「カクトゥギ(大根の角切りキムチ/깍두기)」の版間の差分

(同じ利用者による、間の1版が非表示)
31行目: 31行目:
 
:19世紀末に書かれた『是議全書([[시의전서]])』(原著者不詳)のキムチ([[김치]])という項目には、チョンム([[젓무]])という大根を用いたキムチの調理法が紹介されている。チョン(チョッ、[[젓]])は塩辛、ム([[무]])は大根を意味し、直訳をすれば大根の塩辛漬けになるが、材料に粉唐辛子や長ネギ、ニンニクが用いられており、大根を「真四角に切って(네모반듯하게 썰어)」との表現もあることから、カクトゥギの原型であるとされる。また、冒頭にはキュウリを使ったウェジョンム([[외젓무]])の作り方も付記されており、こちらはオイカクトゥギ(キュウリの角切りキムチ、[[오이깍두기]])の原型と考えられる。該当の記述は以下の通りである。
 
:19世紀末に書かれた『是議全書([[시의전서]])』(原著者不詳)のキムチ([[김치]])という項目には、チョンム([[젓무]])という大根を用いたキムチの調理法が紹介されている。チョン(チョッ、[[젓]])は塩辛、ム([[무]])は大根を意味し、直訳をすれば大根の塩辛漬けになるが、材料に粉唐辛子や長ネギ、ニンニクが用いられており、大根を「真四角に切って(네모반듯하게 썰어)」との表現もあることから、カクトゥギの原型であるとされる。また、冒頭にはキュウリを使ったウェジョンム([[외젓무]])の作り方も付記されており、こちらはオイカクトゥギ(キュウリの角切りキムチ、[[오이깍두기]])の原型と考えられる。該当の記述は以下の通りである。
  
:「キュウリのチョンム(カクトゥギ)は、[[オイキムチ(キュウリのキムチ/오이김치)]]のように具を入れ、アミの塩辛([[새우젓]])は刻んで粉唐辛子と長ネギ、ニンニクも刻んで合わせ馴染ませる。白菜の内側部分は四等分に切り、大根はザクザクと真四角に切って、オイジ(キュウリ漬け、[[오이지]])も入れる。アミの塩辛は刻んでおき、長ネギとニンニクはすりばちでつぶし、粉唐辛子と混ぜてひとつの混ぜ合わせ、味を調えておく。チョンムは上に覆いをかけてこそよく漬かり味もよい」(原文1)
+
:「キュウリのチョンム(カクトゥギ)は、[[オイキムチ(キュウリのキムチ/오이김치)]]のように具を入れ、アミの塩辛([[새우젓]])は刻んで粉唐辛子と長ネギ、ニンニクも刻んで合わせ馴染ませる。白菜の内側部分は四等分に切り、大根はザクザクと真四角に切って、オイジ(キュウリ漬け、[[오이지]])も入れる。アミの塩辛は刻んでおき、長ネギとニンニクはすりばちでつぶし、粉唐辛子と混ぜてひとつの混ぜ合わせ、味を調えておく。チョンムは上に覆いをかけてこそよく漬かり味もよい」【原文1】
  
 
:【原文1】
 
:【原文1】
46行目: 46行目:
 
: 日本統治時代に朝鮮食饌研究所(조선식찬연구소)を運営していた洪善杓(홍선표)は、1937年11月10日付けの東亜日報にてカクトゥギに関する逸話を以下のように紹介している<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1937111000209203001&editNo=2&printCount=1&publishDate=1937-11-10&officeId=00020&pageNo=3&printNo=5821&publishType=00020 지상김장강습 일년중 제일 큰 행사인 조선가정의 김장 (2)] 、NAVERニュースライブラリー、2017年11月23日閲覧</ref>。
 
: 日本統治時代に朝鮮食饌研究所(조선식찬연구소)を運営していた洪善杓(홍선표)は、1937年11月10日付けの東亜日報にてカクトゥギに関する逸話を以下のように紹介している<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1937111000209203001&editNo=2&printCount=1&publishDate=1937-11-10&officeId=00020&pageNo=3&printNo=5821&publishType=00020 지상김장강습 일년중 제일 큰 행사인 조선가정의 김장 (2)] 、NAVERニュースライブラリー、2017年11月23日閲覧</ref>。
  
: 「カクトゥギは200年前、正祖王の時代に正祖の婿である永明尉、洪顕周(ホン・ヒョンジュ)の夫人が王にさまざまな料理を新しく作って捧げたとき、初めて大根を切ってカクトゥギを作って差し上げたところ、たいへん賞賛なさり、召し上がった日から下々にまで伝播した。そのとき名前を刻毒気(カクトッキ)と称した。民間に伝播したのは、大臣の中で名前は記録されていないものの、公州に落郷した人物がカクトゥギを作って食べたことから、カクトゥギが公州より民間で作られ始めた関係で、今日まで公州カクトゥギとして有名なのである」(原文2)
+
: 「カクトゥギは200年前、正祖王の時代に正祖の婿である永明尉、洪顕周(ホン・ヒョンジュ)の夫人が王にさまざまな料理を新しく作って捧げたとき、初めて大根を切ってカクトゥギを作って差し上げたところ、たいへん賞賛なさり、召し上がった日から下々にまで伝播した。そのとき名前を刻毒気(カクトッキ)と称した。民間に伝播したのは、大臣の中で名前は記録されていないものの、公州に落郷した人物がカクトゥギを作って食べたことから、カクトゥギが公州より民間で作られ始めた関係で、今日まで公州カクトゥギとして有名なのである」【原文2】
  
 
:【原文2】
 
:【原文2】
32,598

回編集