32,549
回編集
(→地域概要) |
|||
| (同じ利用者による、間の5版が非表示) | |||
| 4行目: | 4行目: | ||
== 地域概要 == | == 地域概要 == | ||
| + | [[ファイル:25032001.JPG|300px|thumb|栄山江]] | ||
羅州市は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の中西部に位置する地域。市の北部は広域市の[[光州市の料理|光州市]]、東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[和順郡の料理|和順郡]]、南部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[霊岩郡の料理|霊岩郡]]、南西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[務安郡の料理|務安郡]]、北西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[咸平郡の料理|咸平郡]]と接する。人口は11万6752人(2024年10月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。 | 羅州市は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の中西部に位置する地域。市の北部は広域市の[[光州市の料理|光州市]]、東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[和順郡の料理|和順郡]]、南部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[霊岩郡の料理|霊岩郡]]、南西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[務安郡の料理|務安郡]]、北西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[咸平郡の料理|咸平郡]]と接する。人口は11万6752人(2024年10月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。 | ||
| 11行目: | 12行目: | ||
*全羅道の由来 | *全羅道の由来 | ||
| − | :朝鮮半島の南西部を占める地域を広く全羅道(チョルラド、전라도)と呼び、[[全州市の料理|全州市]] | + | :朝鮮半島の南西部を占める地域を広く全羅道(チョルラド、전라도)と呼び、[[全州市の料理|全州市]]、羅州市の頭文字をとったものである。高麗時代の1018年に一帯を全羅州道と名付けたのが始まりで、これがのちに全羅道になった。 |
== 食文化の背景 == | == 食文化の背景 == | ||
| 25行目: | 26行目: | ||
[[ファイル:23100907.JPG|thumb|300px|ナジュコムタン]] | [[ファイル:23100907.JPG|thumb|300px|ナジュコムタン]] | ||
=== ナジュコムタン(羅州式の牛スープ/나주곰탕) === | === ナジュコムタン(羅州式の牛スープ/나주곰탕) === | ||
| − | :ナジュコムタン([[나주곰탕]])は、羅州式の牛スープ(「[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]」の項目も参照)。ナジュ(나주)は地名の羅州、コムタン([[곰탕]] | + | :ナジュコムタン([[나주곰탕]])は、羅州式の牛スープ(「[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]」の項目も参照)。ナジュ(나주)は地名の羅州、コムタン([[곰탕]])は牛スープを表す。発音はナジュゴムタンがより近い。羅州市のウェブサイトでは、一般的な[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]に比べて「牛骨の使用が少なく、牛外バラ肉([[양지살]])や牛スネ肉([[사태]])などの肉部位を煮込んでスープを作る」<ref>[https://www.naju.go.kr/tour/food/taste_road/gomtang 나주곰탕거리] 、羅州文化観光、2024年5月15日閲覧</ref>と説明している。そのためスープの色合いは白濁せず、澄んだ色合いか、または粉唐辛子を振ることで赤茶けて見えることもある。羅州錦城館(ナジュクムソングァン、나주금성관)の付近に専門店が多く、一帯は「ナジュコムタン通り(나주곰탕거리)」と呼ばれる。1910年創業で韓国の飲食店として2番目に古い歴史を持つ「ハヤンチプ(하양집)」をはじめ、「ノアンチプ(노안집)」「ナムピョンハルメチプ(남평할매집)」といった有名店がある。 |
*由来 | *由来 | ||
| 37行目: | 38行目: | ||
=== チャンオグイ(ウナギ焼き/장어구이) === | === チャンオグイ(ウナギ焼き/장어구이) === | ||
| − | :チャンオグイ([[장어구이]])は、ウナギ焼き(「[[チャンオグイ(ウナギ焼き/장어구이)]]」の項目も参照)。市中央部の多侍面佳雲里(タシミョン カウルリ、다시면 | + | :チャンオグイ([[장어구이]])は、ウナギ焼き(「[[チャンオグイ(ウナギ焼き/장어구이)]]」の項目も参照)。市中央部の多侍面佳雲里(タシミョン カウルリ、다시면 가운리)は九津浦(クジンポ、구진포)と呼ばれ、かつては栄山江を行き来する船着き場として賑わった。九津浦一帯は海水と淡水の混ざる汽水域で、1981年12月に栄山江河口堰ができる前までは天然ウナギの好漁場であった。九津浦のウナギはドジョウ([[미꾸라지]])を食べて育つことから味がよいと高く評価されていた。現在は漁獲量の減少から養殖ウナギの利用が主流となっているが、一帯には老舗のウナギ料理専門店が集まっており、「九津浦ウナギ通り(구진포 장어거리)」として名声を誇る。専門店では[[チャンオグイ(ウナギ焼き/장어구이)|チャンオグイ]]を、ソグムグイ(塩焼き、[[소금구이]])とヤンニョムグイ(薬味ダレ焼き、[[양념구이]])で提供するほか、チャンオタン(ウナギのスープ、[[장어탕]])も用意している。同地域の有名店に「シヌンジャンオ(신흥장어)」「九津浦チェイルジャンオ(구진포제일장어)」「テスンジャンオ(대승장어)」などがある。 |
*由来 | *由来 | ||
| 58行目: | 59行目: | ||
=== ホンオエタン(ガンギエイの内臓のスープ/홍어애탕) === | === ホンオエタン(ガンギエイの内臓のスープ/홍어애탕) === | ||
| − | ホンオエタン([[홍어애탕]])は、ガンギエイの内臓のスープ。ホンオ([[홍어]])はガンギエイ。エ([[애]])は本来肝臓を意味するが、内臓全体ととらえることもある。タン([[탕]])は鍋料理の意。ホンオエクッ([[홍어애국]])、ホンオエックッ([[홍어앳국]] | + | ホンオエタン([[홍어애탕]])は、ガンギエイの内臓のスープ。ホンオ([[홍어]])はガンギエイ。エ([[애]])は本来肝臓を意味するが、内臓全体ととらえることもある。タン([[탕]])は鍋料理の意。ホンオエクッ([[홍어애국]])、ホンオエックッ([[홍어앳국]])とも呼ぶ。煮干し、昆布などのダシに、ガンギエイの内臓と軟骨、長ネギ、大麦若葉([[보리나물]])などを加えて煮込み、テンジャン(味噌、[[된장]])と粉唐辛子などで味付けをする。ガンギエイの内臓は発酵させたものを用いるため、強いアンモニア臭を発するが、調理法によっては発酵させずに新鮮なもので作ることもある。ガンギエイ料理の専門店で、[[ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회)]]などとともにメニューに載る。 |
== 代表的な特産品 == | == 代表的な特産品 == | ||
| 68行目: | 69行目: | ||
:羅州梨の歴史を紐解くと、原三国時代からの歴史があると語られることが多い。これは『三国志』「魏書第30巻 烏丸鮮卑東夷伝」の馬韓に関する記述に「出大栗大如梨(梨のような大きさの栗がある)」<ref>[https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B730?uselang=ja 三國志/卷30] 、維基文庫(中国語版ウィキソース)、2024年11月16日閲覧</ref>とあるのを根拠として、間接的に梨もあっただろうと推測するものである。 | :羅州梨の歴史を紐解くと、原三国時代からの歴史があると語られることが多い。これは『三国志』「魏書第30巻 烏丸鮮卑東夷伝」の馬韓に関する記述に「出大栗大如梨(梨のような大きさの栗がある)」<ref>[https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B730?uselang=ja 三國志/卷30] 、維基文庫(中国語版ウィキソース)、2024年11月16日閲覧</ref>とあるのを根拠として、間接的に梨もあっただろうと推測するものである。 | ||
| − | :より具体的な記録としては、朝鮮時代の1454年に編纂された『世宗実録地理志(세종실록지리지)』に、当時の羅州牧(나주목)から中央に献上された物品として梨が含まれている<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kda_40007002 세종실록 151권, 지리지 전라도 나주목] 、朝鮮王朝実録ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。ほかにも、1871年編纂の『湖南邑誌(호남읍지)』(第1巻 羅州)には「進貢」の項目に「生梨」との記述があり<ref>[https://kyujanggak.snu.ac.kr/kyuview/orgviewer.jsp?tid=geo&uci=GK12175_00IH_0001&page=40 호남읍지(湖南邑誌) / 1책(40면/286)] 、奎章閣韓国学研究院ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>、1897年編纂の『錦城邑誌(금성읍지)』にも「進貢」の項目に「生梨」があることから<ref>[http://kostma.korea.ac.kr/viewer/viewerDes?uci=RIKS+CRMA+KSM-WV.1897.0000-20150331.NS_0308 금성읍지(錦城邑誌) / 제1책(17/83)] 、高麗大学校海外韓国学資料センター、2024年11月17日閲覧</ref> | + | :より具体的な記録としては、朝鮮時代の1454年に編纂された『世宗実録地理志(세종실록지리지)』に、当時の羅州牧(나주목)から中央に献上された物品として梨が含まれている<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kda_40007002 세종실록 151권, 지리지 전라도 나주목] 、朝鮮王朝実録ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。ほかにも、1871年編纂の『湖南邑誌(호남읍지)』(第1巻 羅州)には「進貢」の項目に「生梨」との記述があり<ref>[https://kyujanggak.snu.ac.kr/kyuview/orgviewer.jsp?tid=geo&uci=GK12175_00IH_0001&page=40 호남읍지(湖南邑誌) / 1책(40면/286)] 、奎章閣韓国学研究院ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>、1897年編纂の『錦城邑誌(금성읍지)』にも「進貢」の項目に「生梨」があることから<ref>[http://kostma.korea.ac.kr/viewer/viewerDes?uci=RIKS+CRMA+KSM-WV.1897.0000-20150331.NS_0308 금성읍지(錦城邑誌) / 제1책(17/83)] 、高麗大学校海外韓国学資料センター、2024年11月17日閲覧</ref>、羅州梨は宮中御用達の品であったとしてブランドイメージに一役買っている。『錦城邑誌(금성읍지)』には「物産」の項目にも「居平梨」との記述があり、居平県=現在の羅州市文平面(ムンピョンミョン、문평면)が名産地であったとわかる<ref>[http://kostma.korea.ac.kr/viewer/viewerDes?uci=RIKS+CRMA+KSM-WV.1897.0000-20150331.NS_0308 금성읍지(錦城邑誌) / 제1책(19/83)] 、高麗大学校海外韓国学資料センター、2024年11月17日閲覧</ref>。 |
:20世紀に入ると、日本人によって晩三吉、今村秋、長十郎などの日本産品種が多く持ち込まれた。1904年に羅州市へ渡った長崎県出身の松藤傳六が、1910年(1906年など諸説ある)に果樹園を開いたことをきっかけとして、大規模な栽培が広まったとされる<ref>[https://www.naju.go.kr/www/introduction/products/naju_pear 나주배의 재배연혁] 、羅州市ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。1929年9月に京城府(現、[[ソウル市の料理|ソウル市]])で開かれた朝鮮博覧会では、当時の羅州郡から早生梨を出品した李棟奎(イ・ドンギュ、이동규)氏が銅牌を受賞している<ref>[https://blog.naver.com/bukgu/221579596323 나주배박물관 소장, 조선박람회 상장의 가치는?] 、園芸学者ホ・ボック(허복구)氏のブログ、2024年11月17日閲覧</ref>。 | :20世紀に入ると、日本人によって晩三吉、今村秋、長十郎などの日本産品種が多く持ち込まれた。1904年に羅州市へ渡った長崎県出身の松藤傳六が、1910年(1906年など諸説ある)に果樹園を開いたことをきっかけとして、大規模な栽培が広まったとされる<ref>[https://www.naju.go.kr/www/introduction/products/naju_pear 나주배의 재배연혁] 、羅州市ウェブサイト、2024年11月17日閲覧</ref>。1929年9月に京城府(現、[[ソウル市の料理|ソウル市]])で開かれた朝鮮博覧会では、当時の羅州郡から早生梨を出品した李棟奎(イ・ドンギュ、이동규)氏が銅牌を受賞している<ref>[https://blog.naver.com/bukgu/221579596323 나주배박물관 소장, 조선박람회 상장의 가치는?] 、園芸学者ホ・ボック(허복구)氏のブログ、2024年11月17日閲覧</ref>。 | ||