「カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)」の版間の差分

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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
 
=== 1930年代 ===
 
=== 1930年代 ===
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;『京城日報』(1938年)の記述
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:1938年1月5日の紙面に連載記事「京城の味覚極樂」が掲載されており、カルビ([[갈비]])をテーマに取り上げている<ref>[https://www.nl.go.kr/newspaper/detail.do?content_id=CNTS-00129241587 京城の味覚極樂(に), "カルビ"の卷] 、大韓民国新聞アーカイブ(京城日報1938年1月5日記事)、2025年9月7日閲覧</ref>。同記事によれば当時は[[京畿道の料理|京畿道]][[議政府市の料理|議政府市]]のカルビが高く評価されており、飲食店としては「天香園(천향원)」の評判がよかったようだ。
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:「カルビにくつついてゐる肉は元來が少々固いものだから、年の若い牛ほど柔かくてうまい、[[ソウル市の料理|京城]]附近では[[議政府市の料理|議政府]]のカルビが一番といふのが定評である、あそこの屠場では二歳位のモー公をどしどし屠殺してゐるからだ、だから[[ソウル市の料理|京城]]の料理屋で『このカルビは何處から来た?』と聞いてみるがよい、たとえ場末の飲食店でも或は裏チョンローの立飲屋あたりでも、きつと卽座に『えゝ勿論[[議政府市の料理|議政府]]ですよ』と答へるであらう、[[議政府市の料理|議政府]]のカルビと聞いただけではや味覺極楽の境地にひたれるのである」
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:「明月舘よりも食道園よりもカルビだけは天香園が第一だとは通の認める所だが、先づかう云つた一流の料理屋ではカルビだけは食はしてくれない、カルビはせいぜい一人前五六十銭しかとれないものだから……それでカルビを食ふためには定食のテーブルを注文しなければならない、テーブルが出れば酒も飲みたくなる、ついでに妓生も呼べといふことになるあら忽ちにして十數金を投ずることになる、瑞麟町の八珍園などはカルビだけ御一人前五十銭で簡單に食はしてくれるが、勿論味は天香園あたりに及びもつかない」
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:;趙豊衍の報告
 
:;趙豊衍の報告
 
:1914年生まれの随筆家、趙豊衍(조풍연)によれば、1939年に[[ソウル市の料理|ソウル市]]鍾路区楽園洞(チョンノグ ナグォンドン)の[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]店でカルビグイを提供したのが外食における始まりだったという<ref>著:趙豊衍、訳:尹大辰, 1995, 『韓国の風俗 -いまは昔-』, 南雲堂, P30-31</ref>。当時は[[ネンミョン(冷麺/냉면)|ネンミョン]]1杯が20銭であり、カルビグイも同じく1皿20銭であった。
 
:1914年生まれの随筆家、趙豊衍(조풍연)によれば、1939年に[[ソウル市の料理|ソウル市]]鍾路区楽園洞(チョンノグ ナグォンドン)の[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]店でカルビグイを提供したのが外食における始まりだったという<ref>著:趙豊衍、訳:尹大辰, 1995, 『韓国の風俗 -いまは昔-』, 南雲堂, P30-31</ref>。当時は[[ネンミョン(冷麺/냉면)|ネンミョン]]1杯が20銭であり、カルビグイも同じく1皿20銭であった。
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