아구찜]])は、干しアンコウの蒸し煮。コン([[건]])は漢字で「乾」と書いて「乾燥」の意。同じ意味で、マルンアグチム([[마른 아구찜]])とも呼ぶ。アグチムの発祥地である[[昌原市の料理|昌原市]]の馬山では、もともと干したアンコウを利用して作った。現在は専門店に行くと、コンアグチムと、センアグチム(生アンコウの蒸し煮、[[생아구찜]])の両方を提供する。
 
:コンアグチム([[건아구찜]])は、干しアンコウの蒸し煮。コン([[건]])は漢字で「乾」と書いて「乾燥」の意。同じ意味で、マルンアグチム([[마른 아구찜]])とも呼ぶ。アグチムの発祥地である[[昌原市の料理|昌原市]]の馬山では、もともと干したアンコウを利用して作った。現在は専門店に行くと、コンアグチムと、センアグチム(生アンコウの蒸し煮、[[생아구찜]])の両方を提供する。
  
== 歴史 ==
+
== 地域 ==
かつて韓国ではアンコウの利用が盛んではなかったが、1960年代半ばに[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)の飲食店「チンチャチョガチプ(진짜초가집)」で、干したアンコウをセリや豆モヤシと辛いタレで蒸し煮にしたアグチムが開発され、これが定着して全国区の料理になった。
+
*ソウル市
 +
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の瑞草区新沙洞(ソチョグ シンサドン、서초구 신사동)には[[カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)]]や、アグチムなどの魚介料理を専門とする飲食店が集まっている。
 +
 
 +
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の瑞草区方背洞(ソチョグ パンベドン、서초구 방배동)には「カフェ通り(카페 골목)」と呼ばれる一角があり、1970年代後半から1980年代にかけてカフェや飲食店の集まる歓楽街として人気を集めた。飲食店の中ではアグチムの専門店が多く、「アグチム通り(아구찜 골목)」とも呼ばれたが、現在は数軒を残して規模を縮小している。
 +
 
 +
:[[ソウル市の料理|ソウル市]]の鍾路区楽園洞(チョンノグ ナグォンドン、종로구 낙원동)にはたくさんの飲食店が集まっており、楽園商街(낙원상가)の裏手にアグチム専門店の並ぶ一角がある。
  
== 地域 ==
 
[[ファイル:23082802.JPG|thumb|300px|馬山アグチム通り入口の看板]]
 
 
*仁川市
 
*仁川市
 
:[[仁川市の料理|仁川市]]の彌鄒忽区龍峴洞(ミチュホルグ ヨンヒョンドン、미추홀구 용현동)にはアンコウ料理の専門店が集まっており、アグチムや[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]などの料理を提供している。[[仁川市の料理|仁川市]]ではアンコウのことをムルトムボンイ([[물텀벙이]])と呼び、一帯は「龍峴洞ムルトムボンイ通り」(용현동 물텀벙이거리)と呼ばれる。
 
:[[仁川市の料理|仁川市]]の彌鄒忽区龍峴洞(ミチュホルグ ヨンヒョンドン、미추홀구 용현동)にはアンコウ料理の専門店が集まっており、アグチムや[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]などの料理を提供している。[[仁川市の料理|仁川市]]ではアンコウのことをムルトムボンイ([[물텀벙이]])と呼び、一帯は「龍峴洞ムルトムボンイ通り」(용현동 물텀벙이거리)と呼ばれる。
22行目: 54行目:
 
*慶尚南道昌原市
 
*慶尚南道昌原市
 
:[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]の馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)はアグチムの発祥地として知られ、「馬山アグチム通り(마산명물아구찜거리)」がある。専門店ではアグチムのほか、[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]などのアンコウ料理を提供している。
 
:[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[昌原市の料理|昌原市]]の馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)はアグチムの発祥地として知られ、「馬山アグチム通り(마산명물아구찜거리)」がある。専門店ではアグチムのほか、[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]などのアンコウ料理を提供している。
 +
 +
*全羅北道群山市
 +
:[[全羅北道の料理|全羅北道]][[群山市の料理|群山市]]では、アグチムが郷土料理のひとつに数えられる。1973年に創業した「キョンサノク(경산옥)」が草分けとなり、周囲に店が増えていったとされる。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
33行目: 68行目:
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
{{DEFAULTSORT:あくちむ}}
 
{{DEFAULTSORT:あくちむ}}
 +
*[[カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)]]
 
*[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]
 
*[[アグタン(アンコウ鍋/아구탕)]]
 +
*[[ソウル市の料理]]
 
*[[仁川市の料理]]
 
*[[仁川市の料理]]
 
*[[慶尚南道の料理]]
 
*[[慶尚南道の料理]]
 
*[[昌原市の料理]]
 
*[[昌原市の料理]]
 +
*[[全羅北道の料理]]
 +
*[[群山市の料理]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
[[Category:鍋・スープ料理の一覧]]
 
[[Category:鍋・スープ料理の一覧]]
 
[[Category:魚介料理の一覧]]
 
[[Category:魚介料理の一覧]]
 +
[[Category:ソウル市の料理]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 
[[Category:慶尚南道・蔚山市の料理]]
 
[[Category:慶尚南道・蔚山市の料理]]
 +
[[Category:全羅北道の料理]]

2025年8月17日 (日) 23:19時点における最新版

この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。
馬山のコンアグチム

アグチム아구찜)は、アンコウの蒸し煮。

概要

アグ(아구)はアンコウ、チム()は少量の煮汁で蒸し煮にする調理法のこと。アンコウはアグィ(아귀)とも呼ばれるため、アグィチム(아귀찜)と呼ぶこともある。ぶつ切りしたアンコウに加え、セリ、豆モヤシ、長ネギなどの野菜などが入り、粉唐辛子、醤油、ニンニク、ショウガなどを混ぜ合わせた薬味ダレで蒸し煮にして作る。調理法によってエビ、イイダコ、エボヤなどの魚介を加えることもある。仕上げには水溶き片栗粉を加え、全体をどろっとさせて具と薬味ダレがよく絡むようにする。飲食店ではワサビ醤油が添えられるので、好みによってアンコウの身をつけて食べる。主にアンコウ料理の専門店で味わう料理であり、海鮮料理店、居酒屋などでも提供される。アンコウを使った料理としては、ほかにアグタン(アンコウ鍋/아구탕)、アグスユク(茹でアンコウ、아구수육)などがある。慶尚南道昌原市や、仁川市の郷土料理として知られる。

  • アンコウの語源
1814年に丁若銓の書いた魚類学書『茲山魚譜(자산어보)』では、アンコウの名称を「釣絲魚(조사어)」、俗称を「餓口魚(아구어)」と紹介している[1]。名称の「釣絲魚」は「釣り糸を垂らした魚」という意味で、頭部の誘引突起を釣り糸に見立てたもの。俗称は「飢えた口の魚」という意味で、大きな口を持つ見た目から名前がついた。標準語の「아귀」も「餓鬼」が語源とされる。
  • アンコウの日
慶尚南道昌原市が、2009年に5月9日を「アグデー(アンコウの日、아구데이)」として指定した。数字の「5(オ、오)」「9(グ、구)」が、アンコウを意味するアグ(아구)に似ていることが由来である。慶尚南道昌原市の午東洞(オドンドン、오동동)では、毎年5月9日頃に「馬山アグデー祭り(마산아구데이축제)」が開催される。

歴史

馬山アグチム通り入口の看板

慶尚南道昌原市の馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)が発祥地として知られ、1964~65年頃に誕生したと語られることが多い。発祥は諸説あるが、1964年の冬に「こぶおばあさん(혹부리 할머니)」と呼ばれる人物が考案したとする説と、現在も営業を続ける1965年創業の「チンチャチョガチプ(진짜초가집)」を元祖とする説に大きく分かれる。一帯は飲食店街であり同時多発的に生まれたとも見られ、同じく1965年創業の古株店「クガンハルメアグチム(구강할매아구찜)」は2010年代半ばまで営業を続けていたが現在は閉店している。

1960~70年代

こぶおばあさんの店
明確な資料は見当たらないものの、こぶおばあさん(혹부리 할머니)と呼ばれる人物が最初に考案したとの話が伝わる[2][3]。こぶおばあさんは本名も店名も不明だが、住所は「東城洞(トンソンドン、동성동)186」にあったとされる。現在「午東洞文化広場(오동동문화광장)」のある向かいで、アグチムの専門店が集まる一角である。寒い冬のある日、客のひとりがアンコウを持参して料理を作って欲しいと頼んだが、こぶおばあさんは見た目にグロテスクなので、そのまま店の裏に放っておいた。しばらく忘れていたが、気付いてみるとほどよく水分が抜けて熟成していた。これを蒸し煮にして客に出してみたところ好評を得て、定番のメニューになった。
「チンチャチョガチプ」の創業
午東洞の「チンチャチョガチプ(진짜초가집)」は1965年にパク・ヨンジャ(박영자)氏が創業した。韓食財団が発行した『韓国人が愛する老舗の韓食堂(한국인이 사랑하는 오래된 한식당)』では、同店の取材をもとにアグチム誕生の経緯を以下のように紹介している。
「アンコウは不器量な見た目ではあるが、朝鮮戦争後は避難民の空腹を満たす貴重な魚だった。魚の中ではいちばん安かったが、大根、ネギと一緒に煮るとさっぱりした味が絶品だった。単に茹でたり、汁物としてのみ食べられていたアンコウが、蒸し煮料理に発展したのは1960年代半ばだ。パク・ヨンジャ氏がスープ用の残ったアンコウを洗濯ひもにかけて干しておいたところ、ある朝、スープを食べに来たお客さんが「迎え酒をしたいので干したアンコウでつまみを作ってくれ」と頼んだ。突然の注文ではあったが、副菜用に買っておいた豆モヤシと干したアンコウを、粉唐辛子とネギ、ニンニクで和え、味噌で味を調えて蒸し煮にしたところ、これがアグチムの始まりになった」【原文1】[4]
【原文1】아귀는 못난 외양과 달리 6.25 전쟁 이후 피란민들의 배고픔을 달래주던 귀한 생선이었다. 생선 가운데 가장 저렴했지만 무와 파를 넣고 끓이면 시원한 맛이 일품이었다. 단순하게 수육이나 국으로만 끓여먹었던 아귀가 찜으로 발전한 것은 1960년 중반쯤이다. 박영자 씨가 어느 날 생선국으로 팔다 남은 아귀를 빨래줄에 걸어 말려 놓았는데, 아침에 생선국을 먹으러 온 손님이 '해장술 한 잔 하고 싶으니 말린 아귀로 안주를 만들어 달로'고 요청했다. 갑작스러운 주문에 마침 찬거리로 사다놓은 콩나물에 말린 아귀를 넣고 고춧가루와 파, 마늘로 버무려 된장으로 간을 해 쪄 냈는데 그것이 바로 아귀찜의 시초가 된 것이다.
『朝鮮日報』(1973年)の記述
1973年8月28日の朝鮮日報に「別味珍味 馬山『アグチム』」という記事があり、「馬山の午東洞料亭通りで飲食店を営んでいた『クガンチプ(구강집)』の女性主人、ク・ボンアクさん(59)が8年前から愛酒家の好みに合うようマッコリの肴にしたのがきっかけ。いまは広く知られるようになり、アグチムを売る店は馬山市内だけでも50ヵ所あまり。釜山、大邱、ソウルなどでも、「馬山アグチム」専門という看板を見ることができる」【原文2】と紹介されている[5]。記事にある「クガンチプ」は1965年創業を掲げる古株店で、2010年代半ばまでは営業が確認できるが現在は閉店。
【原文2】「마산의 오동동 요정골목에서 음식집을 해오던 『구강집』여주인 구봉악씨(59)가 8년전부터 애주가들의 기호에 맞도록 막걸리 안주로 만든 것이 동기. 지금은 널리 퍼져 아구찜 파는 집은 마산시내만도 50여곳. 부산 대구 서울 등지까지 『마산아구찜』전문이란 간판을 볼 수 있다.」
『馬山夜話』(1973年)の記述
1973年に刊行された『馬山夜話』は、1970年10月より『馬山市史』を編纂中であった金亨潤(キム・ヒョンユン、김형윤)が執筆途中の1973年8月に亡くなったことから、その遺稿をまとめて出版されたものである。同書には「馬山の味覚」と題された項目があり、「最近、新しい食べ物が登場した。それが『アグ』というもので、3~4年前までは漁網にかかると漁師は海に捨てていたが、突然ごはんのおかずや酒肴として大衆の寵愛を受けている。これはひどく辛い薬味ダレで味付けがされていて、それがかえって魅力だとされる。 これを食べるときはティッシュやタオルを持っていかねば汗、鼻水、涙を拭うことができない。とても辛い」【原文3】と記している[6]。3~4年前がどの時点で書かれたものかは不明だが、1960年代後半には人気の料理であったことが推測される。
【原文3】「최근 새로운 음식이 나타났다. 즉 『아구』라는 것인데 三、四년 전만 해도 漁網에 걸리면 어부는 이걸 바다에 버리던 것이 갑자기 밥 반찬과 술 안주로 대중의 총애를 받고 있다. 이게 지독하게 매운 약념으로 만들어져서 도리어 口味에 매력이 있다는 것이다. 이것을 먹을 땐 휴지나 수건을 갖고 있어야 땀, 콧물, 눈물을 닦을 수가 있다. 아주 맵다.」

種類

  • コンアグチム
コンアグチム(건아구찜)は、干しアンコウの蒸し煮。コン()は漢字で「乾」と書いて「乾燥」の意。同じ意味で、マルンアグチム(마른 아구찜)とも呼ぶ。アグチムの発祥地である昌原市の馬山では、もともと干したアンコウを利用して作った。現在は専門店に行くと、コンアグチムと、センアグチム(生アンコウの蒸し煮、생아구찜)の両方を提供する。

地域

  • ソウル市
ソウル市の瑞草区新沙洞(ソチョグ シンサドン、서초구 신사동)にはカンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)や、アグチムなどの魚介料理を専門とする飲食店が集まっている。
ソウル市の瑞草区方背洞(ソチョグ パンベドン、서초구 방배동)には「カフェ通り(카페 골목)」と呼ばれる一角があり、1970年代後半から1980年代にかけてカフェや飲食店の集まる歓楽街として人気を集めた。飲食店の中ではアグチムの専門店が多く、「アグチム通り(아구찜 골목)」とも呼ばれたが、現在は数軒を残して規模を縮小している。
ソウル市の鍾路区楽園洞(チョンノグ ナグォンドン、종로구 낙원동)にはたくさんの飲食店が集まっており、楽園商街(낙원상가)の裏手にアグチム専門店の並ぶ一角がある。
  • 仁川市
仁川市の彌鄒忽区龍峴洞(ミチュホルグ ヨンヒョンドン、미추홀구 용현동)にはアンコウ料理の専門店が集まっており、アグチムやアグタン(アンコウ鍋/아구탕)などの料理を提供している。仁川市ではアンコウのことをムルトムボンイ(물텀벙이)と呼び、一帯は「龍峴洞ムルトムボンイ通り」(용현동 물텀벙이거리)と呼ばれる。
  • 慶尚南道昌原市
慶尚南道昌原市の馬山合浦区午東洞(マサンハッポグ オドンドン、마산합포구 오동동)はアグチムの発祥地として知られ、「馬山アグチム通り(마산명물아구찜거리)」がある。専門店ではアグチムのほか、アグタン(アンコウ鍋/아구탕)などのアンコウ料理を提供している。
  • 全羅北道群山市
全羅北道群山市では、アグチムが郷土料理のひとつに数えられる。1973年に創業した「キョンサノク(경산옥)」が草分けとなり、周囲に店が増えていったとされる。

脚注

  1. 玆山魚譜 / 筆寫本(P30) 、高麗大学校図書館、2024年5月14日閲覧
  2. 황교익, 2000, 『맛 따라 갈까 보다』, 디자인하우스, P64-70
  3. 김영복과 떠나는 이야기가 있는 음식여행 (19) 아귀어 요리 、韓国日報(2006年10月13日付記事)、2025年8月17日閲覧
  4. (재)한식재단, 2012, 『한국인이 사랑하는 오래된 한식당』, 한국외식정보, P224-225
  5. 別味珍味(27)馬山「아구찜」 、NAVERニュースライブラリー、2025年8月17日閲覧
  6. 金亨潤, 1973『馬山野話: 金亨潤遺稿集』, 태화출판사, P84-85、327 、韓国国立中央図書館(コマ番号85-86、328/332)、2024年9月21日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目