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=== 文献上の記録 === | === 文献上の記録 === | ||
;『四声通解』(1517年)の記述 | ;『四声通解』(1517年)の記述 | ||
| − | : | + | :朝鮮時代の文人、崔世珍(최세진)によって編纂された韻書『四声通解([[사성통계]])』に記載があり、インジョルミのことを「인졀미」と表記している。 |
;『園幸乙卯整理儀軌』(1795年)の記述 | ;『園幸乙卯整理儀軌』(1795年)の記述 | ||
| − | : | + | :1795年に朝鮮王朝第22代王の正祖(チョンジョ、정조)が[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]の水原華城(スウォンファソン、수원화성)まで出かけたときの記録『園幸乙卯整理儀軌([[원행을묘정리의궤]])』には、インジョルミが「各色引切味餅」という名称で記録されている<ref>[https://jsg.aks.ac.kr/data/serviceFiles/pdf/K2-2897_002.pdf 【PDF】園幸乙卯整理儀軌(巻4饌品/夜茶小盤果十二日、P332、10行目[137/200])] 、デジタル蔵書閣(韓国中央研究院)、2024年8月16日閲覧</ref>。合わせて使用された食材も「高五寸粘米二斗赤豆大棗石耳各五升実荏子三升実栢子二升乾柿二串清一升」と併記されており、もち米以外に、アズキ、ナツメ、キクラゲ、エゴマ、松の実、干し柿、蜂蜜が使われていたことがわかる。 |
;『是議全書』(19世紀末)の記述 | ;『是議全書』(19世紀末)の記述 | ||