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==== 馬肉料理 ==== | ==== 馬肉料理 ==== | ||
[[ファイル:18070814.jpg|thumb|300px|馬肉料理のコース]] | [[ファイル:18070814.jpg|thumb|300px|馬肉料理のコース]] | ||
| − | 韓国では一般的に馬肉を食べる習慣がなく、済州道でのみ日常的な食材として親しまれている。その背景として、高麗時代の13世紀に元の支配を受けた際、済州道に牧場が設けられたことがあげられる。1276年に160頭の馬が元から持ち込まれたことがきっかけとなり、本格的な馬の飼育が始まった<ref name="horse">[http://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do?pageNo=5_2_1_0&ccbaCpno=1363903470000 천연기념물 제347호 제주의제주마 (濟州의濟州馬)] 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2018年3月25日閲覧</ref> | + | 韓国では一般的に馬肉を食べる習慣がなく、済州道でのみ日常的な食材として親しまれている。その背景として、高麗時代の13世紀に元の支配を受けた際、済州道に牧場が設けられたことがあげられる。1276年に160頭の馬が元から持ち込まれたことがきっかけとなり、本格的な馬の飼育が始まった<ref name="horse">[http://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do?pageNo=5_2_1_0&ccbaCpno=1363903470000 천연기념물 제347호 제주의제주마 (濟州의濟州馬)] 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2018年3月25日閲覧</ref>。歴史書の『高麗史節要(고려사절요)』には、1276年8月の項目に「元から塔剌赤(タムナルジョク、탑랄적)を送り、耽羅の達魯花赤(ダルガチ、地方行政官)とみなして馬160頭を運んで来て飼育するようにした」【原文1】<ref>[https://db.history.go.kr/id/kj_019r_0020_0030_0080_0070 高麗史節要巻19 忠烈王2年8月 원에서 탐라돌로화적을 두고 말을 목축하게 하다] 、韓国史データベース、2025年10月30日閲覧</ref>との記録がある。済州道の馬は済州馬([[제주마]])、またはチョランマル([[조랑말]])と呼ばれ、1986年2月8日に国の天然記念物第347号に指定された<ref name="horse"></ref>。 |
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| + | :【原文1】 | ||
| + | :「元遣塔剌赤爲耽羅達魯花赤, 以馬百六十匹來牧」 | ||
;マルコギヨリ(馬肉料理/말고기요리) | ;マルコギヨリ(馬肉料理/말고기요리) | ||
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*歴史 | *歴史 | ||
| − | : | + | :柑橘類は古くから済州道の名産であった。もっとも古い記録は『高麗史』にある1052年の記録であり、「壬申の年(1052年)、三司(高麗時代の財政担当官庁)からの奏上があり『耽羅国から毎年捧げる柑橘を100包子に改定し、これを恒久の制度としていただきたい』とのことでこれを受け入れた」【原文2】との内容になっている<ref>[http://db.history.go.kr/KOREA/item/level.do?itemId=kr&types=o#detail/kr_007_0080_0030_0060 高麗史世家巻第七 文宗6年3月 탐라국에서 바치는 귤의 양을 정해주다] 、韓国史データベース、2018年6月27日閲覧</ref>。少なくともこの時期には、済州道において柑橘が特産品として知られ、中央に送られるほどの名産として定着していたことが推測できる。 |
:1611年に許筠(ホギュン、허균)が地方の特産品と料理をまとめた「屠門大嚼([[도문대작]])」(『惺所覆瓿藁([[성소부부고]])』第26巻説部5に収録)には、済州道の特産品として、金橘(キンカン、[[금귤]])、甘橘(ミカン、[[감귤]])、青橘(青ミカン、[[청귤]])、柚柑(ユコウ、[[유감]])、柑子(コウジ、[[감자]])、柚子(ユズ、[[유자]])といった柑橘類が紹介されており<ref>[http://db.itkc.or.kr/inLink?DCI=ITKC_BT_0292A_0270_020_0010_2000_003_XML 惺所覆瓿藁 / 第26巻説部5(屠門大嚼)] 、韓国古典総合DB、2025年2月10日閲覧</ref>、また、1776年に編纂された『貢膳定例([[공선정례]])』を見ると、この時期にはさらに進上品としての物量が増えて、その種類も多様化している。 | :1611年に許筠(ホギュン、허균)が地方の特産品と料理をまとめた「屠門大嚼([[도문대작]])」(『惺所覆瓿藁([[성소부부고]])』第26巻説部5に収録)には、済州道の特産品として、金橘(キンカン、[[금귤]])、甘橘(ミカン、[[감귤]])、青橘(青ミカン、[[청귤]])、柚柑(ユコウ、[[유감]])、柑子(コウジ、[[감자]])、柚子(ユズ、[[유자]])といった柑橘類が紹介されており<ref>[http://db.itkc.or.kr/inLink?DCI=ITKC_BT_0292A_0270_020_0010_2000_003_XML 惺所覆瓿藁 / 第26巻説部5(屠門大嚼)] 、韓国古典総合DB、2025年2月10日閲覧</ref>、また、1776年に編纂された『貢膳定例([[공선정례]])』を見ると、この時期にはさらに進上品としての物量が増えて、その種類も多様化している。 | ||
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:韓福眞著『朝鮮時代宮中の進上食品』によれば、「済州の柑橘類は10月と11月に船で20回に渡って漢陽(現在のソウル)まで運送された。柑橘の種類は柚子、柑子、青橘、洞庭橘、金橘、乳柑、唐柚子(ブンタン)など多様化しているが、現在はなくなった種類も多い」(カッコ内は訳注)とのことである<ref>한복진, 2005, 『조선시대 궁중의 진상식품』, 서울대학교출판부, P104</ref>。なお、今日の日本や韓国で一般的にミカン([[귤]]、[[감귤]])と呼ばれているのはウンシュウミカン([[온주밀감]])であり、済州道においては1911年にフランス人神父のEsmile J. Taque氏が日本から送られたものを植えたのが始まりとされている<ref>[http://citrus.mice-nice.com/site_m/citrus/kor/contents/index.php?mid=020102 감귤의역사] 、済州国際柑橘博覧会ウェブサイト、2018年6月27日閲覧</ref>。 | :韓福眞著『朝鮮時代宮中の進上食品』によれば、「済州の柑橘類は10月と11月に船で20回に渡って漢陽(現在のソウル)まで運送された。柑橘の種類は柚子、柑子、青橘、洞庭橘、金橘、乳柑、唐柚子(ブンタン)など多様化しているが、現在はなくなった種類も多い」(カッコ内は訳注)とのことである<ref>한복진, 2005, 『조선시대 궁중의 진상식품』, 서울대학교출판부, P104</ref>。なお、今日の日本や韓国で一般的にミカン([[귤]]、[[감귤]])と呼ばれているのはウンシュウミカン([[온주밀감]])であり、済州道においては1911年にフランス人神父のEsmile J. Taque氏が日本から送られたものを植えたのが始まりとされている<ref>[http://citrus.mice-nice.com/site_m/citrus/kor/contents/index.php?mid=020102 감귤의역사] 、済州国際柑橘博覧会ウェブサイト、2018年6月27日閲覧</ref>。 | ||
| − | : | + | :【原文2】 |
:「壬申 三司奏, “耽羅國歲貢橘子, 改定一百包子, 永爲定制.” 從之.」 | :「壬申 三司奏, “耽羅國歲貢橘子, 改定一百包子, 永爲定制.” 從之.」 | ||
:(韓国史データベースによる現代語訳) | :(韓国史データベースによる現代語訳) | ||