「テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)」の版間の差分

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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
テジクッパプの由来については明確なことがわかっていない。朝鮮戦争後の1950~60年代にかけて広く拡散したとみられ、その背景についてはさまざまな説がある。韓国学中央研究院が制作する「韓国郷土文化電子大典」内の「釜山歴史文化大典」では、テジクッパプのルーツについて以下の説を紹介している<ref>[http://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=99&contents_id=GC04210122 돼지국밥] 、釜山歴史文化大典、2017年9月14日閲覧</ref>。
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テジクッパプの由来については明確なことがわかっていない。1930年代に[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[密陽市の料理|密陽市]]で誕生したとの説があるほか、朝鮮戦争後の1950~60年代にかけて広く拡散したとみられ、その背景についてはさまざまな説がある。韓国学中央研究院が制作する「韓国郷土文化電子大典」内の「釜山歴史文化大典」では、テジクッパプのルーツについて以下の説を紹介している<ref>[http://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=99&contents_id=GC04210122 돼지국밥] 、釜山歴史文化大典、2017年9月14日閲覧</ref>。
  
 
*ソルロンタンの代用説
 
*ソルロンタンの代用説
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*スンデクッパプの代用説
 
*スンデクッパプの代用説
 
:朝鮮戦争のため北部から避難してきた人たちが、平安道や咸鏡道などの郷土料理である[[スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)]]を作るにあたり、手のかかる[[スンデ(韓国式の腸詰/순대)]]を茹で豚に簡略化してテジクッパプを作った。また、「釜山歴史文化大典」ではその典拠として、1952年に中区東光洞で創業した老舗テジクッパプ店「ハドンチプ(하동집)」(現在は閉店)の主人が語ったものとしている。
 
:朝鮮戦争のため北部から避難してきた人たちが、平安道や咸鏡道などの郷土料理である[[スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)]]を作るにあたり、手のかかる[[スンデ(韓国式の腸詰/순대)]]を茹で豚に簡略化してテジクッパプを作った。また、「釜山歴史文化大典」ではその典拠として、1952年に中区東光洞で創業した老舗テジクッパプ店「ハドンチプ(하동집)」(現在は閉店)の主人が語ったものとしている。
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=== 1930年代 ===
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:1938年に[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[密陽市の料理|密陽市]]の武安市場(ムアンシジャン、무안시장)で誕生したとの説がある<ref>[http://www.miryang.go.kr/tur/index.do?mnNo=50103000000 밀양돼지국밥] 、密陽文化観光ウェブサイト、2024年4月14日閲覧</ref>。[[密陽市の料理|密陽市]]にはテジクッパプを専門とする老舗が多く、地名を冠して密陽テジクッパプ([[밀양돼지국밥]])の名前でも呼ばれる。武安市場内で「梁山食堂(양산식당)」を営んでいたチェ・ソンダル(최성달)氏が初めて作ったとされ、同店の系譜は一族によって受け継がれており、「梁山食堂」が現在は「東部食肉食堂(동부식육식당)」と名前を変えて営業を続けているほか、姉妹店として近隣に「武安食肉食堂(무안식육식당)」「第一食肉食堂(제일식육식당)」がある。
  
 
=== 1940年代 ===
 
=== 1940年代 ===
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